darkwater2

前回の続き、今回はネタバレ編です!)

『ダーク・ウォーター』は、最近のホラーにしては昔ながらの
サスペンス・スリラー的演出になっているという話を前回した。
ホラーでは悪が栄えて謎で終わったとしても恐怖さえ残ればいい
のだが、後者のジャンルでは主人公たちがサスペンスの要因となる
障害を最後にクリアして救われないと、見る側にとっては非常に
カタルシスを得にくい(つまり、納得できない)話となる。

『ダーク・ウォーター』の場合、主人公の母娘を追い詰めるのは、
二人が住むアパートの上の部屋で両親に見捨てられ、一人ぼっちで
死んでしまった女の子の霊。彼女は親の愛情(特に母親の存在)を
求めて、階下に引っ越してきた同世代の娘から母親を奪い取ろうと
数々のシグナルを送り、主人公たちを精神的に追い詰めていくのだ
が、最終的に主人公たちはこの危機から脱出できず、母親は亡霊に
命を奪われ、娘は亡霊に母親を奪われ、女の子の亡霊は母親を得る
……すなわち、亡霊側の完全勝利で終わるのだ!

これでは完全にホラーだ。
サスペンス・スリラーとして見ていると納得できない。
なんで母親が死ななきゃアカンのか、と思ってしまうからだ。

この映画が怖いとすれば、母親が娘の安全と引き換えに女の子の
亡霊の母親となり命を奪われてしまうという点にあると思うのだが、
「納得できない!」が先に立って「怖さ」がフッ飛んでしまった。

オリジナル版の『仄暗い水の底から』は、その辺がさらに露骨で、
亡霊の子供に愛情を注ぐ母親の姿まで描かれる。確かに母親は、
絶命することで子供時代に受けた「母に嫌われた」という心傷から
解放され、カタルシスを得られるのかもしれない。実の子でない
子供でも同じ様に愛せるのが「母性の真髄」ということなのかも
しれない(逆に父性とは……長くなるので下記※参照)。けれど、
亡霊の女の子に母親を奪われてしまった実の娘の立場はどうなる?
離婚調停中の父親が最後に出てきて引き取るから一件落着?
……なわけがない。そんな簡単に感情は切り換えられない。
それは観客も同じだ。

原作では、母親は死なない。それはホラー小説じゃないからだろう。
それをホラー映画にしようとした時点で、母親は死ぬ運命となった。
リメイク版もそれを踏襲しているが、観客に残る感情は微妙だ。
要は、子供には愛情を与えないと皆さん幸せになれませんよ、
ってな訓話みたいに、虚しくなるホラーなんだな。

『ビューティフル・マインド』で復活したジェニファー・コネリーも
役柄以上にギスギスしていて、あんまり好きになれなかったなあ。
ロビン・ライト・ペンとかが演ってれば、もうちょっと好きになれた
かもしれないけど……総合評価★★★

子供の幸せは、親の幸せ。子供の不幸は、親の不幸……
皆さん、めいっぱい自分の子供を愛してあげてくださいね(笑)。


※父性について

群れで生活するライオンは、その群れの中に
成人した雄ライオンが一頭しかいない。ご存じでした?

この唯一の雄ライオンが新たな雄ライオンにその立場を奪われると、
その群れにいた子供のライオンは、新たな雄ライオンにすべて
食い殺される!……という事実もご存じでした?
つまり、自分の種の子供しか雄ライオンは認めないってこと。
その本能に、私は「父性の真髄」を見る。
前述の「母性の真髄」と最も対極的だと思うのは、その点だ。

他の動物においてもオスの行動は多くは、他のライバルを排除し、
メスを確保するために戦う。それがオスの闘争本能の原点だと思う。
これがメスの場合はライバルを排除することなく、オスを選ぶ、
または選ばせる。種を得るためにはライバルを出し抜けばいいだけ
なので、その後は子育てのためにライバルを排除せずに、
群れの中で連携していくという特徴もある。
「母性の真髄」はそこらへんにも見える。

もちろん、これは私の勝手な私的見解です。念のため……