わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力
によって 驚くべきものに造り上げられている。御業が
どんなに驚くべきものか わたしの魂はよく知っている。
秘められたところでわたしは造られ 深い地の底で織り
なされた。あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。

(詩編 139:14-15)

 

 

 

教育心理学においては『遺伝』という言葉が、親からの継承性や

生涯変わらない普遍性を連想させる事から、これまで遺伝要因の探究

はタブー視される傾向にありました。この遺伝を強調する事により

必然的な悲観的宿命論に結び付いてしまい、一般的な教育上では

不都合なため低評価なまま等閑にされてきたと。本来、様々な人間の

成長過程においては、それぞれの異なる遺伝的性向があるわけで、

遺伝的影響の性質を探求し教育的な知見を得る事は意義があるはず。

 

 

 

 

 

 

知能の個人差に着目する場合には、遺伝要因の個人差と環境要因の

個人差を共に考慮する必要がありますが、遺伝要因と環境要因を

分離不能な「アマルガム」であると捉える『相互作用主義』が、

このような問題設定の区別や整理の可能性を覆い隠しているのでは

ないかと言われています。この相互作用主義に支えられているが故に、

日本においては心理学的形質の遺伝研究が軽視されてきました。

その反面、顕著なのは双生児状況や双生児間の差異に関しての研究。

 

基本的な構造として、遺伝子とはタンパク質の生成に関わる情報を

担う『DNA』の事で、人は約25000個の遺伝子を持っており、DNA とは

デオキシリボ核酸の略称で、A(アデニン)T(チミン)C(シトシン)

G(グアニン)という4種類の塩基から成っています。遺伝子のDNAを

全て合わせると、塩基が30億個程も繋がりを帯びた鎖状の超巨大分子。

2重螺旋の構造をしており、糸状として折り畳まれ凝縮した 23対46本

の『染色体』が、それぞれの細胞の核の中に収納されています。

 

※ 私達の遺伝情報は30億の塩基対に書き込まれている =『ゲノム』

 

3塩基(トリプレット)が、1つのアミノ酸に対応する単位(コドン)

となり、そのアミノ酸の特定配列が生命を作るタンパク質に成ります。

コドンを成立している3塩基の組み合わせは全部で 43 = 64 あり、

それらが作り出すアミノ酸は僅か20種類と言われています。幾つもの

トリプレットが、如何なる種のアミノ酸に対応するのかを表したのが

以下のコドン表です。人間には独自独特なる遺伝子の個性があり、

遺伝子的な組み合わせの多様性は計り知れない程の次元に及びます。

 

 

 

 

 

 

先述した双生児に関して「一卵性双生児」というのは、1つの卵から

生まれた双子の事で「二卵性双生児」というのは、2つの卵から生ま

れた双子です。一卵性と二卵性の比較を検証する際に見られる遺伝的

影響や、類似性の差などの研究を指していると思われます。人の行動

を司るものが脳だと考えれば、脳の解剖学的な構造において等しい

一卵性双生児の比較が必要になり、脳を MRI 画像で撮影した写真を

私も見ましたが、確かに皴や脳室の形、神経線維の模様も似ています。

 

※ MRI とは磁気共鳴画像の事で 強い磁石と電磁波を利用し、人体を

  任意の断面(縦 横 斜め)で画像表示が可能な検査『X線』不使用

  なため放射線被曝の心配が無いとされています

 

更に科学的な確証へと導くためには、一卵性と二卵性の類似性を比較

した統計的なエビデンスが重要となりますが、実際に双方の知能や

学業成績、才能、パーソナリティなど様々な形質に関しての類似性を

相関係数とした表を確認すると、やはり二卵性に比べて一卵性の方が

遺伝的影響を強く受けている事が理解できます。面白いですよね。

この他には、共有環境と非共有環境との相違関係にまで研究は及び、

いずれにしても、人という生物は遺伝子的影響を緻密に受け継ぎます。

 

①共有環境(親 家庭内など) 

②非共有環境(親 家庭 以外との人間関係)

 

ヨーロッパや特にアメリカにおいては、心理遺伝の研究が引き続き

現在に至るまで盛んに成されており、近年の流れにおいて顕著なのが

『行動遺伝学(Behavioral Genetics)』という枠組みの中で統一的

に扱われてきました。特筆すべき点は次の3つで、(1)個人差への関心

(2)遺伝と環境の両方への関心 (3)発達への関心 が課題となります。

行動遺伝学においての「特殊認知能力」というのは、知能の下位因子

の事で、言語や空間、記憶や推論、知覚速度などを指しており、

関心となる点は、因子毎に遺伝率が異なるか否かという問題です。

 

