あれからもう20年近く経つ。1997年、ウィーン・フィルが札幌にやってきた。指揮はハイティンク、曲目はブルックナーの交響曲第7番ほか。チケットは目玉が飛び出すと高かったが、どうしても聴きたくて購入し、友人と二人で聴きに行った。
初めて聴く生のウィーン・フィル。初めて聴く生のブルックナー第7番。
心ときめかしコンサートに行った記憶は、いまだに鮮明に覚えている。しかし、なぜか演奏についてはほとんど記憶に残っていなかった。幸い、当時の公演は(私の聴いたコンサートとは別の公演だったが)TV中継され、ビデオに収めた。
つい先日、久しぶりにそのテープを引っ張り出して鑑賞した。「こんなにすごい演奏だったのか」当時、なぜこの素晴らしさに気が付かなかったのだろうかと我が耳を疑った。自然体のブルックナー。虚飾を廃し、ひたすら誠実に正攻法で挑む。演奏家の存在を忘れさせ、音楽そのものしか感じさせない、そんな演奏だった。改めて聴く演奏に、ひたすら感嘆し、激しく心揺さぶられた。本物のブルックナーを聴いた気がした。

ハイティンクは、一部の音楽評論家によってとことん貶められた指揮者である。宇野功芳は、『モーツァルトとブルックナー』という著作において、「軟弱の極み」「愚鈍の固まり」と酷評し、「ハイティンクの顔を見れば、およそどのような指揮をする人であるかは一目瞭然」と誹謗している。ここまで酷くなくても、若いころの彼には「特別の才気を感じることはなかった」(中野雄『新版クラシックCDの名盤 演奏家篇』)というし、「平凡」「凡庸」と評価されていたようである。
若いころの彼の演奏は聴いていないから、私には何とも言えないが、少なくとも年を経てからの演奏を聴くと、これほど音楽を立派に演奏しうる指揮者は、なかなかいないのではないかという思いを強くする。ハイティンクは「名匠」と呼ぶべき素晴らしい演奏家であると思う。

ヤフオクに、ハイティンク/ウィーン・フィルによるブルックナー第7交響曲のCDが出品されていたので、競り落とした。1997年の録音である。到着を楽しみにしているところである。

一緒に聴きに行った友人とは、もう年賀状のやり取りをするだけで、彼の結婚式以降、会っていない。今一度、一緒にビデオを見ながらその当時を偲び、語り合いたいがはたして叶うだろうか。

ユーチューブには、ニューヨーク・フィルとの演奏がありましたので、アップしました。