妖精はいるのかな?
息子は、サンタクロースの存在を疑いつつも、なんとなく信じている。
いると証明できないこと
は、
いないことの証明にはならない、
と気がついたらしい。
えらい。
それで、歯が抜けると、歯の妖精(ツゥース・フェアリィ)が来るかなー、どうかなー、と思っているようだ。が、先日、いきなり言った。
「もうさ、歯の妖精は歯を取りに来てくれないから、おとうかおかあがお金くれる?」
歯の妖精は子供の乳歯を取りに来て、代わりにお金を置いていく。
「辛抱強く、歯の妖精が来るの待ったらええやん」
「こないもん」
「そのうち来るって。最近な、妖精の世界もなかなか不況らしくてな、かなりの妖精が首になったらしいで」
「・・・」
「そやから、なかなか歯を取りにこれへんみたいやねん」
「・・・うそだもん」
「なんでやねん?」
「歯の妖精なんかいないのしってるもん」
お、ついに言ったな。
「あーあ。妖精がいいひんって言ったから、お前さんのとこに来る妖精は死んでしもたわ。もう来いひんわ」
「うそだもん」
「なんでわかるねん」
「この前歯が抜けたときに来たのはおとうだったもん」
「それが、妖精や」
「違うもん。妖精は小さいかわいい女の子だもん!」
「あ・・・お前・・・アホやな。妖精のほとんどはおとうみたいなおっさんや。」
「そんなのやだー」
息子が嫌がります。そして、だんなも
「そんなのやだー。妖精は、ティンカーベルみたいに、かわいい女の子で、きれいな羽があって、ミニスカートはいて・・・」
はい、ここで、教育的指導、入ります。
「君たちねえ。君たち、ディズニーとかに毒されすぎや」
いったい誰が妖精はかわいらしい女の子やっていったんや? それこそ、ほんまに妖精を見た人がおるんかいな?
だいたい、ああいうイメージは男の人が、
「妖精はかわいい女の子がええなあ、どへヘ・・・」
とかいいながら作ったもんや。そんで、女の子はみんな妖精みたいにかわいらしくしてて、男の子に媚売って・・・みたいなイメージを作るんや。それで、小学校やら幼稚園やらの芝居では、男の子が冒険する役をして、女の子はかわいらしい妖精の役をして・・・。
それで、それがそのまま、女の子はかわいらしいもの、ミニスカートはいて、みたいなイメージ作って、男の子は・・・って言う、思い込みを作るんや。
そんなんおかしいやん。
女の子はかわいくないとあかんのか? 妖精みたいにかわいくないと女の子やないんか?
なんで、三匹のヤギがらがらどんで一番大きいヤギは女の子やったらあかんの?
妖精におっさんがおってもええやん。
神様が年食ったじじいやなくてもええやん。
「じゃあ、おかあは、おとうみたいなおっさんの妖精が来たらうれしい?」
「・・・うーん・・・そやなあ・・・」
わたしは、妖精なんだったら、
やっぱり、色っぽい50歳くらいのハスキーボイスの大人の女の人が・・・(をい)。
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追記:
ちなみに、妖精がかわいい女の子で、天使がかわいい男の子、というのは19世紀くらいに定着をしたイメージのようです。それ以前のものを見ると、天使はけっこう大人のおっさんっぽい人がいたり、妖精もじいさんがいたりしますね。
もちろん、注意深くみていると、型にはまったイメージではない妖精や女の子も常に出てきます。
バベット・コールはわたしの好きな絵本作家です。彼女の絵本に出てくる女の子たちはちょっとずれていて、ユーモアがあってわたしは好きです。彼女の本の中で
という本があります。これ、だいすき。女の子は結婚せんでも、怪物とかと楽しく生活できるねんって言う話。
そういえば、ディズニーのムーランも、そういう意味では冒険する女の子の話だったけど。結局は結婚して女の子に戻って幸せになるあたりが・・・うーん。やっぱり、結婚かよって思っちゃいます。
それと同じで池波正太郎の「剣客商売」に出てくる女の人(名前忘れた)も、かっこいいんだけど、結局は結婚するしねー。それで、女装に戻るし。
不思議なことに、女の子は美人でおしとやかでなくてもいい、という話は多いんだけど、なぜか、「そうでなくてもいい」ということの証明に、
幸せな結婚をしました。
という結論になるのは何ででしょうね。結婚だけが幸せのゴールかい?
そうそう、同じ、バベット・コールの本で
は、けっこうお気に入り。第二次性徴がはじまる直前の子供に読ませる性教育の本です。明るくて、前向きで。息子が10歳くらいのときに買い与えたんだけど、すごく真剣に読んでいて、しばらくいろんな友達が出入りをしてはみんなで読んでいました。