※ 因子(factor)とは一般にある物事の原因を分類した各要素

 

現代の人間行動遺伝学の諸成果より導き出される点において、

遺伝というのは冒頭で述べた継承性や普遍性を意味するよりも寧ろ、

積極的に「個性の源泉」或いは環境に対する「自律性」として解釈

できます。即ち特定の時間内で与えられた知識や技能の習得における

相対的な個人差において、遺伝的な差が反映されると。何かを個人が

学習する過程では特有な遺伝的メカニズムが関与しているとされます。

つまり環境刺激を自らの遺伝的素質に照合して構成していく行為。

 

〈 HUMAN BEHAVIORAL GENETICS AND EDUCATION 〉

 

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjep1953/40/1/40_96/_pdf

 

私が若い頃に読んでいた長編小説で、19世紀ロシアの文学作家による

『Tolstoy /トルストイ』が創作した『アンナ・カレーニナ』という

作品には興味深い記述が見受けられます。「幸せな家族はいずれも

似通っている。だが不幸な家族にはそれぞれの不幸な形がある」と。

豊かな家庭の子供は自由に環境を選択できるため、遺伝的素質が発現

し易くなりますが、貧しい家庭の子供は家業を継ぐ傾向にあります。

(教育を重要だと考えている親でも子供に投資する余裕が無い)

 

このように家庭環境の違いで「遺伝率が下がる」という話です。

知能の遺伝率が年齢と共に上昇するのは20歳位迄と言われており、

幼児期は親の育て方や家庭環境の影響が比較的に大きく、遺伝の影響

こそ顕在化していませんが、成長するに連れて個人の遺伝的素質に

合わせた環境を選択したり(遺伝と環境の能動的相関)周囲の友人や

大人達との関わり(遺伝と環境の誘導的相関)が増える事により、

個人に宿る本来の遺伝的素因が表面化してきます。(遺伝の顕在化)

 

一般的には、個人が成長するに従い学校や社会からの様々な刺激を

受けるが為に、環境の影響が大きくなると考えますよね。しかし実は

遺伝的素質が顕在化してくるのです。教育の現場に携わる先生方の

間では表向きな「教育幻想」が常識化している故に、遺伝の真実性を

公言はしません。更に早期教育や英才教育に親が過熱する事に関して、

必ずしも報われるとは限らないそうです。(幼児期は遺伝より環境)

 

例えば小学校時代、必死に勉強して難関中学に入った子供が、殆ど

勉強を怠けていた他の子供達に忽ち追い越されてしまうケース。

後者は「地頭が良い」と評価されがちですよね。然しながら真相は

追い越した子供達の遺伝的資質が徐々に表面化したという状態であり、

元々の生まれ付きな素材が周辺環境の刺激により磨かれた結果として

頭角を現したのです。対照的に早期英才教育を施されてきた子供が

意外に成果が出ないという現象が起きます。即ち遺伝資質が原因です。

 

以下の「図8」「図9」を参照して頂くと、全ての心理的・行動的特徴

に遺伝の影響があり、特に顕著なのが「一卵性」や「非共有環境」。

 

 

 

 

 

 

上記以外にも様々な研究結果がありますが、行動遺伝学の3原則

として纏められたもの(Turkheimer,2000)が以下になります。

 

①あらゆる心の動きには遺伝子の影響がある(遺伝の普遍性)

②家族が似るのは環境を共有するからではない(共有環境の希少性)

③環境の影響は家族内でも皆それぞれ異なる(非共有環境の優位性)

 

私の実体験として若い頃の話を引き合いに出すと、ピアノという楽器

を19歳から習い始めました。世間的には非常に遅いスタートですよね。

然しながら(上手か下手かは除くとしても)10年後には取り敢えず

ショパンの作品(上級レベル)を弾けるまでに上達しています。

しかも練習を苦痛に感じた事がなく、これは明らかに遺伝的な資質が

起因しており、優れた教師にも恵まれた為に遺伝の顕在化が実現。

周囲の環境と遺伝的資質が見事に適合したが故の典型例なのです。

 

※ 親戚の姉はピアノ上級者 学校では音楽の非常勤講師

  美術(絵画)は祖父(寅次郎)の遺伝的資質が発現

 

