最近新聞関係の仕事が多くてね。寄稿のための執筆や取材が続いていたわけ。で、あれこれ考えていて、ふと気づいたんだよね。小泉政権期の新自由主義路線、民主党政権期の再分配路線、そして、最近の「三本の矢と分配」、根っこにあるものは何も変わっていないということに。

リーマン危機が起きて、「いよいよ新自由主義の時代は終わる」多くの人たちがそう予感したと思う。実際、民主党政権が誕生したし、それ以降、第二次安倍政権も含め、財政の規模は明らかに大きくなったよね。その意味ではたしかに流れは変わったように見える。

でも、結局は、新自由主義であれ、再分配であれ、「そうすれば成長します」という説明じたいは、一貫して変わらないんだよね。小泉政権期の官から民へ、いまのアベノミクスはもちろんそうだし、リベラル・左派だって、「再分配(=格差を是正)すれば成長する」ということを言い続けている。今回の参院選の「公約」なんてもろにそうだ。

外交、安全保障、国内政策、そして、国内政策の柱のひとつが財政政策だ。でも、いま投票に行くとして、各党の財政政策の違いがどこにあるのかを見分けられる人はほとんどいないと思う。とうとう自民党自身が「分配問題」の重要性に気づいてしまったからね。そうなると、金額の競い合いしかなくなる。「保育士や介護士の給与引き上げをいくらにするのか」という議論はその典型。バナナの叩き売りみたいだ。

アベノミクスに景気浮揚効果がなかったことがあちこちで指摘されている。与党はいろんなデータを引っ張り出してこれに反論する。まあ、増税回避という以上は、効果をまるまる褒めることはできない。でも、思うんだよね。野党は、効果の有無をあげつらうのではなくて、むしろ、「ここまでやっても成長目標は実現できなかった」という事実それじたいに光をあてるべきじゃないかって。

要するにさ。経済成長を訴え続けることには、もう限界があるってこと。バブル崩壊後、現在に至る平均実質成長率は0.9%と言われる。ある推計によればオリンピック後の5年は0.5%成長になり、さらにその5年後はゼロになるという。オリンピックの10年後には人口も今より1割減っているという推計もある。そのなかで「どうすれば成長するか」を競い合うのは無理があると思う。

でも注意してほしい。「脱成長」論を訴えたいんじゃない。成長を無視する社会というのは、いくら新しい幸福論をぶっても、とても活気のない、停滞した社会だと思うから。ここでのポイントは、成長に頼り、成長しないと人間らしく生きていけない社会っていうのは、明らかにおかしいということだ。僕たちは脱「成長依存」をめざすべきだし、成長や所得の問題を"one of them"にできるように知恵を絞るべきなんじゃないかな。野党側もそういう社会構想を提案することが本当のアベノミクス批判、対抗軸になるんだと思う。

今回の参院選を見ているとこういう発想は皆無のようだ。なぜか。それは有権者が成長神話から逃れられないからだ。これは仕方のないこと。繰り返そう。成長しなければ人間らしく生きていけない社会なんだから。成長に多くの関心が寄せられるのは当たり前のことだよね。

であれば、僕たち社会科学者が連携して、あるべき社会像、あるべき政策像を示していくしかないよね。成長に頼らず、「人間性」を回復できるような新しいビジョンを描かなければ。ここから一年、社会科学の垣根を越えて、いろんな論者と協力して多くの本を出していきたいと思う。大きな社会科学のうねりを作るために。
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