こんにちは。大場です。
ここに来てくれて、ありがとうございます。

今日も、ここから書きます。
誰かを越えたい。
もっと自由になりたい。
そう思っているのに、
なぜか途中で止まってしまう。
それは、
怠けているからでも、
覚悟が足りないからでもなく、
“越えた先”にあるものを、
どこかで感じ取っているからなのかもしれません。
「越えたいのに、越えるのを
止めてしまうのは、
何があるのだろうか?」
確かに、
越えるまでは、
グチや文句も言える。
やり方が違うだの、
古いだの、言いたい放題できる。
ところが、
越えてしまったら、
どうだろうか。
それが言えなくなる。
もっというと、
言われる側になることもある。
今度は自分が
やり方が違うとか、
古いとか、言いたい放題言われる。
それが不安なのか?
それとも、
誰かの背中を越してしまうと、
もう誰の背中もない。
あるのは、
とてつもない広い場所で、
どこを目指していいのかわからない、
という漠然とした不安。
基準や目標がない世界。
そう思ってしまう不安。
言い訳もできない、
引き返せもしない。
そんな境地。
そりゃあ、
そんな場所を想像したら、
不安にもなるし、
越えたくもなくなる。
文句やグチを言えるのが、
心地よくもなる。(笑顔)
そうなると、
自由って、何なのでしょう?
あなたが感じる不安は、
自由の証かもしれません。
今、誰かに文句やグチが出てくるなら、
自由ではなくて、
あなたが自由を強く求めている状態。
不安も、
不満も、
あなたを自由にする材料になる。
不安があるから、
止まってしまうこともある。
文句やグチのほうが、
安心できることもある。
だからこそ、
その不安も、
不満も、
自由へ向かう途中で生まれるものなのかもしれません。
今、自由ですか?
では、また明日。