後藤田正晴「政と官」を読んで | 昔のテレビ番組や日商簿記1級などの雑記

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【書名】政と官

【著者】後藤田正晴

【発行日】1994年7月28日
【出版社等】発行:講談社

 

【学んだ所】

私たちが心すべきことは、外国との関係や他民族との関係では、日本人はけっして強靭な民族ではない、という自戒の念を忘れないことである。
一つの問題は、役人は役所の窓からしか世間を見ていないことである。実際の世間は、役人が見ているよりもっと広い役人とは違った窓からみれば、また、違った姿が見える。⇒その違った姿は、誰が拾い上げるのか、という問題である。
もう一つの問題は、役人が税を考える場合、徴収する側の論理で考えることである。⇒この点は重要なことだ。というのは、個人生活の家計と国の財政とでは基本的に違っているからだ。⇒個人の生活であれば収入が決まっていてその中から何にいくらか使うかを考える収入が少なければ、当然、節約しなければならないまた、将来の出費のため貯蓄も必要である。そのためにも、出費は自ずから抑えられる。これが家計である。⇒ところが国の財政はまったく逆である。出費を最初に計算し、その財源を確保するために税額を決めるこれだけ必要だからこれだけ出せ、という論理なのである。その場合、納める側の立場は考慮されない
できるだけ簡単な方法で徴収したい、と考えるのが人情であろう。したがって、徴収しやすいところから徴収したい、ということになる。
しかしながら、できるだけ効率的に税金を徴収しようとするとどうなるのか。公平さより効率性が追求され、不公平な税制になるだろう。⇒では、その歯止めはどこがやるか。やはり、国会であり、政治なのである。それが民主主義というものだ。
政治家と役人に上下関係はないのである。むしろ、役割を分担している。⇒すなわち、日常の決まりきった業務は別として、政策を決めるのは、内閣である。その内閣は、議員内閣制の下では政党が組織している。⇒したがって政策は、与党および内閣を構成する国務大臣が、互いに協力しあいながら最終決定するのである。この決定を行政機関が実行するこれが、日本国憲法が想定している役人の位置づけだ
ところが、現実問題として、日本の場合は政党政治が未熟である。政党自身が独自に政策立案できるだけの組織もなければ能力も有していない政策に必要なあらゆる情報や資料を行政府が全て独占しているのである。行政府は日本最大最強の、というよりむしろ、日本唯一のシンクタンクなのである。その結果、どういう弊害が出てくるかというと、行政官が政策そのものを決めてしまうという行き過ぎた事態が生じてくる。⇒最近とくに目立つのは、役人の行き過ぎである。もっと役人は議会制民主主義に照らして節度を保たなければならない第一に、役人は政治に対して政策を押しつけてはならない行政府というのは、あくまで閣議や立法府が決定したことを執行するのが役割である。それだけを責任を持って行えばよいこれが基本である。
景気がよくなってから増税のタイミングをはかればよいのである。
役所は自分の目的を忘れてはいけないその目的に沿って、活動の手法を決めるのである。
政治を志した者にとって、もっとも大事なことは、人情の機微がわかるよう自分自身を修練することだと思う。落選すると相手の人柄が本当によくわかるものである。
役人と違って政治家は常に賢明な大衆の評価にさらされているのである。役人は政治家をバカにすることがある。しかしそれは間違いだ。政治家は、どんな人でも五万人とか十万人とかの人間に自分の名前を書かせるのである。それだけの何かを政治家は誰でも持っている、ということを認識すべきだ
政治家にとって何がもっとも大事かといえば、人情を理解して、大衆から信頼を得ることである。政治家が人の情を理解するとき、初めて人々はその政治家を信頼するあの人がやっていることだから間違いない、と確信するのである。そこに、政治に対する国民の信頼が生まれる
政治家の役割は、国民全体の利益の間に立って調整することである。場合によっては、選挙民の意に反し、選挙民に痛みを伴う政策でも敢えて実行しなければならないこともある。そういう場合、政治家は選挙民を説得しなければならないこの説得力は、政治家にとってきわめて重要な能力である。基本は、その政治家に対する選挙民の信頼である。あの先生がそういっているから間違いないという確信を、選挙民が持つようになることだ。そのためには、政治家は人の情に通じていなければならない
敢えて単純に特徴づけるなら、役人の理に対して政治家の情である。
各省庁間の意見が対立する問題について必要なことは、政治による決断である。各省庁がそれぞれの立場を主張するその理由は理解できる。しかし、それでことが動かないとなれば、結局は大きな国益を損なう。その責任は政治にあって事務局にあるのではない。
政策の創造は政治家の仕事である。役人はその政策を実行するのである。⇒その辺の区別を明確にして政治家は余分な責任を役人に押しつけず、役人が仕事をやりやすいようにしなければならない。一方、役人は、政治家が創造する政策に対して、理由もなく反対することは許されない
政策を決めるのは、あくまで政治家である。国民が政策作りを委託したのは役人ではなく政治家である。それが民主主義の基本だ。⇒また、政治家は、重要な問題については責任を持って決断する必要がある。その点については、役人に対する責任転嫁は絶対に許されない
役人の側の問題としては、思い上がりの意識がある彼らは、自分たちは国益中心で物事を考えていると信じ込んでいるその国益とは、非常に主観的なものである。民間の圧力団体や一部の利害関係者の声からは一歩引いた形の姿勢を保とうとしており、その点では公正といえないこともない。しかしながら、彼らは大衆の批判にさらされていない役所の窓からしか物事を見ていないこのため、国益という名の省益に流れてしまう欠点を持っている役人は、法律の施行において中立でなければいけない日本は法治の国であり、その法律を使うのが役人である。作るのは役人ではない中立を守るために政治に任せるのが心配なら、政治に対して選択肢を提供すればよいあとは政治の判断である。その判断まで自分たちでなければいけないとは、思い上がりというべきだろう。⇒役人がこのように思い上がるおそれがあるのは、自分たちの能力に対する過信があるからであろう。エリート官僚は確かに秀才である。しかし、頭さえよければ務まるものでもない。専門的知識や能力はもちろんのこと、人間的にも幅や魅力がなければならない
決定的に彼らに不足していることがある視野の広さである。
政治家は森羅万象、すべての問題に関係しているいわば、ゼネラリストである。それに対して役人はスペシャリストだ。本来は、その調和こそ必要である。
何事をやるにも、かならず必要なのは決断である。しかし、その決断は独断であってはならない状況に即し、適切で、周囲が納得する決断でなければ結局、その決断は宙に浮いてしまうそれを避けるには、状況をみきわめる情報の収集と分析は必要である。
政治家が守るべきことの最大の原則は、自分の信念は、どんなことがあっても最後まで死守することである。
政治家が守るべきもう一つの原則は、信念上の問題で仕える相手と対立したら、身を引くべきだということである。
まず、やるべきこととやるべからざることを明確に区別する。そして、やるべきことであれば、それができるよう法律その他の制度を整備し、それが終わってからやるべきであるこれが原則である。
政治というものは、政治家だけがつくるのではない。民主主義社会では、全員でつくっていくだからこその民主主義である。政治は、誰にとっても、人ごとではないまるで自分と無関係であるかのような批判をする者がいる。それは、天に唾を吐くようなものである。国民が政治家を育て、政治家はその期待に応えるこれこそが、民主政治の根本原則だ