ジョン・リー・ハンコック監督、マイケル・キートン、ニック・オファーマン、ジョン・キャロル・リンチ、ローラ・ダーン、リンダ・カーデリーニ、パトリック・ウィルソン、B・J・ノヴァク出演の『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』。2016年作品。

 

1954年。ミルクシェイク製造用のマルチミキサーの販売をしてアメリカ各地を回っていたレイ・クロック(マイケル・キートン)は、カリフォルニア州サンバーナーディーノで一つの店舗で8台ものマシンを注文したマクドナルド兄弟(ジョン・キャロル・リンチ、ニック・オファーマン)のハンバーガー店に興味を持つ。やがて彼らの商売に一枚噛んだレイは、そのバーガー店「マクドナルド」のフランチャイズ化を目指していく。

 

『ウォルト・ディズニーの約束』のジョン・リー・ハンコック監督作品。

 

主演は『バードマン』や『スポットライト』など、ここしばらく出演作が続くマイケル・キートン。

 

まもなく公開される『スパイダーマン:ホームカミング』にも主要登場人物として出演してるし、ほんとにアカデミー賞ノミネート効果は絶大ですね。

 

この映画については映画評論家の町山智浩さんがラジオで紹介されていて気になっていました。

 

ハンバーガー・チェーン店の「マクドナルド」の“創業者(ファウンダー)”にまつわる実話の映画化。

 

ディズニーの次はマクドナルド、というのがいかにも「アメリカ」でなかなか面白いですが、『ウォルト・ディズニーの約束』が児童文学「メリー・ポピンズ」が映画化されるまでを描いたバックステージ物だったのに対して、こちらはビターな後味の、見方によっては風刺ともとれる話になっています。

 

 

なかなか面白い、というか観終わったあとにいろいろ考えてしまう映画でした。

 

では、これ以降はネタバレがありますので未見のかたはご注意ください。

 

 

僕はこの映画の主人公であるレイ・クロックという人物についてはまったく知らなかったんですが、アメリカでは企業家として有名な人なんですね。

 

まず観ていて感じたのは、映画の展開が実にスピーディであること。各ショットもポンポンッと先へ急ぐように繋がれている。それはまさにマクドナルドでのハンバーガーの製造工程を思わせる軽快なテンポで、とにかく思い立ったら行動するレイのキャラそのままに映画が進んでいく。

 

初めのうちはカット割りや展開がちょっと早すぎる気がしてついていくのがしんどかったんだけど、徐々に目が慣れてきました。

 

1950年代当時、マクドナルド式の店がいかに画期的だったかよくわかる。

 

ちょうどジョージ・ルーカスの『アメリカン・グラフィティ』の時代ですね(あと『バック・トゥ・ザ・フューチャー』も)。

 

注文を取りにくるウェイトレスもおらず、皿もフォークもナイフもない。メニューはハンバーガーとフレンチフライポテトと飲み物だけ。

 

食べ終わったら紙くずをゴミ箱にポイして終わり。

 

初めてマクドナルドに来て戸惑うレイの様子が可笑しい。

 

 

まだドナルドは誕生していない

 

映ってる機材や食材、包み紙や紙コップなどもすべて映画のために用意したものだそうで、ハンバーガーも当時のものに似せて作ってあるので、シンプルながら鉄板の上のパティがとてもおいしそう。

 

僕は昔、炎天下での仕事中に差し入れのマックシェイクを飲まされてヒドい目に遭ったんで(逆に喉が渇いてしかたなかった)それ以来マックシェイクは苦手なんですが^_^;でもこの映画の中のシェイクは旨そうですね。

 

牛乳を入れずに粉末を水に溶かしたらマックシェイクそっくりの味になる“インスタミックス”なるものまで登場。

 

あぁ、いかにもジャンクフードだなぁ、と。

 

まぁそれはわかってて、それでも僕たちはお手軽さとあのジャンクな味を求めてマックでバーガーやシェイク買うわけですが。

 

で、マクドナルド兄弟とともに新しい商売に乗り出したレイ・クロックが躍進していくんだけど、最初はなかなかうまくいかない。

 

店舗を増やしていこうとしても、そうそう売り上げは出ないので資金繰りで行き詰まってしまう。

 

レイはそんな彼に銀行で声をかけてきたハリー・ソナボーンという人物によって、事態を打開する。

 

レイにマクドナルドのフランチャイズ化のために加盟者に土地を貸し付けるアイディアを伝授するソナボーンを演じるB・J・ノヴァクは、特徴的な顔立ちと一見にこやかだがその表情から心の中が読み取りにくい演技が印象的だったけど、タランティーノの『イングロリアス・バスターズ』(ブラッド・ピットの部下役)やジョン・リー・ハンコック監督の前作『ウォルト・ディズニーの約束』(映画制作にかかわる作曲家役)にも出演していました。

 

いかにも数字に強そうな顔してますよねw

 

 

 

カントリー・クラブのメンバーの金持ちたちや銀行などを駆けずり回って資金を調達するレイ。

 

