評価:★★★★★
大島渚のデビュー作
短くても濃密な62分
<ストーリー>
主人公の“鳩を売る少年”正夫(藤川弘志)は、川べりのボロボロの家に住んでいる。いわゆる母子家庭で家族は、病弱な靴磨きの母(望月優子)と知的障害のある妹(伊藤道子)と少年の3人。生活保護も受けているが生活は苦しい。
少年は家計を助けるため飼っている鳩を売っているが、鳩は帰巣本能があり再び少年の家に戻って来るので同じ鳩を何回も売ることで利益を得ていた。
少年の成績は優秀で母親と学校の先生(千之赫子)は高校進学を希望しているが、本人は就職して家計を助けたいと思っている。
ある日、高校生の少女京子(富永ユキ)が鳩を買っていくが、少女の父は大きな家電メーカーの重役でいわゆるブルジョアである。兄(渡辺文雄)も同じ会社で働き外車を運転している。ただし、こちらも片親の父子家庭である。
鳩の売り買いを通じて少年と少女は心を通わせていく。
少女の住む邸宅(お手伝いさんもいる)
鳩の売り買いで知り合う
途中、ブルジョアの少女が主人公の少年の貧民街を訪ねるシーンがあるが、このシーンは印象的で忘れ難い。
金持ちのお嬢さんがあきらかに場違いな真っ白な服で貧民街に登場した時の違和感。そして、帰りに不良に絡まれ、喧嘩した後に泥だらけになったドレスで笑い転げる二人の姿。
貧富の差を越えてお互いに友情(愛情)を抱いた瞬間かと思ったが、一方で少女は少年に「貧乏な人っていつも悲しそうにしてるんだと思ったの」と平然と言い放ち、帰りは当たり前のようにタクシーに乗って帰ってしまう。
真っ白な服装で現れる少女
チンピラに絡まれる
泥だらけで笑い転げる二人
少女は貧しい家に入ってもあからさまな嫌悪感を出さないし、単に貧しさに対して鈍感なだけなのかもしれない。
少女の言動は悪意がないだけに、なんだか余計に悲しい。
決して、共有できない何か。
また、少年の担任の先生はブルジョワの兄(渡辺文雄)と就職の相談するうちにお互いに好意を持つようになる。後半で少年が担任の先生を訪ねた時に、それまで少年の進路相談に熱心だった先生が少女の兄と逢うためにお化粧していて、さっさと会話を切り上げてしまうシーンがある。良心的な先生の心の中にも「もしかしたらブルジョアの嫁になれるかも」という打算的な思いと期待が垣間見えてしまうという現実的な描写で、このシーンも印象に残る。
片親というだけで、「家庭が不完全な場合に歪んだ人間が多くできる」と言って少年を採用しない会社。片親は自分のせいではないし、成績も優秀、学校の先生も味方だが、どうにもならない。
親ガチャという言葉がある。片親というだけで就職に不利ならまさに親ガチャで、これは本人にはどうにもならない。
しかし、一方で、鳩を売ることで犯罪すれすれの行為を行っていたことを理由に入社を断ったのであれば正論であり、それでも、もし会社の重役の娘のゴリ押しで入社させれば明らかにコネ入社なってしまい、今度は他の優秀な学生が落ちてしまう。
大手の電機機器メーカーへの就職をあきらめて生きていくために再び鳩を売る少年。
何も不自由がない生活を送っているブルジョアの少女は、当然のことながら彼の行為を理解できないため、少年を非難し再び鳩を買い兄に鳩を撃ち殺してもらう.
家に帰った少年は、鳩の小屋を破壊する。
もう、少年が鳩を売ることはないが、少女はそれを知らない。
鳩が撃ち殺されたことを少年も知らない。
学校の先生は、貧しさから鳩を売った少年の行動を理解できない少女の兄を非難し別れる。
結局、少年は街の小さな工場で働く。
ラストを、鳩を撃つという衝撃で終わらせずに、鳩を売ることを辞めた少年が小さな町工場で前向きに働く姿で終わらせた脚本と演出は好感がもてる。
少年と少女、先生と少女の兄の格差を越えた愛情は実らない。
絶対に埋まらない、ブルジョアと貧乏人の階級格差。
この後に広がる学生運動では盛んに“ブルジョア”という言葉が批判的に使われており、大島渚も後の作品群で政治的な主張が強くなっていくが、それでもいまだに続く格差社会。
格差はむしろますます広がっているかもしれない。
この映画の編集を担当したのは後に天才編集者と称され大島渚のみならず木下恵介や黒澤明からも高く評価された杉原よ志という女性で、当時、試写を見た松竹大船撮影所所長の「これでは金持ちと貧乏人は永遠に和解できないように思える」という感想に対して杉原よ志が「だって、現実はその通りじゃないですか」と発言した有名な逸話がある。
斜陽産業になる前のリッチな映画会社の重役たちと、低賃金の駆け出しの監督も同様に永遠に分かり合えないかもしれない。
渡辺文雄はスリムで二枚目。
ブルジョア令嬢の京子役の富永ユキ は高校2年に見えないが1943年生まれなので当時16歳で役柄と同年齢と知って驚き。当初この役にキャスティングされていたのは鰐淵晴子だったのだが、少年が幸せになれない終わり方に納得がいかなかった鰐淵晴子は大島渚と決裂して最終的に降りている。演じていればかなり違った印象の作品になっていたのではないか。
音楽が過剰なのと、少年は鳩の小屋を壊す時の安易な斜めアングルが残念。
斜めのアングルは必要ないように思うが
今はもう見ない靴磨きが街頭に並んでいる風景も懐かしい。
当初は“鳩を売る少年”というタイトルであったが、会社の方針で“愛と希望の街”に改題させられ大島渚は憤慨したそうだが、今となっては逆にこの皮肉に満ちたタイトルが素晴らしい。
【鑑賞方法】配信 U-NEXT
【英題】STREET OF LOVE AND HOPE
モノクロ62分
【制作会社】松竹大船
【配給】松竹
【監督】大島渚
【脚本】大島渚
【制作】池田富雄
【撮影】楠田浩之
【音楽】真鍋理一郎
【編集】杉原よし
【美術】宇野耕司
【監督助手】田村孟
【出演】
藤川弘志:正夫
望月優子:くに子
伊藤道子:保江
富永ユキ:京子
渡辺文雄:勇次
坂下登:泰三
須賀不二夫:久原
千之赫子:秋山
川村耿平:笹島
瓜生登代子:いさ子
土田桂司:矢野
秩父晴子:きん
高木信夫:大塚
土紀洋児:労務課長