2020年のクリスマスは
初めて
プレゼントを
あげたりもらったりしなかった…誰とも…
ホントは娘2人に
手編みのマフラー送るつもりだったけど…
なにしろ初めての挑戦なのに、なかなか取り掛かろうともしないで
毛糸とかぎ針を購入したのに、
グズグズ、グダグダしてるうちに体調崩してしまい
クリスマスまでの日数がほぼナィことすらも気づいてなかった
なんてマヌケなんでしょうか
わたしの大好きなエルモたち
⬇︎
ほとんどが
次女のえっかからのプレゼント…
プレゼントもらってるとき
将来断絶されるなんて思いもしてなかった
喜んではいたけど、もしかすると「当たり前」になってたのかな…
双極性障害II型を患ってるので
一人暮らししてることは
本当に本当に心配でなりません
次女は、
自死遺族の計り知れないほどの哀しみ
を独りで闘っててとても辛いのではないのか?
ヒトと関わりを絶っていたけど
今も独りなのか?
…
というコトを想う時
とても哀しくなる
また以前みたいな仲の良い
母娘、姉妹のような関係になって
気持ちが分かる家族と
哀しみを共有して少しでもココロが楽になれたらどんなに良いか
わたしは
これから先も次女と和解するコトを
絶対に諦めない
…
えいいちが彼方へと連れて行ってくれる時が来るまで
ずっと、ずーっと
えっかに想いを伝えていく
ショートメール、メール、LINEは拒否されてるけど
伝える方法は何かあるハズ
絶対に諦めないんだ!!
クリスマス
「クリスマスカラーに染まった街並みを歩くと、誰しも胸が高鳴るもの」
と書いてあるのを目にしたけど
誰しも…ではないよな
わたしは別な意味では胸が高鳴るけど…哀しくて
遺族になってしまった方
いろんな理由で辛い想いをしてる方…
「楽しいクリスマス!」なんて思えないですよね
…遺族になって日が浅い方はなおさらの事だと思う
悲しくて哀しくて…苦しい辛い想いをしてるんですよね…
かける言葉は見つからないけど、
その哀しみが少しでもわかるヒトは居ます
わたしもその1人だと思ってます
寄り添うことはできるのではないのかなと思ってます
ー本当に本当に哀しくて辛い…
自死遺族になってまる1年10カ月になろうとしているわたしは
先日ブログ記事にもしましたが、
えいいちが「幸せだと思えるコト」を自分のモノにしたいと思ってます
無理やりではなく
できる限り楽しく過ごしたいなとは思ってます
が…なかなかです
ところで
クリスマスってどういう日❔❔
以前調べたコトがあるんだけど…
「諸説」あってなんかイマイチ分かりづらいんだよな…
クリスマスは英語で「Christmas」
「Christ」と「mass」に分解
「Christ」→「キリスト」
「mass」→「ミサ」キリスト教の祭礼
なので
「Christmass」→「キリストの生誕祭」
12月25日はイエス=キリストの誕生日とされているが、
その日に生まれたということを裏付ける資料は一つもないらしい
そもそも生まれた年すら諸説ある
諸説あり過ぎ!!
わたしは
「キリスト教」のことをほぼ知らないし
お祈りもしないのになぁ…❔❔
と
ある時から
「なんでクリスマス楽しみたいな〜」
ってなるんだろうと思ったりしてしまいます…
ややこしぃ面倒くさいわたしですね
わたしは
物心ついた頃から「産みの母」が居なかったせいもあり、ほとんどのイベントは
「楽しみ」ではなかった
…その名残なのか、大人になっても
なんとなくイベントは心の底からは
楽しめない…
前にもブログ記事にしたのにシツコィですが、
わたしの産みの母は
福島県で既に結婚していて、夫、3人の子どもがいるのにも関わらず
2つ歳下の独身だったわたしの父と東京のダンスホールで知り合い
お付き合いが始まり、その後同棲したらしい
それから(父の姉の旦那さんにすすめられ)
食堂経営するために遥々東京から鹿児島にやってきて
なんと、なんと!!
兄2人と、わたし、3人の子を生みました
結果的に
実の母は強面の旦那に福島へと連れ戻されて
わたし達兄妹3人は
ものすごく厳しい祖父母に育てられるコトになってしまったのだ
実の父親は
わたし達兄妹を祖父母に押しつけて
アパートを借りて、わたしにイジメをしていた意地の悪い継母と2人で新婚生活を始めた…
やがて父と継母の間に妹が生まれた
さすが、わたしをイジメてたババァ(継母)の子どもだゎ…
えいいちの自死後決めた
「これから先関わらないと決めたヒト達の中の1人」になるなんて
思ってもなかった
祖父は、特に2人の兄に
「軍隊かよ!!」ってくらいに厳しかったからな軍隊のことは知らないけど…
兄が小学生の頃から、門限に1秒でも遅れると
玄関のところにステッキを持って待ち構えてて
ケツバット!!されてた
そんな厳しい祖父だったケド
何故か❔
誕生日&クリスマスは
ちゃんと
ケーキ、ご馳走、プレゼントを準備させて
パーティらしきコトをやってた
ʕʘ‿ʘʔ…
大人になってその時のコトを思い出したりしたとき
なんだか不思議でした…
戦争を経験して、生きるコトだけで精一杯な日々を過ごしてきたし
家庭環境も最悪だったらしい
それに
時代が時代だけに、優しいコトバや態度は取れなかったのかな
昔でいう「男らしく」みたいな風習…
ココロの奥には愛があったんだろうか…
なかなかそうは思えない
だって、母親違いの妹には笑顔を見せてちょー優しくて、猫かわいがりしてたんだ
わたしには笑顔すら見せなかったのに…笑顔の覚えがナィ
そこんとこ意味が良く分かりません…
わたしも祖父の息子の子には変わりないんやけどね…
シツコィほどブログに書いてますが
気持ちは
「コトバにして伝えなければ、わからない‼︎」
コトバにしてもなかなか伝わらない時もある
…大人でも「気持ちをコトバにして伝えても」なかなかわからないのに‼︎(伝わらない)
何十年も経ってやっと
気づいたり分かったりするコトもあるのに
子どもに分かるハズもない
「祖父の心の奥には愛があるんだょ」なんて…
判るか⁈
わたしの子どもに対する接し方
☆「怒る」でなく「叱る」
☆「八つ当たりなど
自分の勝手な理由で怒らない」
(心には愛を)
という信念があった…
ケド…
この世の中で
1番悲しくて哀しくて苦しくて辛い
「えいいちの自死」を経験してから
この信念は少し変わりました…
余談ですが
いつものように
またデータ容量0になってしまった
最悪ーー