Eiki Ozawa

 

藤沢市小学生コンクール展入選広島旅行

藤沢市展入選 美容室ミュウ展示所蔵

居酒屋向日葵湘南台店所蔵 喫茶ベル展示所蔵

画廊喫茶シャトル個展 はる画廊グループ展

バレエ音楽スタジオ展示販売会(その他多数)

東京都上野自由美術展入選2回

日本美術展覧会(日展)出品1回

作家ハプスブルク宮廷芸術会員 島田勇に師事

祖父は画家 小澤寅次郎 フランス渡航 昭和の有名

時代劇俳優 片岡千恵蔵の肖像画制作(その他多数)

 

 

〈 芸術作家 ISAMU SHIMADA 思考絵画展 〉

 

 

 

先述した「知能の遺伝率が年齢と共に上昇するのは20歳位迄」という

説すらも、私個人的には超越する可能性があると確信しています。

要するに何事も遅過ぎる事はないと。その個人に宿る遺伝的資質が

潜在的に眠り続けていた可能性があるわけです。スポーツ系などの

肉体を酷使するような類は、さすがに年齢的な問題もありますが。

近年の研究における行動遺伝学では、以下のような結論に至ります。

 

(1)学業成績は55%が遺伝する

(2)論理的推論能力は68%が遺伝する

(3)一般知能(IQ)は77%が遺伝する

 

これは即ち一般的な学力の凡そ「6割」が『遺伝』に起因しており、

数ある説を見渡しても似たような数値が並びます。残りの「4割」が

『環境』であり、最後の「1割」が自らの『努力』です。やはり環境

というのも子供が自ら選択する事は難しい事に加えて、更に努力を

維持する限界値を司る能力さえも遺伝が影響します。簡略すると

人の学力とは『90%』程が統制外の要因であり、社会通念において

「学力だけは皆公平」とするのは不可解であり矛盾が生じるのです。

 

知能(IQ):6割 + 環境:4割 +α 努力:1割

 

この私に関して言うなら、先述した4割(環境)が幼少期から小学生
時代に及び致命的でした。然しながら6割(遺伝的学力)に関しては
事実として小澤家は優秀な部類に入るため、もし仮に「別の自分」を
描くなら『湘南高校 → 早稲田大学』という筋書きも有り得たのです。
親戚の兄が早稲田の受験当時では、私の自宅に寝泊まりしながら親父
が勉強を教えており、当時の私は中学生でしたが、勿論、私の複雑な
内情を親戚の兄は知りません。(小澤家の先祖は武田信玄24将の小幡氏)

 

※ 親父:早稲田法学 親父の兄:慶應経済 親戚の兄:早稲田

 

親戚の兄は『朝日新聞 (本社)』の社会部次長として勤務しており、

名前は『佐々木隆広』です。私の母親の旧姓が佐々木。母の兄貴の

長男にあたります。数年前に祖母が他界した時、葬式の場で数十年

ぶりに兄と再会して、喫煙所で懐かしい思い出話をしたのです。

そのため私は現実的な兄の立場を知るが故に、大手メディアの真相

に触れる事が出来ません。やはり複雑な心境に陥るわけです。

たとえ私の記事内容が物事の真髄に迫るクオリティだとしても。

 

調査報道大賞⑤国家によるデータ改ざんをどう暴いたのか 大賞/全体総括|スローニュース旧公式サイトです。新サイトを御覧ください (note.com)

 

 

 

 

少し視点を変えて言うならば、親戚の兄と私の関係性というのは
『遺伝学』にも繋がります。兄は新聞記者ですが、この私が記事を
書く性質と似てますよね。調査報道を志す兄の思考と、物事の本質
を見抜こうとする私の思考とが見事に一致します。葬式の後は兄の
実家に訪れて、玄関前で兄と握手をして別れたのが最後の場面です。
本上さんの記事でも触れましたが、祖父は短歌や俳句を書く人で、
勤勉な読書家。2014年当時には『朝日新聞』の取材を受けています。

 

 

 

 

小澤家の家系図を戦国時代まで辿ると『武田信玄』の幹部(武将)
に至ります。生前の祖父が家系図を紐解きながら厳密に調べており、
つまり『武田信玄公 24武将 小幡山城守虎盛』の子孫であると。
「小幡山城守虎盛」の息子は「小幡豊後守昌盛」という人物で、
私の祖父(寅次郎)の名前は上記の「虎盛」(虎 → 寅)を
代々受け継いできたと考えられます。事実として寅次郎の生家は
物凄い大金持ちの庄屋で、家事使用人を大勢雇っていました。

