春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣ほしたり 天の香具山
万葉集の、持統天皇の歌です。
あれ、違うじゃん、と思いませんか。これ、百人一首の二番目にある歌ですよね。カルタ取りする人は、みんな丸暗記するわけで。そんとき覚えたのは、
春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山
ころもほすちょー、って読もんだよ、って言われて、なんで?と聞くと、そういうもんだ、って言われたもんです。昔は蝶々を「てふてふ」って書いたんだ、とか、理由になってないことを教えられました。なんでだ。
実は、百人一首バージョンは、平安時代に改作されたもの、なんですって。そういう勝手なことをしていいのか、いいんです、藤原定家だから(そうなの?)
チョー、ってのは、「と言う」が変形した言葉なんだそうで、百人一首バージョンは、「衣を干すと言われる天の香久山」ということになります。つまり、平安時代の形は、香久山に衣が干されている様子を想像してる歌だ、ということになります。
持統天皇がこの歌を詠んだ飛鳥時代には、実際に、神事に使うための白妙の衣が干されていた、らしいんだけど、平安時代にはもうそんな習慣はなくなっていて、だから「干してたと言われてる」という言い方に変えられたんだ、という説明ですが。なんでそんな勝手なことしていいのか、いくら定家だからって、という気がしませんか。
でもね、この改作、実は定家が「わかってなかったら」なんじゃないか、って。
そう思ったのは、ある本の紹介文に、こんなことが書いてあったからなんですが。
天の香久山、というくらいですから、山自体が神様です。つまり、人格があるんです。人格って変か。意志があるわけです。
その山に洗濯物の干場にしてる、ってのは、どうなんでしょうな。まあ、神聖な白妙の衣なんだから、いいのかも知れんけど。
でも、山の斜面に洗濯物を干してる様子が、離れたところから山を見ていた持統天皇から、よく見えるんでしょうかね。いくら白くたって。
で、定家は「衣を干してるところなんて見えるはずがない。これは、神聖な衣を干すほど神聖な山なんだ、っていう、概念的なことを表しているに違いない。だったら、ほすちょー。のほうがいいんじゃないか」としたんではないか。
でも、万葉集って、違うでしょう。そんな持って回ったような、チマチマした話は似合いませんよね。
持統天皇は、もっとドーンとした雄大な初夏の風景を、素朴に歌ってたはずなんですよ。
山に衣を干す、んじゃなくて、山が衣を干すんです。つまり、この白妙の衣ってのは、山がまとう衣だ、ってことです。
山がまとうような、おっきな白妙の衣、それが、持統天皇の目の前に見えてたんです。いや、心の目にじゃなくて、実際の風景として。季節は、夏です。
神の山がまとう大きな白妙の衣・・・。
雲、じゃないですか、これ。
持統天皇は、香久山の上に入道雲がもくもくと広がる風景を見て、「ああ、山の神様が衣を干しているわ」と表現したんではないか。
和歌って、けっこう、そういうもんでしょう。紅葉、ってズバリ言わずに、「からくれなゐに水くくるとは 」っていうくらいで。
どうすか。こういうこと言ってる人って、いないのかな。俺だけかな。