さくら~立原えりか『小さな花物語』より~
日本は桜の国です。
三月最後の週末、この国の都は桜が今を盛りの満開です。
卒業するひと入学するひと終わらせるひと新しく始めるひと。
日本で一年の一区切りとなるこの時季に咲く桜の花は
この国のひとたちにとっては特別な思いいれのある存在です。
十年以上前の春にわたしは祖母二人を相次いで亡くしました。
認知症になり最後は寝たきりだった神戸の母方の祖母と
亡くなる前の日まで元気に畑仕事をしていた福島の父方の祖母。
二週間を置かずして葬儀に出るため新幹線で関西へ東北へと
桜前線を追うように日本列島を行き来することになりました。
わたしにとっては桜は祖母たちを見送った花です。
戦中戦後の時代を苦労に耐え強く生きぬいた祖母たちの人生に
最後の祝福の華やぎを手向けた花が桜です。
立原えりかさんの童話にはそんな祖母たちが多く登場します。
この『小さな花物語』におさめられた掌編「さくら」も
語り手は一本の桜の木ではあるのですが
それは桜に形を変えた日本の祖母たちの心かもしれません。
新しいランドセル姿で小学校に入学する子どもたちを見守り
やがて成長した子どもたちがそれぞれの人生に巣立つのを見守り…
そして桜の木は覚えているのです。
かつて日本の若者たちが桜に見送られ戦地に駆り立てられたこと。
桜の花と散るよう教えられ、死んだら桜になると信じた若者たちは
ほんとうは桜になどなれなかったということ。
夜ふけに現れる若者たちの亡霊が取り戻せない人生を求めて
今も桜の木の下を行く当てもなく行進していること。
どうかこの国の桜がいつまでも祝福の花でありますように。
文責・メリヤス
三月最後の週末、この国の都は桜が今を盛りの満開です。
卒業するひと入学するひと終わらせるひと新しく始めるひと。
日本で一年の一区切りとなるこの時季に咲く桜の花は
この国のひとたちにとっては特別な思いいれのある存在です。
十年以上前の春にわたしは祖母二人を相次いで亡くしました。
認知症になり最後は寝たきりだった神戸の母方の祖母と
亡くなる前の日まで元気に畑仕事をしていた福島の父方の祖母。
二週間を置かずして葬儀に出るため新幹線で関西へ東北へと
桜前線を追うように日本列島を行き来することになりました。
わたしにとっては桜は祖母たちを見送った花です。
戦中戦後の時代を苦労に耐え強く生きぬいた祖母たちの人生に
最後の祝福の華やぎを手向けた花が桜です。
立原えりかさんの童話にはそんな祖母たちが多く登場します。
この『小さな花物語』におさめられた掌編「さくら」も
語り手は一本の桜の木ではあるのですが
それは桜に形を変えた日本の祖母たちの心かもしれません。
新しいランドセル姿で小学校に入学する子どもたちを見守り
やがて成長した子どもたちがそれぞれの人生に巣立つのを見守り…
そして桜の木は覚えているのです。
かつて日本の若者たちが桜に見送られ戦地に駆り立てられたこと。
桜の花と散るよう教えられ、死んだら桜になると信じた若者たちは
ほんとうは桜になどなれなかったということ。
夜ふけに現れる若者たちの亡霊が取り戻せない人生を求めて
今も桜の木の下を行く当てもなく行進していること。
どうかこの国の桜がいつまでも祝福の花でありますように。
文責・メリヤス