自衛隊が風呂を設ける | 辻川泰史オフィシャルブログ「毎日が一期一会」Powered by Ameba

自衛隊が風呂を設ける

辻川泰史オフィシャルブログ「毎日が一期一会」Powered by Ameba

<住所> 気仙沼市笹が陣4の2
<避難者数> 400人(22日午前10時現在)
<避難地区> 気仙沼市の幸町、内の脇、仲町、弁天町、川口町など

 市民会館近くの気仙沼小校庭に自衛隊が風呂を設け、22日朝から避難住民たちが利用している。
 気仙沼市内の脇3丁目の自動車販売業横田瑞夫さん(69)は「久しぶりの風呂。気持ち良くて生きていると実感した」。行方不明の妻と長女を案じる毎日だが、この時ばかりは笑顔を見せた。
 震災1週間後から電気や水道が復旧し、暖房も入るようになった。食事も3食出るようになり、避難住民は比較的落ち着いた生活を送っている。
 約10人の市職員が世話に当たるが、住民も食事の分配や掃除を買って出る。トイレの水が出なかったときは、近くの気仙沼中のプールからバケツリレーをして水を運んだ。21日からは六つある部屋ごとに班長を決め、連絡事項を部屋の住民に伝えている。
 1日3回の食事の分配を手伝うという同市港町の酒店経営鈴木友博さん(59)は「避難所内は高齢者が多く、自分は若い方だ。やれることをやりたい」と話す。
 朝のラジオ体操も日課に。避難住民は力を合わせて不自由な日々を乗り切ろうとしている。

 ◇ ◇

●斉藤栄子さん(73)=気仙沼市河原田1丁目
 湿疹のようなものができ、かゆくて仕方がない。自衛隊にもらった少しばかりの薬を薄く塗って我慢している。

●塩田のり子さん(59)=気仙沼市幸町2丁目
 避難所に居る限り、温かい食料もあり安心。先を考えると、ずっと住み続けられるのかどうか不安になる。

●山口晶さん(52)=気仙沼市太田1丁目
 妻と小学6年の息子の家族3人が無事だったのは何より。気掛かりなのは、連絡の取れない知り合いがいること。

●小野寺裕二さん(52)=気仙沼市潮見町2丁目
 配給の食事はとてもありがたいが、冷めているので温かいものが食べたい。下着や靴下も、新しいものが欲しい。

●杉村孝衛さん(77)=気仙沼市仲町2丁目
 1年半前に右足を骨折し、人工骨を入れている。パイプイスを並べた簡易ベッドに寝ており、痛みが出てつらい。

●熊谷せつ子さん(63)=気仙沼市幸町3丁目
 体調が優れないので、新鮮な野菜が食べたい。みんなが気持ちよく生活できるよう、こまめに掃除をしている。

●猪狩よし子さん(75)=気仙沼市幸町1丁目
 左足の2本の指がしもやけになり、ふやけてひどい状態。でも薬がない。温めるための湯たんぽが欲しい。

●近野進一さん(68)=気仙沼市幸町1丁目
 自宅は津波の被害でヘドロが20センチほどたまったまま。水道や電気が復旧しない限り、片付けもできない。

●畠山つや子さん(67)=気仙沼市内の脇2丁目
 食事はきちんといただけている。世話をしてくれる市職員たちが親切で、頑張ろうという勇気をもらっている。

●猪狩和子さん(65)=気仙沼市内の脇1丁目
 夫と2人、どうにか無事だった。避難所での食事は心配はないが、ライフラインがいつ復旧するのか気掛かりだ。

●佐藤房子さん(34)=気仙沼市内の脇1丁目
 津波と火災で自宅を失った。携帯電話の電波が通じず、車に給油できずにいる。早く親戚の肉声が聞きたい。

●熊谷ハシメさん(78)=気仙沼市幸町3丁目
 避難所は食べ物に恵まれありがたい。ただ血圧の薬が少なくなった。夫も手術直後なので薬不足が不安だ。

●内海拓男さん(63)=気仙沼市内の脇
 仕事場を借り、今月中にも表具師の仕事を再開させる。取引先が道具の支援を申し出てくれた。前を向くしかない。

●村上まつえさん(75)=気仙沼市幸町3丁目
 息子の会社が津波で流された。今後の不安は尽きないが、共に避難したご近所さんと少しでも楽しく過ごしたい。

●小野寺洋一さん(42)=気仙沼市幸町4丁目
 避難所の食事は足りてきた。むしろ自宅暮らしの人の方が不足している。同じ被災者だから、分かち合いたい。

●小山英悦さん(63)=気仙沼市幸町2丁目
 自衛隊が開設したお風呂に入った。お湯に漬かったのは被災後初めて。大きな湯船でゆったりでき、最高だった。


2011年03月23日水曜日

http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1065/20110323_01.htm