6.6.16…「お雛様・因果」⑨


昨日(15日)は、私の周りの縁の深い方の月命日が、重なります。

先ず父、元夫の義父、母の弟、そして、私の弟が亡くなった時に分かったことですが、母方の曾祖父です!

その「因縁」の不思議について、書かせていただきたいと思います。


先に書いたお雛様を孫のために用意してくれた母方の祖父ですが……

残念ながら、祖父以前の家系のことは、聞いたことがありませんでした。

父は養子でした。母は早くに結核療養所に隔離されて、あと二ヶ月という時に家に戻りました。

このことは拙書にも記しています。祖父たちも先に書いた様に東京へ戻っていたのですから、幼かった私は、誰からも聞いていなかったのです。


母は小学校6年の時に亡くなり、その後、中学2年の時に父は再婚しました。養子でしたから、当然ながら、母方の祖父たちとの縁は疎遠になっていきました。

その後、当然、祖父も叔父も亡くなっています。

それから四半世紀以上の長い年月が流れました。


ただ、その時に、今振り返ると不思議なことがありました。

私が元夫から逃れて家を出た時に、ほんの一時、東京に住む母の姉(伯母)のところへ、身を寄せたことがありました。

その時に、「品川の日蓮正宗のお寺に母のお骨を一時預かっていただいたことがある」と、話した時です。

「そのお寺は知っているよ。」

「何で知っているのですか?」

「私(伯母)のお祖父さんのお骨を葬っているお墓があって、お墓参りしたことがある。」

というのです。


その時は、未だ私が日蓮正宗の信心に戻っていなかった(辿り着いていない)時でしたので、何気なく聞き流して、しかし、何か不思議だなぁと心に残っていました。


それから一年後、家を出て独り立ちして生活を始めて、心が少し落ち着いて来た時でした。

息子の悲しい顔を見た時に、私の母親としての不甲斐なさを思い、親への思慕が募りました。

両親は、日蓮正宗総本山大石寺の納骨堂に、お預かり頂いていました。

その時、今まで20数年間両親の供養もしていなかったことを悔やみ、供養をしたいとの気持ちが込み上げて来たのでした。

そして、一時預かっていただいていた品川のお寺へ足を運んだのでした。

そして、日蓮正宗の信心に辿り着くことになったのです。

そのことは、拙書に書かせていただいています。(続く)