鬼門というとネガティブな方位の印象がある。確かに、鬼門に玄関や出入り口があると、禍事が起こって不幸な目に遭う、とそう言われてきた。鬼門についての問題は建物などの配置に配慮されてきた。それが家相である。迷信の類と片づける向きもあるが、経験的に鬼門に出入りする玄関やトイレや浴室などの水回りを配置すると、不安定な問題が起きやすい。
 それには、太陽の日差し(熱)と水の関係性が方位によって差異が生れるという論理的な理由と、伝統的に禁忌されてきた文化的、心理的な理由がある。そしてもう一つ、物質の背後のエーテル的要素、いわゆる太陽が発する氣エネルギーの時間的理由を考えることができる。
 鬼門方位は、エネルギーが強いという人がいて、どうもそのエネルギーとは、物質の上位元素、エーテルや氣という微細な超物質のことを差している。

 吾野緒濫人も、そんな妄想をしている一人である。
 住宅や商店なら、太陽光線と熱が建物の方位分けされたところで、どんなふうに作用しているかが、明らかだ。東南や南は、ほどよい太陽熱で満たされる。が、南西は季節によるが熱が過剰となる。逆に、西北や北は太陽からは遠いが、安定している。そして東北方位だが、ここは南西の間逆で、一番冷え込む。しかし、東方から微量な太陽が差し、中途半場で不安定だ。こういうところに水回りは、湿気がこもり細菌が発生しやすく、不衛生な環境の温床となる。
 これが、論理的に納得できる家相の説明である。だから、家を造るなら、鬼門エリアには水回りだけは避けようとするのが生活の智恵というものである。
 家相の鬼門の禁忌ルールには、玄関や通風を設けてはいけないというのがある。その理由としては、湿気がこもりやすいところなので、外部から人が出入りしたり、窓を空けたりしたら雨や冷気が入り込んで、湿気による禍事を増幅するからと理由付けすることができる。が、それだけではない。
 太陽光線と水の関係の方位的な差異を論理的に説明できる家相でも、玄関や門扉からの道路からの出入りなどになると、これだけでは説得性のある説明ができない。
 そこで家相では、鬼門方位のエーテル的氣エネルギーの流入を禁忌としている。これが迷信との境界になる。
 
 さてそれでは、このエーテル的氣エネルギーが鬼門方向にあると仮定して、これが家や商店に直接入る構造を考えてみる。家相では、こんな状態になると、何が起こるかというと、たびたび変化への対応が必要となり、お金の出入りは多くなり、なにかと忙しくなると言われる。商売をするには悪くはないかもしれない。家だとしたら、リラックスしているゆとりがなくなるので、ストレスで病気になってしまうかもしれない。物事が安定しない。常に変化を余儀なくされる。商売は、一時は大儲けしても、次の瞬間に大損するのくり返し。こんな状況に、人間社会は対応できるだろうか。
 
 日本で鬼門の禁忌ルールが確立したのは、平城京から長岡京へ、そして平安京へと遷都をくり返した桓武天皇の時代だった。恐らく、文献には鬼門が問題だったとは一行も出てはいないが、長岡京への遷都で、桓武天皇は、鬼門エネルギーの恐ろしさを体験した張本人と見る。東北の蝦夷アテルイの抵抗にも苦しんだが、長岡京というその河川が合流するポイントは、経済の要衝ではあっても、鬼門方位にある琵琶湖から流れる淀川に乗じて流れ来た鬼門エネルギーをもろに食らったのが、長岡京である。そんなところで、安定した政権を発動できるわけがない。
 そのヤバさに気づいて桓武天皇とその側近の陰陽師は、さらに鬼門の上にある、平安京に遷都した。平城京は、安定はしているが閉塞的な位置にある。閉塞したところでは、人間の権力的腐敗が始まり、だれもが保身的となって発展が遅れる。
 そのヤバさに気づいて桓武天皇の才覚と革命的野心はすごい。が、長岡京の遷都は鬼門の禁忌に触れた。それを学んだ天皇は、東北の蝦夷討伐とともに、鬼門の禁忌ルールを策定し、それを平安京で実践した。
 比叡山延暦寺は、平安京の鬼門の抑えであることが、よく知られていることであるが、その背景には、長岡京の鬼門の禁忌に触れた失敗があったとは、どこにも書かれていない。大和朝廷が、鬼門の禁忌ルールを示したのは、桓武天皇の時代からだが、それは、東北鬼門方位に君臨した蝦夷に向けたものばかりではない。自然に親しむものは、すでにエーテル的鬼門エネルギーの力を感じていたはずである。

 吾野緒濫人は、山の頂上や信仰される磐座に注目していた。先般、YouTubeのTOLAND VLOGのチャンネルで、熊本の阿蘇カルデラの西南あたりにある、押戸石という遺跡群があることを知った。縄文時代ごろの、ストーンヘンジのような遺跡である。人工的に、阿蘇火山の火伏せのために配置されたかのような説明があったが、その、ほぼ一直線の並びの方向は、鬼門ラインだった。
 こうして調べると、じつは日本には鬼門ラインの山の山頂や磐座、神社配置がぞくぞくと見つかる。祭事を司る神社と山や磐座はリンクしているのだ。そこに鬼門ラインというエーテル的エネルギーの方向性が利用されていると見る。

 富士山にも、鬼門ラインがある。
 これは、Google地図に、富士山頂上から45度の鬼門と裏鬼門の方向の分割線を書き込んだものだ。

 



 重要な神社、北口富士浅間神社と本宮富士浅間神社の位置関係は、富士山頂を起点に見事な鬼門方位に配置されている。一番登山者が多い、吉田ルートは、富士山の鬼門方位から霊峰に一直線に登頂するわけである。強力な霊的鬼門エネルギーが作用しているはずだ。

 この前に、海抜0メートルから登頂した登山女子、あどちゃんの百名山の登頂記録をこ紹介した。この登山ルートは、西南エリアからややよじれながら頂上を経て東北方向の吉田ルートを下る、まさに富士登山の鬼門ルートそのものである。