分断社会とダイバーシティ

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明けましておめでとうございます。今年もゆるゆるとブログを更新してまいります。よろしくお願い申し上げます。

 

2016年は、Brexit、トランプの当選と、社会の分断化を心配させるような事件が続いたよね。ただ、Sheri Bermanという政治学者が注意をうながしたように、これらを全体主義と同一視するのはやや勇み足だと思う。イギリス人も、アメリカ人も、そして僕たちも、まだ民主主義に絶望していない。EUへの再加盟や2020年選挙での大統領交代など、まだ両国民には再選択の道が閉ざされてはいない。

 

僕はファシズム化を煽り立てることよりも、なぜポピュリズムが効果を発揮するかを考えることに意味があると思っている。だから、昨年末、朝日新聞の「あすを探る」でこの問題をとりあげたのね。

 

http://www.asahi.com/articles/DA3S12717431.html

 

問題は中間層、とくにその中でも「中の下」の層の憤りが歴史を動かしているということ。転落の恐怖におびえる「中の下」が分厚く、かつ彼らが強い生活不安に襲われている国ほど、低所得層や移民層のバッシングが政治的に効果をもつ。「あなたたちの生活不安を生み出しているのは、あなたたちの仕事を奪い、福祉を乱費し、財政を危機に陥らせているあいつらだ」という具合に。英米の物語は対岸の火事ではない。

 

一部の読者のみなさんはご存じだと思うけれど、僕は所得階層の分断線をなくすための提案を続けている。あらゆる人びとを受益者にすることで、既得権者をなくし、低所得層を攻撃することを無意味化させる戦略だ。そのために必要な財源論から逃げないことも僕の議論の特徴だと思う。

 

この議論の根底には、所得格差への、いや、「覆せない格差」に押しつぶされそうな人間であふれた社会への怒りがある。ただ、僕が色んな場でこの提案を繰り返すのには、もうちょっと別の意味もあるんだよね。

 

人間の価値観やニーズはとても多様化している。熊谷晋一郎さんとの議論で気付かされたことがある。身体障がい者にとって道の段差は大きな問題だけど、精神障がい者にとってはその段差は大した問題ではない。障がい者という限定された対象のなかでさえ、ニーズは多様であり、複雑なわけだ。

 

このような「切り刻まれたニーズ」に対して、公務員の数が限られている日本の福祉国家ではほとんど対応不可能だ。政府は、だれかを特別扱いできないから、だれにも何もしないという選択をしがちだ。だからこそ僕は、個別ニーズにたいして、きめ細やかに行政が対応するモデルを終わらせ、あらゆる人びとが必要とする生存・生活ニーズ、いわば基礎的サービスを所得制限なしに提供すること、「貧困者基準」から「生活者基準」への転換を提唱している。

 

*余談だけど、これらは「切り刻まれたニーズ」を放置しようというわけじゃない。2016年に中島康晴さんと猪飼周平さんという二人の友人との議論から学んだのは、「切り刻まれたニーズ」への対応はソーシャルワーカーなどの新たな担い手によって、より丁寧に対応される必要があるということだ。この問題は今年の僕の大切なテーマになると思う。*

 

ここでいいたいのは、だれもが受益者になり、だれもが負担者になるなかで、あらたな利害関係、あらたな社会契約を僕たちのなかに作り出そう、ということだ。

 

ダイバーシティ(多様性)は間違いなく21世紀を支えるキー概念だ。でも、共通の利害関係をもてず、価値観を分かち合うことのできない国民・社会のなかで、ダイバーシティだけを叫び続ければどうなるんだろう。個人と個人に細かく分断され、お互いが鋭く対立し合う、生きづらい社会が生まれるんじゃないだろうか。先の障がい者の問題になぞらえるなら、身体/精神/知的、それぞれの障がい者の多様性を認めたとしても、彼らが相互に対立し合う社会であっては意味がない、ということだ。ダイバーシティを「放置することの言いわけ」にしてはいかんよね。

 

日本も含めて、限られた財源を低所得層や高齢者に集中させる国では、弱者への恐怖戦略が効果を発揮する。仕事のない若者、ほそぼそと暮らす高齢者の不安を煽り、社会への絶望をかりたてることで、大きな変化をうながすことができる。このような動きと向き合うためには、情動的なもの言いにたいして、財政を基盤とした強固で社会的な利害関係を作り出すことが大事だと思っている。

 

2016年は多くの現場のみなさんと触れ合うことのできた一年だった。それぞれに主張があり、それぞれに想いや苦労を抱えるなかで、現場のみなさんは目の前にいるその人の幸福のために考え、闘っている。一方僕は、メディアへの露出が増え、色んな人からちやほやされるようになった。明らかに過大評価だと思うし、むしろ自分の無力さばかりが思い出される一年となった。

 

だけど、それでもなお、自分にできることは何かを考えたい。個々の努力が多様性のなかに埋もれてしまい、それぞれが他の領域に無関心になり、大きな方向性が見失われたとき、そのときこそ、ポピュリズムの出番だ。「そこにいる人への眼差し」と「社会にひらかれた眼差し」が結びついたとき、「この人の痛み」が、「まだ見ぬ人への想像力」へとひらかれたとき、きっと今日よりもちょっとだけ生きやすい明日がやってくるだろう。

 

僕にその力があるのかはわからないけれど、同じ方向を見つめながらも、想いを分かち合えずにいる人たちの架け橋となる、そのための論理を今年は徹底的に考えていきたい。みなさん、今年もいろいろ教えてください。

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