学者の居場所

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小さいけれど、真剣に悩んだはなし。

来週、僕の新しい本が出る。『井手英策 18歳からの格差論』という本。マイナビでの連載に目をとめた東洋経済新報社の方から依頼を受け、その内容を大幅に書き改めて出される本だ。

正直、この本を出すかどうか、すごい悩んだのね。出版社の方は、「連載の内容そのままでいい」「若者にもわかるような分かりやすい本がいい」とおっしゃっるわけ。氏はとても熱意にあふれた人で「井手さんの思想を何とか世に広めたい」とまでおっしゃってくださった。

でも、こちらは、仕事の使い回しはしたくないし、分かりやすい本を書くというのにもすごい抵抗があった。何ていうのかな。学者としての一線を超えてしまう、みたいな感じ。僕に続く若い人たちにとっても、先輩や恩師が浮ついたことをやるのは嬉しくないだろう、そんなことも考えた。で、悩みに悩んで、お世話になった先生方に相談をした。最後に僕を後押したのは「俺が若い時とは時代が変わったよ」というある先生からの一言だった。

そこからは何か吹っ切れたような気持ちになった。とにかく読みやすい本にしようと。イラストレーターさんも加わってすごいスピードで仕事が進んでいった。そしてふと気づけば、自分自身がイラストになって表紙を飾ってた。見本を見たときには軽い衝撃をおぼえたよ。逆にこれじゃ売れんやろって(笑)でも、やるんなら徹底的にやってやろうと思った。僕を口説いたときの文句に違わない、制作にかかわったみなさんの情熱が支えだった。

学者としての僕は、もちろん後世に残るような研究をやりたいと思っている。今でも英語で本や論文を書いている。これは僕のライフワークみたいなもので、やめようと思ってやめられるもんじゃない。

でもその一方で、一人の社会科学者の目には、いまの日本社会の現状がいまにも壊れそうなもののように映る。こんな状況のなかで書斎にこもり、ただ本を読んでいていいのか。社会を科学するのなら、今こそ社会に身を投じ、じっくりと観察すべきではないか。そんな衝動が僕を揺り動かす。だからこそ、時代が変わった、そうおっしゃった先生の言葉が心の奥に突き刺さったんだと思う。沈黙し、不作為の罪を犯し、歴史の加害者になることはとても受け入れられない。

僕はあるべき日本社会の姿を語りたい。口の悪い人は「きれいごと」というかもしれない。でも、学者があるべき姿を構想し、理想を語らないとすれば、いったい誰がそれを示すのか。政治家や官僚、実践家は現実を変えることが仕事だ。小さくてもいい。僕はその人たちが歩みを進めるための灯をともしたいと思う。

オリンピックまではとことんやってやろうと思っている。多くの人たちと対話をしたい、日本のこれからについて語り合いたい、そう思っている。でも、論壇人として長生きする気はないし、そんな才能もない。使い物にならなくなるのはすぐだ。そうしたら、僕は、もがき苦しむ日本社会の姿と、一研究者の小さな葛藤を重ね合わせたような、そんな研究書を書くことに遺された時間を使いたい。学問とは「その人の生き方も含めて学問なんだ」と伝わるような本を。
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