頼朝が鎌倉を選んだのではない。鎌倉が頼朝を選んだんですよ。頼朝は「ゴーン」なんです。 | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

源頼朝は、なんで鎌倉なんていう田舎に幕府を開いたのか? なんで花の京都に乗り込んで、そこで天下人にならなかったのか?

それは、話の順番が逆です。
頼朝が鎌倉を選んだんじゃなくて、鎌倉が頼朝を選んだんですよ。

鎌倉幕府(と後世に呼ばれるようになる組織)は、もともと関東武士団が戦って勝ち取った関東自治政府であって。頼朝は招聘された雇われ社長なんです。
だから、いいも悪いも、敢えても何もない、幕府が関東にあるのは当たり前の話です。

頼朝ってのは京都生まれの、子供の頃から後白河上皇の姉のもとに出仕していた、正真正銘の貴族です。それがウマイことに、たまたま伊豆にいた。だから、政治経験と人脈を買われて推戴されたんです。つまり、関東武士団から「関東の王様の役をやって下さい」って頼まれたから、「鎌倉殿」になったんです。
たとえばカルロス・ゴーンが日産の社長になっても、「日本は田舎だから、フランスに本社を移しマース!」とか言わないでしょ。それじゃ日産じゃなくて仏産になっちゃう。

「幕府」てのは(オモテムキは)征夷大将軍の遠征基地なんだから、京都から離れたところになきゃ、ヘンでしょ。頼朝が「右近衛大将」を速攻で辞職して、敢えて格下の征夷大将軍を望んだのは、それが「関東の王」には都合のいい肩書きだからです。
最初から、幕府ってのは「源氏政権」ではない。関東武士による、関東武士のための自治政府なんです。

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