秀吉に抜擢されて大名にして貰ったやつらは、「戦国大名」なのか?
いいえ、ですね。
「戦国大名」というのは、単に「戦国時代の大名」という意味ではなく、一種の歴史用語なんです。
室町時代には、各地の領主が「幕府から、守護という肩書きをもらっている」という権威をバックにして領国を支配していました。室町幕府の威勢が衰えたあとも、こうした権威を基礎に領国をまとめていた者を「守護大名」といいます。
ところがやがて、室町幕府に全く頼らず、自分の実力だけで領国をまとめあげ、独自の法律、独自の度量衡、独自の経済政策を掲げて、まるで独立王国のように統治する者が現れます。こうした「戦国時代に特有の領国支配方式をおこなった大名」を、戦国大名と呼ぶんです。
つまり「独立国の王様」だけが戦国大名であって、その部下が何万石の領地をもらっても、あくまで部下であり、上の命令どおり戦争して上の方針に従って統治をおこなうなら、それは戦国大名とは呼びません。
織田信長や豊臣秀吉が抜擢して大きな領地を与えた武将は、確かに「大名」であっても、独立国の王様ではなく、あくまで信長、秀吉の大方針に従って戦争をし、信長、秀吉と基本的に同じやりかたで領国を統治します。こういう者は歴史の教科書では「戦国大名」には分類されません。
これは、日本史で戦国時代はいつまでと定義するか、という問題とはぜんぜん別の話です。「戦国時代に一万石以上の領地を持っていたら戦国大名」というのは大きな間違いです。誰かの配下の武将で自主裁量権がない者は、戦国武将とは呼びません。
歴史辞典でもウィキペディアでもいいんで、「戦国大名」ってページを見てみましょう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E5%9B%BD%E5%A4%A7%E5%90%8D
戦国大名というのはこういうものだ、ってのがいろいろ書いてありますけど、少なくともこれだと、秀吉が抜擢して大名にした加藤清正とか福島正則とか石田三成とかは、ぜんぜん違うな、ってのがわかると思います。
最後の「主な戦国大名」リストにも、こういう面々は入っていません。
織田家における柴田とか明智とかも、入ってません、こいつらも一般には戦国大名とはいいません。
じゃあ、こいつらは何と呼べばいいのか。
織豊大名、なんていう言い方はありますね。
近世大名のさきがけ、という言い方もできます。
このへんも歴史用語ですから、後世の学者が分類のために考えて名づけるもので、これと決まったものはありません。
繰り返しますけど、戦国大名ってのは、一国から数国の領土を「一円支配」し。独立した軍制、外交権、経済政策、法制度などを持った独立領主を指すものです。そういう歴史用語なんです。秀吉に取立てられて、落下傘のように領地をもらい、秀吉の命令どうりに戦争したり統治したりする者は「戦国大名」とは呼びません。
つまり単純な話、上杉謙信とか武田信玄とか今川義元とか毛利元就とか、ああいう人たちが戦国大名です。それぞれ「独立国の王様」である戦国大名が二人並んだら、同盟するか、戦争するか、です。それぞれ独自の統治権、外交権を持っているからです。
加藤清正と福島正則が並んでいても、同盟も戦争もしません、上に秀吉という上司がいて、その命令どおりに働くからです。だから戦国大名とは違う種類のものです。これは敢えて分類するなら、幕府のもとにある近世大名に近い性格の存在といえます。