 

※ 武田二十四将 (武田信玄に仕えた武将のうち 後世に於いて
  講談や軍記などで一般的な評価が特に高い24人を指している)

庄屋(しょうや)の多くは、武士よりも経済的に裕福であり、
広い屋敷に住みながら広大な農地をも保有しており、文書の作成に
携わるという仕事柄で、村を代表する知識人でもあったのです。
江戸時代に庄屋を務めた家系は元々が名門家系である事が殆どで、
戦国武将の有力な家臣が江戸時代に入り庄屋になった事例が数多く
見受けられます。ベビーカーに乗せられた幼少期の寅次郎は、
日傘を差す女中を両手に抱えていました。おぼっちゃま君ですね。

 

 

 

 

 

 

戦国時代の武器(槍や刀)と思われる家宝が蔵の中に沢山収めら
れており、その地域の土地は殆ど小澤家が独占していました。
寅次郎の青年期にはフランスに留学してますが、当時に於いては
世間的にも非常に珍しく稀な出来事。それ位に裕福な家系であった
事が伺えます。到底、一代で築けるような資産ではないのです。

寅次郎は静岡県の出身。そこで私がネット情報を精査したところ
『小澤周平(1860-1915)』という人物を発見。この小澤周平は
現在の静岡県掛川市本郷に所在した庄屋『小澤八太夫』の娘と結婚。
つまり婿養子ですね。記述によると小澤八太夫の屋敷跡というのは
11,550㎡(3,500坪)にも及ぶ土地であったと。小沢家屋敷と長福寺
という記事内容では規模の大きさが伺えます。勿論、小澤八太夫の
庄屋と寅次郎の庄屋との関係性は不明。土地面積としての推測です。

 

 

〈 小澤周平(1860-1915)PDF 〉

 

https://www.city.fukuroi.shizuoka.jp/material/files/group/84/01.pdf

 

 

〈 小沢家屋敷と長福寺   小沢屋敷の規模の大きさ 

 

 

 

やがて寅次郎の親父が何者かの保証人になったが故に、巨額な負債を
被り財を全て失いました。おそらく保証は複数人に及んでいたはずで、
そうでないと莫大な財産を全て失うという事態には陥りません。
戦国武将の有力な家臣が先祖であれば人望や信頼も厚いはずですが、
利用されて騙された可能性が高いですね。寅次郎の親父はお人好しな
性格でした。これらは全て私の親父が寅次郎から直接聞いた実話です。

若い頃の私は寅次郎が遺品として授けてくれた絵筆を手に取り、
画業に専念していたのです。つまり私(Eiki Ozawa)は『武田信玄公
24武将 小幡氏』の血統であり、筋金入りの子孫なのです。遺伝学にも
通じる要素なので書きました。家系の経緯を遡る事で様々な遺伝子的
資質が受け継がれている事に気付きます。まさに 風林火山 ですね。

 

ついでに情報を精査したところ『小澤酒造』という老舗を発見。
東京都青梅市を拠点にしており、23代当主にあたる小澤幹夫さんが
小澤家の歴史について解説されています。やはり武田信玄の家臣を
取り上げてますね。(先述した小幡氏)という事は、この幹夫さんと
私は遠い親戚かもしれません。だから私は無類の酒好きなのか(笑


〈 東京を拠点に活躍する老舗 小澤酒造 / 日本酒 澤乃井 〉

 

 

 

小澤家のルーツも様々ですが、かつて鬼虎と称された猛将『小幡
山城守虎盛』(武田信虎 武田信玄 の2代に仕えた) を基にした
子孫達が日本各地に生息しており、その遺伝子が脈々と後世に
まで受け継がれていると。‎小幡虎盛という武将は『武田の五名臣』
にも選ばれていた人物。(武道に優れた5名) 『山本勘助』も並ぶ。
先程の小澤幹夫さんや私も含めて、まだまだ探せば見つかるで
あろう小幡虎盛の子孫達。公言しないだけで意外と身近にいます。

 

 

