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大場 豪のブログ

自由に生きる、とは

 

こんにちは。大場です。

ここに来てくれて、ありがとうございます。



 

 

 

今日も、ここから書きます。

 

 

誰かを越えたい。

 

もっと自由になりたい。

 

 

そう思っているのに、
 

なぜか途中で止まってしまう。

 

 

それは、
 

怠けているからでも、
 

覚悟が足りないからでもなく、

 

 

“越えた先”にあるものを、
 

どこかで感じ取っているからなのかもしれません。

 



「越えたいのに、越えるのを

 止めてしまうのは、

 何があるのだろうか?」


確かに、

越えるまでは、

グチや文句も言える。



やり方が違うだの、

古いだの、言いたい放題できる。



ところが、

越えてしまったら、

どうだろうか。



それが言えなくなる。


もっというと、

言われる側になることもある。



今度は自分が

やり方が違うとか、

古いとか、言いたい放題言われる。



それが不安なのか?


それとも、

誰かの背中を越してしまうと、

もう誰の背中もない。



あるのは、


とてつもない広い場所で、

どこを目指していいのかわからない、

という漠然とした不安。



基準や目標がない世界。

そう思ってしまう不安。



言い訳もできない、

引き返せもしない。


そんな境地。



そりゃあ、

そんな場所を想像したら、

不安にもなるし、

越えたくもなくなる。



文句やグチを言えるのが、

心地よくもなる。(笑顔)



そうなると、

自由って、何なのでしょう?



あなたが感じる不安は、

自由の証かもしれません。



今、誰かに文句やグチが出てくるなら、

自由ではなくて、

あなたが自由を強く求めている状態。



不安も、

不満も、

あなたを自由にする材料になる。
 

 

 

不安があるから、
 

止まってしまうこともある。

 

 

文句やグチのほうが、
 

安心できることもある。

 

 

 

だからこそ、
 

 

その不安も、
 

不満も、

 

自由へ向かう途中で生まれるものなのかもしれません。

 

 

 

今、自由ですか?



では、また明日。

 

 

 

こんにちは。大場です。

ここに来てくれて、ありがとうございます。


 

 

 

 

今日も、ここから書きます。

 

 

グチや不満って、

 

「よくないもの」

 

として扱われがちです。

 

 

ところが、
 

そこには案外、
 

“本当の自分”が隠れていたりします。

 

 

今日は、


グチを「自分を知る入口」に変える、
 

ひとつの言葉について書いてみました。

 



いつかに続きます。


グチや文句や不満が、


「どうしても、どうしても

 減らない、直らない!」


というあなたへ。



こういう言葉を

あなたに伝授します。(笑顔)



「ということは、」


を付けて、話してみてください。



もっと言うと、


「ということは、私は」が


超お勧めです。



たとえば、


「あの人は、

 いつも私の言った通りにしてくれない!」


だとしたら、



「ということは、私は…」

をつけて、



「ということは、

 私はあの人に私の思う通りに

 動いてほしいと思っている?」


となります。



視点が外に向いているのを、

自分に向けてあげる。



そうすると、

少し冷静になれたりもする。



自分の怒りの奥にあるものが、

見えてきたりする。



自分が相手に

何を求めているのか、とか。



自分の言葉で。



グチや不満があるなら、

そこには「本当はこうしたい」が隠れている。



それを知りたいなら、

うってつけの言葉です。



越えていきましょう。



そのために、


「ということは、私は…」で


自分の内側に目を向けてみましょう。


 

グチや不満を、
 

ただ否定するのではなく、

 

 

「ということは、私は…」

 

 

と、自分に返してみる。

 

 

 

それだけでも、
 

見える景色は少し変わるかもしれません。

 

 

 

自分の内側を見ることは、
 

自由への入口でもあります。

 

 

 

今、自由ですか?



では、また明日。

 

 

 

こんにちは。大場です。

ここに来てくれて、ありがとうございます。



 

 

 

今日も、ここから書きます。

 

 

「言葉にしたいのに、言葉にできない。」

 

そんな経験はありませんか?

 

 

それは、
 

弱いから、
 

臆病だから、

 

というよりは、

 

 

変化の先にあるものを、


無意識に感じ取っているからなのかもしれません。

 



昨日に続きます。


言葉にするのが、

こんなにもむずかしく感じるのは、


誰かの目だったり、

無意識のブレーキがあるから。



言葉にする、ということは

「変化する」の第一歩でもある。



言葉にすることで、


誰かを、何かを否定したり

自分自身を否定されるのでは、


と思ってしまうこともあるでしょう。



変化がこわいのは、

傷つくのがこわいから。

否定されるのも。



そういう風に想像することに、

不安を抱いてしまうから。



だから、

ためらって、飲み込む。

なかったことにする。

言葉になる前に、閉じ込めてしまう。



変化することが不安、なのではなくて


そこで傷つくこと、

孤独になってしまうこと、

があなたを不安にさせてしまう。



そういう経験があったならば、なおさら。



だからそれは、

自分のペースでやっていい。



いつかくる、かもしれないけど、

そのいつかは自分が選んでいい。



ただ、

そこに向き合おうとしている時点で、

あなたはすでに半歩踏み出しているし、



その不安を越える力がある。

不安を安心に変換できる力が。



そこは認めていいんじゃないかと、

思っています。



言葉にできない臆病者というよりも、

タイミングを計っている挑戦者のような。

 

 

もし今、
 

言葉にならないものがあるなら、

 

 

それは、
 

あなたの中で何かが動き始めている証かもしれません。

 

 

自分のタイミングでいきましょう。

 

 

 

そんな“半歩”を大事にできたら、
 

自由は少しずつ近づいてくるのだと思います。

 

 

 

今、自由ですか?



では、また明日。