民鉄の覇者 東京急行電鉄 57、野球事業 | 犬と楽器と鉄道模型

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実は野球チームに関しては東急は戦前に既に持っていた。
理由は「応援する事での社員の鼓動、一致団結を図ろう」と言うものであった。

しかし実態は阪急の小林から協力する様、指示されていた事もある。

それでは当時の野球チームを表にしてみよう。

※ 各リーグ6~8球団もあったが6球団で統一する。

セ・リーグ


パ・リーグ

 

何と鉄道会社が多い事だろう。

実はこの時期、小田急電鉄も参入する予定でいた。
これは五島との付き合いもあった事が大きかったのだろう。

もし、小田急が参入していたら本拠地は相模原球場となっていたであろうか?
ちょっと残念な話である。

少し後の事になるが、王・長嶋を抱え他の選手も粒揃いであった無敵時代の巨人。
川上監督は寝ていても勝てると言われていた。

それに対抗出来るパ・リーグの球団は・・・

ベテラン投手の米田や梶本、ルーキーの山田。
両リーグ最速の男、福本。
大杉と並ぶ本塁打王のスラッガー長池を抱える阪急だけであった。

ちょっと話がソレてしまったが、現在のプロスポーツは野球だけで無くサッカーやその他のスポーツも盛んである。
現プロ野球には当時の民鉄の面影は薄い。

しかし、プロ野球発足時から盛り立てて、日本のプロ野球を育て上げたのは民鉄だと言っても過言ではないのである。