そこで『Behavioral Genetics / 行動遺伝学』についての考察では、
先程の論文にも記載があるように「遺伝と環境の相互作用を前提と
したとき、遺伝が環境の相互作用の在り方に影響を与えた結果として、
その個体独自の能力やパーソナリティが育つ側面は無視できない。」
という事ですが、加えて『境界例』との併せた考察も必要であり、
精神疾患に於いては遺伝性の影響を確実に帯びているはず。先程の4割
(環境)に亀裂をもたらします。如何に環境が幼少期に重要であるか。

 

 

 

 

 

 

記述には「遺伝子型 環境間相関」という概念が見受けられますが、

主に受動的、誘発的、能動的の3つに分類されると。中でも受動的

相関というのは、遺伝的な関係に置かれる親などが子供の遺伝子型

と相関のある環境を与える傾向を示すもので、例えば知能の高い親を

持つ子供は遺伝的資質と共に、より知的刺激に富んだ環境を与えられ

易い傾向などを指します。誘発的相関というのは、子供の遺伝子型が

発現された状況を通じて、他者から特別な反応を誘発する傾向など。

 

つまり、生まれ付き知能水準の高い子供が、周囲の大人達から期待を

寄せられる事で知的刺激を引き起こすという事例があるわけです。

更に能動的相関というのは、その個人が遺伝子型に調和する環境に

自ら働きかける経験を構成しようとする傾向を指します。これは即ち

知能水準の高い子供ほど、自分の頭脳を使い行動を起こし易いのです。

自ら進んで読書に明け暮れたり、或いは疑問点などを改善する為に、

大人達に歩み寄るという行為が自然な常態として見受けられます。

 

先述した1割(努力)にも通じますが、紛れもなく遺伝的資質が影響

しており、生まれ付き脳内にプログラムされている忍耐性や、情報

などを取り込むキャパシティにも各自限界があるかもしれません。

知識に対する充実が満たされないと枯渇感を覚える遺伝型の人間は、

おそらく勉学に貪欲なはずで、環境面さえ整えば遺伝的資質を可能な

限り開花させます。初めから備わっている才智が別格であるが故に、

周囲の子達よりも優秀に映るわけです。(遺伝的資質 + 努力)

 

そこで連想的に思い出す人物というのが、学生時代の同級生にあたる

小説家の彼です。他の街から転校してきた当時の彼は小学生でした。

物凄く頭の良い子が来たと噂になりましたね。既に小学生時代から

跳び抜けている子供は、高確率で遺伝的影響を発現しているはずで、

彼の家系について私は知りませんが、推測として両親や祖父母などの

誰かしらに能力優秀な家族がいるでしょうね。クラスは別でした。

 

やがて中学に上がると同じサッカー部員として帰り道を共にする仲

でしたが、思い出す事は授業の休憩時間になると必ず彼がベランダに

出て『谷村新司』を熱唱。これを切っ掛けに彼とは意気投合しました。

実は親父の影響で私も聴いており、まさか彼が歌い出すとは思わず

驚愕したわけです。中学卒業後の彼は湘南高校を経て京都大学へ。

学生運動の傍ら小説を書いている事を言伝により私は聞いてました。

 

私が特に好む谷村新司さんの作品は『群青』。

 



空を染めてゆく この雪が静かに
海に積もりて 波を凍らせる
空を染めてゆく この雪が静かに
海を眠らせ 貴方を眠らせる
手折れば散る 薄紫の
野辺に咲きたる 一輪の
花に似て 儚きは人の命か
せめて海に散れ 想いが届かば
せめて海に咲け 心の冬薔薇

 

 

約20年ぶりに昔を懐かしむ想いで、互いにお酒を飲みながら電話で

喋りましたが、どうやら彼は長期間に及び鬱病で苦悩してきたと。

精神構造なのか思考回路なのか感性なのか、適当な言葉が浮かび

ませんが、中学生時代から彼は私の内面性に似ている部分があり、

典型的な右脳型で芸術家肌の属性です。かつて高校生時代の彼が

アルバイト中に休憩していた私の姿を見つけて近寄ってきた時に、

進路的な悩み事を語り始めたわけです。それを未だに覚えてますね。

 

 

〈 大谷良太 RANGAI 創作の遊び場 〉

 

 

 

いずれにしても、遺伝的資質による個人の影響差は歴然としており、

この人間社会における「個性の源泉」を意識する事は大切なのです。

パーソナリティの多様性が重要な意味を持つという認識を、更に多く

の人々が自覚することで、学校教育の観点においても今以上に再評価

されるべきテーマである事は確実ですね。個人能力の差だけに注目

するのではなく、遺伝的資質を顧みる事で改めて「自己を知る」

という発見に繋がり、可能性の幅や限界値を知る事にも繋がります。

 

