こうして、D病院で働くことになったオレだったんだけど、ここでどんな仕事をしたかっていうのは正直あんまり憶えていないんだよ。なんせここでは2002年の4月1日から9月30日の半年間しか働かなかったから。
だけど、仕事以外のいざこざがあまりにも多くて、その辺は割と記憶してるんだよね。
まずね、オレがD病院に入職した時、組合がらみのいざこざで看護部と事務方がバッチバチに対立してたんだよ。もう完全にこの時点で完全に事故物件だよね。普通じゃない。
オマケに、事務長はリハビリ部長が兼任してる有様だし、看護部長は性格がめちゃくちゃエグくて放射能の影響で生まれた怪獣みたいなエグいオバサンだったし、この事務長と看護部長が険悪な状態で、とてもじゃないけどまともに仕事出来るような状況じゃなかったよね。
それに加えて理事長の奥さんは併設されてる老健の施設長をしてたんだけど、何かにつけて病院の医療事務に口出ししてきてね、それだけじゃなくて、細かいことでいちいち老健の施設長室に呼びつけるんだよ。
こんな状態だったから、ちゃんと医療事務の仕事なんか出来る状態じゃなかったんだ。だから、自分が何をやってたかなんてホントに憶えてないんだ。
そんな感じで働いていたある日、事件が起こったんだよ。
D病院に入職して3ヶ月くらい経った時だったかな、怪獣看護部長と仕事の話をしてた時に、ちょっと難しい話だったもんだからついオレが腕組みしながら受け答えしちゃったんだよね。そしたら怪獣看護部長がスーパーギガマックスでブチ切れて、事務長にねじ込まれるわ、老健の施設長室に呼び出されて説教されるわでめちゃくちゃ大事になっちゃったんだよ。
「自分は全然悪くない」とは云わないけれども、そこまで大きな話にする必要なんかねえだろとも思った。
この時だよね、どんなに履歴書が汚れてもいいからこんな職場は即刻辞めてやろうって思ったのは。こんなところにずっといたら自分という人間がダメになってしまうと思った。
それから休み取って、鎌倉に旅行に行って、3日間だったけど色んな神社や仏閣を見て心を静謐な状態にして、自分の心と真剣に向き合って、改めて自分の判断が間違っていない事を確信したうえで鹿児島に帰ってからすぐに退職願を出した。ちょうど梅雨時で鎌倉のあじさい寺(明月院)には紫陽花がたくさん咲いててね、一人で色々考え事をするには最適だったよ。
「捨てる神あれば拾う神あり」ってことわざがあるけど、これってホントだなって思ったのは、退職届を出してからすぐに人材紹介会社から連絡が来たんだよ。この会社は、Cクリニックを辞める時に登録してて、自分でも登録した事を忘れちゃってたんだけど、凄いタイミングで職場紹介の連絡が来た。まぁオレは捨てられたんじゃなくて捨ててやったと思ってるけどね!
最終的にはこの病院に入職することになるんだけど、その前にD病院で最後のひと悶着があったんだ。

今回はここまでにしておこう。だいぶ期間があいちゃったけど、もう少し頻回に書けるようにします。ではまた!