『シン・ゴジラ』を考える | のぼこの庵

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大河ドラマの史上最高傑作『独眼竜政宗』(1987⇒2014再放送)と近年の最高峰『平清盛』(2012)の感想です。
ついでに『江~姫たちの戦国~』(2011)、『八重の桜』(2013)、『軍師官兵衛』(2014)、『花燃ゆ』(2015)の感想も。
あとは爺放談?

今さらながら、
『シン・ゴジラ』のラストシーンでゴジラの尻尾の先に何体かの人影があったことについて、私の考えはこうです。

1.ゴジラ個体としての意味

ゴジラは自己分裂していく生物なので尻尾の先には形成不全な骨や歯が組み込まれています。
進化の頂点にあるゴジラですからその中にはすべての生物の要素つまり人間の骨や歯もあったでしょう。
しかしラストシーンに描かれた尻尾の中の人影は決して人骨ではなく人体そのものでした。顔や首、胸、腕がしっかりしていたことからそれがわかります。
逆に通常の人体にはありえないような特徴もありました。ゴジラのような背びれと尻尾があること、また腕が異常に長く鳥類のようなカギヅメがあることです。
これらのことから、私は次のような仮説を立てました。
「完全生物であるゴジラは個体のまま進化を続けており、魚類(第1形態)から両生類(第2形態)、爬虫類(第3~第4形態)へと進化したが、あまりにも巨大化し過ぎて生体原子炉を上手く制御できなくなっていたため、活動を停止し、哺乳類と鳥類の複合体(第5形態)へと個体分裂を伴う進化を遂げつつあった。第5形態でも背びれは生体原子炉の冷却装置として、尻尾は更なる進化のために必要なので残されていた」
尤も実は作中でも「ゴジラの無生殖による個体増殖(群体化、小型化、有翼化)の可能性」が指摘されていましたから、この説はもう自明だったのかもしれません。

2.制作者の意図

本作はこれまでのゴジラ作品とは一線を画す大人向けの映画ではありますが、やはり小さな子供たちも見ることへの配慮からでしょう、「怖さ」はあっても「残酷」さ、つまり人が傷つき死んでいく直接的な描写はありませんでした。
ラストシーンの人影が不気味に思えるのは、それらがあたかも戦場の死体あるいは焼死体のように描かれているからです。
実際の現場であったならゴジラが通った後にはこのような死体が多く残されていたはずです。
制作者は、画面には現すことのできなかった残酷な死体描写を、唯一ラストシーンのゴジラの尻尾の中で表現したのではないでしょうか。
そしてその効果は「てきめん」だったと言えるでしょう。