 

 

 

 

 

そこで、私個人的には大学不要論派なため、現代において大学機関

の本質的価値というのは「箔付け」に過ぎないと思うのです。つまり

学生の立場で言うなら就職先に向けた片道切符ですよね。豊富に情報

が溢れた社会では、個人の才智次第で幾らでも学習が可能なわけで、

各専門分野の論文まで読めるわけです。こうして実際に私は様々な

情報を精査しながら記事として纏める作業をしており、しかも現在は

大学全入時代とも言われる始末。つまり大学に肝心な希少価値が無い。

 

奨学金を全学生の半数程が活用していると聞きますが、借金ですよね。

Fランク大学(偏差値35未満及び定員割れ)が云々の話も顕著です。

相変わらず企業側が大卒採用一辺倒なため、取り敢えず通う学生も

多く含まれているはずで、この教育構造自体が私は異常だと思います。

大学に通った事が無い私が述べるのも説得力に欠けるでしょうが、

高校さえも必要ないと私は考えています。専門学校が有れば十分だと。

義務教育は妥協するにしても、詰め込み型の暗記学習は何も生まない。

 

日本の教育制度は明治維新以来から全く変化しておらず、2002年から

導入された「ゆとり教育」では、逆に子供達の学力低下を招いており、

反省して2008年に告示された学習指導要領では内容が増強されて、

授業時間の10%増などが盛り込まれました。その結果として更に多く

の知識を詰め込むだけのカリキュラムが組まれています。故に教師が

年度内に消化しようと焦るが為に、効率的に教え込む傾向が見られ、

つまり悪循環を招くわけです。これでは子供達の頭脳が働かない。

 

 

 

 

上記の著者も書いてますが「情報をいくら集めても、それだけでは

何も生まれません。集めた情報を自分の頭で考え直すことで、新しい

アイデアが生まれるのです。」更には「中学入試や高校入試に問題数

が多過ぎるため暗記力を測るための試験に陥る。」という事です。

ワクチン接種者数が世界的に眺めても上位にランクした日本ですが、

これもまた思考停止した人々が多い証拠なのです。つまり周囲の子達

が大学に通うから自分も通うと。実際は遊んでるだけの生徒も多い。

 

先述した親父が大学受験した時代というのは、今よりも遥かに子供の

数が多く倍率も非常に高かったのです。勿論インターネットも無い。

そのため大学から得る情報や人脈は現代よりも意義があったはず。

ちなみに奨学金とは本来『返済の必要のない給付型の援助』の事で、

昔は一握りの成績優秀な苦学生に与えるものでした。現在とは全く

条件が異なるのです。そして偏差値60以上の学生は自習が出来ると。

つまり能力に応用を利かせれば、現代の教育制度を見抜けますよね。

 

 

 

:384年前出版のルター訳「メリアン聖書」 ルーテル学院で原本公開:

 

 

 

 

既存の教科書内容には『偽り』が刷り込まれている事実もあります。

学校の教科書というのも謂わば情報の集合体なわけで、それならば

本来、誤りを改訂する必要があるわけです。しかし現実は異なるため

情報リテラシー能力を駆使しながら真実を導き出すという作業が

最も重要になると私は考えています。更に聖書を付け加えるのです。

『情報リテラシー能力 + 聖書』という私が編み出した現代的な

独自の定義ですが、行動遺伝学と聖書学の関連性も興味深いですね。

 

冒頭に記述したダビデの聖句(詩編 139:14-15)というのは、

神が遺伝子的水準で人間を司り支配している事に対する畏敬の念を

表明しています。DNA が発見されたのは1900年代中期ですが、科学者

が遺伝学や DNA を理解する遥か昔に、人類の遺伝暗号における神に

よる特定の設計が聖書には暗示されています。現代の遺伝学がゲノム

の謎を解き明かし続ける最中で、聖書と科学の一致に驚嘆する人達が

世界中で増え続けています。即ち神はヒトゲノムの創造者なのです。

 

 

《参考文献》人間行動遺伝学 / 慶応義塾大学(PDF)

      遺伝子は『不都合な真実』か?

      Academic Media / 行動遺伝学の残酷な事実

      幻冬舎 THE GOLD ONLINE

      大谷良太 RANGAI 創作の遊び場

      聖書は DNA について何と言っていますか?