天手長男と息長足比売  白村江敗戦後論③  室伏志畔 | 越境としての古代

越境としての古代

 日本古代史は東アジア民族移動史の一齣であり、それは長江文明を背景とする南船系倭王権と韓半島経由の北馬系王権の南船北馬の興亡史で、それは記紀の指示表出ではなく、その密やかな幻想表出を紡ぎ、想起される必要がある。

天手長男と息長足比売 白村江敗戦後論③ 室伏志畔


                    (壱岐の箱崎八幡宮↓)

越境としての古代-箱崎八幡宮  
壱岐の式内社二十四社に、天孫・邇邇芸命を祀る神社はない。それはその降臨王権から神武が皇位を簒奪し、祭神を書き改めたことに由来しよう。
 現在、壱岐の神社の中心は住吉神社で、中臣系の神主が中心にあり、かつて壱岐の海士族を率いた壱岐氏が、現在、壱岐の箱崎で八幡宮を営む。その地に、かつては月読命と共に高皇産霊命(高神)が祭祀されていた そのため、かつての一大国の王が
姿を消し、高御祖神社に高皇産霊命が祭神として残り、その高神が祀った月読神社もあるものの、箱﨑の地を追われ、路傍にその形骸を止める。それは壱岐一の宮の天手長男神社も同じで、その本宮は、かつての国府の地にあったという。


 月読国の父親殺し


 つまり、壱岐では古い高神系の神々が、本来の居場所を失い、路傍でしがない姿を晒すのに引き替え、住吉神社で藤原系の神官が威をふるい、それに靡いた壱岐氏が箱﨑で八幡宮を祀る島に姿に壱岐を変えてしまった。つまり天皇制とは、藤原氏が実権を握り、その土地の旧豪族に旧神(高神はその一)から皇神(八幡神)への宗旨改めを条件に、旧支配を安堵するもので、その新旧の変換した姿を壱岐はあるがままに今に残している。この高神系神社の廃神毀社は、石田郡にあった一大国の王が高皇産霊命と呼ばれ、その高神の執政官として国府にあったのが壱岐一の宮の天手長男と呼ばれた天孫降臨の最大功労者であったろう。


 息長足比売と天手長男


 その廃神毀社にあった壱岐一の宮の天手長男神社の主祭神に、天照大神の御子・天忍穂耳命が納まる。彼は天孫・邇邇芸命の父であるが影が薄い。その理由は降臨が彼の御子・邇邇芸命の手柄とされたことによる。しかし、天孫降臨は真床追衾された乳幼児で、本来は天手長男の手柄であったことを記紀は隠した。それは皇統が天孫系譜に出現したが、その一世代前の父親殺しをした皇統の秘密に関わる。その天孫系譜の天忍穂耳命を天手長男に戻すなら、その天孫系譜は、

 

高皇産霊命――栲幡千千姫
              |―邇邇芸命
  天照大神――天手長男


となり、降臨の偉業を誰が成したかが明らかとなる。それを裏書きするように柿本人麻呂は高市挽歌で皇子降臨を公言する。ところで、皇室は伊勢神宮より宇佐神宮の八幡神を尊重してきた。その八幡神は神功皇后と応神天皇と姫大神であるが、その神功の和風諡号である息長足比売は、思わぬ事に次の対応をもつ。

 

息(壱岐) 長足 比売
   ↓    ↓ ↓
天(天国) 手長 男

 つまり、この和風諡号は天手長男のフェイクなのだ。その上で、神功と応神のその陰日向にあった武内宿禰を思い浮かべるなら、それは七世紀後半の、持統がその草壁皇子の子・軽皇子を皇位に即かせるために奮闘した藤原不比等の範型としてあり、その原型はこう遡行できよう。


持統――――軽皇子―ー藤原不比等
↓         ↓        ↓
神功――――応神――ー武内宿禰
↓ ↓  ↓
栲幡千千姫―邇邇芸命―天手長男