テーマは・・・。
「悪」。
(参加者の作品 )
ところで・・・。
「悪」って、なに?
「悪いこと」って、どんなこと?
殺人。
放火。
悪そうだよね~。
こう言うのは
分かりやすい「悪」。
でも!
親鸞さんは、こう言ってるんだ。
「善悪のふたつ総じてもて存知せざるなり」
これは・・・。
親鸞さんのお弟子さんの唯円(ゆいえん)
って人が書いた、って言われている
「歎異抄」(たんにしょう)って、本の中にあるコトバ
カンタンに言うと・・・。
「何が善で、何が悪か、ぼくは分かんない~」
・・・
困るぜ!親鸞くん。
って、思うんだけど、
コレには、彼なりの考えがあるんだ
仏教で考えると
モノゴトは「因果」なんだよね。
原「因」があって、結「果」がある。
シンプルだよね。
柿の木を植えたら
柿の実ができる
柿の木を植えて
さくらんぼはできない
これが、「因果」。
実は・・・。
柿の木だけで
柿の実はできないんだ
太陽の光や、雨が降り注いで
初めて柿の実ができる。
これらを「縁」って言う。
太陽や雨と言う「縁」に出逢って。
柿の実と言う結果がうまれる
ここで!
本題の「悪」にもどると・・・。
江戸時代に、コンナことがあったんだ。
お江戸は本郷(現在の文京区)
八百屋の看板娘、お七ちゃん。
天和(てんな)の大火と呼ばれる大火事で
焼き出されてしまいます
避難所となったお寺に、仮住まい。
が!
このお寺にいた坊主が、男前だった
お七ちゃん、恋をしちゃいます
仮住まいが終わって、お家に帰っても
思うのは、坊主のことばかり。
火事がおこれば、また避難所生活になる!
また、彼に会える!!
そう思ったお七ちゃん。
放火をおこします
結果、お縄になり、火あぶりになっちゃいます。
放火、ひいては
殺人まで犯した、お七ちゃん。
彼女は「悪」なのでしょうか?
確かに、彼女がしたことは
褒められたコトではありません。
けれども・・・。
そもそも、坊主が男前じゃなかったら
こんなコトには、ならなかったかも知れません
男前の坊主という
「縁」に出逢った、お七ちゃん。
親鸞さんは言います。
「「縁」に出逢えば、
ぼくだって何をするか分からない。
「縁」に出逢っても、
何もしないかも知れないけど。」
「縁」の中で生きているワタシたち。
それを、分かってくれている仏教
なんだか、ほっとする。
言ってること(おしえ)と実際の生活に
無理が無いもんね
自然、って言うか・・・。
と・こ・ろ・で。
最初に、わかりやすい「悪」。
って言ったのには、ワケがあるんだ
世の中には
いろいろな悪がある。
殺人や放火。
強盗に、スリや、こそ泥などなど。
確かに、それらは
立派なことじゃない。
じゃあ・・・。
そんなコトをしたコトがなかったら、善人なの?
「自分が善人かどうかは、分からないけど。
ワタシは、そんなコトはしないよ~! 」
と、思うかも知れない。
それは・・・。
「ワタシは悪人じゃない!」
と言うキモチが、あるからかもね
実は、それって・・・。
驕り(おごり)だよね
他の人を見下すキモチも、あったりして・・・。
傲慢(ごうまん)なキモチの芽生え の、予感。
コレって、「悪」かもね。
分かりにくい「悪」。
そもそも、善悪って・・・。
ワタシたちの判断だから。
ワタシたちの勝手な都合で判断してる
火事をおこした、お七ちゃんは「悪」で
赤穂浪士は「善」。
「何が善で、何が悪か、分かんない~ 」
親鸞さんじゃないけど・・・。
そう思っちゃうよね
自分の都合で決めた「悪」だの、「善」だの・・・。
その中で、生きているワタシたち。
そして、その中でしか、生きられないワタシたち。
わが身のコトながら、哀しいね。
そんなワタシたちでも、救ってやろう!
いや!そんなワタシたちだからこそ、救ってやろう!
と、思ってくれた、法蔵くん
そして・・・。
救われているワタシたち
ありがとう!法蔵くん!
ありがとう!ブッダ!
ありがとう!
と言うキモチで、日々を送る。
それは・・・。
善悪と言う自我を超えて
ハッピーに、日々を送るコトなのかも
最後まで読んでくださって
ありがとです
ちょっと、長かったね
Have a nice day !!
素敵な一日を!