これだけ見てると彼は人一倍努力家で苦労人なんだけど、でも忘れてならないのはそもそも「マクドナルド」というハンバーガー店は「彼のものではない」ということ。創業者でブランドのオーナーはあくまでもマクドナルド兄弟であって、レイは彼らの名前と店の運営のノウハウを利用させてもらっているに過ぎない。

 

しかし、やがてレイは堂々とマクドナルドの「創業者(ファウンダー)」を名乗るようになる。

 

兄弟の許可も得ずにどんどん店舗を増やし、シェイクにアイスクリームを入れないインスタミックスを使い始める。

 

粉末状のインスタミックスについては、映画ではステーキハウスのオーナーの妻ジョアン(リンダ・カーデリーニ)のアイディアということになっている。

 

 

 

ジョアンの夫ローリー・スミスを演じるパトリック・ウィルソンはアメコミヒーロー映画『ウォッチメン』でバットマンもどきなヒーロー“ナイトオウル”を演じていた人だけど、この映画『ファウンダー』では人の良さそうなナイトオウルが悪いバットマン(マイケル・キートンは過去に『バットマン』と『バットマン リターンズ』に主演している)に妻を取られてしまうわけですね。

 

 

 

長年連れ添いずっと夫を支えてきたのに彼に一方的に離婚を切り出されて捨てられてしまう妻のエセルを演じているローラ・ダーンは、ちょっと前にたまたまTVの地上波でやっていた『ジュラシック・パーク』で若々しかった頃の彼女を見たばかりだったので、この映画で深い皺が刻まれた彼女の顔を見て時の流れを痛感したのでした。

 

 

 

エセルについては詳しくは語られていないけれど、映画の中では金持ちたちのカントリー・クラブのメンバーたちと仲良くするのは彼女の方が積極的だったように見える。

 

もしかしたら、エセルはそれなりに裕福な家庭の出だったのだろうか。カントリー・クラブとの接点も、もともとは彼女が持っていたのかもしれない。

 

一方で、レイが金持ちたちとの付き合いにウンザリしている様子がハッキリと描かれていて、結局クラブも辞めてしまい、気取った店ではなくもっと安くて気軽に入れる店にエセルを連れていく。

 

彼が「マクドナルド」に惹かれたのも、ファストフードという誰もが気軽に利用できる店だったからだろう。

 

エセルとレイには、そもそも互いの生活スタイルに何か越えられない溝があったということか。

 

それでもやはりエセルには同情を禁じえないし、レイが彼女にした仕打ちはあんまりだと思う。

 

劇中ではたまに笑顔を見せることもあるが、だからこそローラ・ダーンが眉間に縦皺をよせて一点を見つめている場面が何度も映るたびにいたたまれない気持ちになった。

 

それはレイのマクドナルド兄弟に対する行為も同様。兄弟たちとの契約を破棄し、すべて自分に有利になるように進めて、彼の方から提案した紳士協定も破る。

 

結局、レイがやっていたことは他人が始めた商売の「乗っ取り」であり、それは現在のアメリカに繋がっていく大量生産、大量消費、効率化、画一化によって、もともと味と品質にこだわり「町の評判のバーガー屋」であることに誇りを持っていたマックとディックのマクドナルド兄弟からその名前を奪い、彼らが掲げていた手作りの素朴な「古きよきアメリカ」的なものを破壊していくことだった。

 

 

 

いかにも叩き上げな感じのマクドナルド兄弟がレイにハメられ自分たちの店の看板が外されるのを寂しげに眺めている姿には、釈然としないものが残る。

 

ハンバーガー・チェーン店「マクドナルド」を我が物にしたレイは、長年に渡って彼を支えてきた妻を捨てて、やがてジョアンと結婚する(※実際にはレイ・クロックは最初の妻エセルの次にジョアンとは別の女性と結婚している。2度目の離婚後、ジョアンと結婚)。

 

幾人もの人々を踏み台にしてのし上がり望むものを手に入れた彼は最後までそのしっぺ返しを喰らうことはなく、そのまま成功者として世を去った。

 

 

 

 

この映画を最後まで観ていると思わず溜息が出てきてしまうが、今ならそんな彼の姿に憧れを抱いたり目標とする者もいるかもしれない。

 

ちょうどドナルド・トランプが多くの良識ある人々に批判されながらも彼を支持する者たちによって大統領になったように、他者を犠牲にしながら成功することに良心の呵責を覚えない、人として大切なものが欠けた者が野放しになる世界。

 

町山さんが解説で語っていたようにこれは今こそ作られるべき映画だったと思うし、アメリカの良心を破壊して大成功を収め皆から称賛されて悦に入るレイモンド・クロックの姿に、映画の作り手たちが作品に込めた大いなる皮肉と静かな怒りを読み取らずにはいられない。

 

レイはけっして楽して儲けようとしていたわけではなく向上心のある働き者で、店が「町の不良や暴走族たち」の溜まり場になって汚れるのが我慢ならず、子ども連れの家族が揃って利用できる便利で清潔な場所にしようと努力した。

 

能力のある者たちを採用して、やる気のある者たちにチャンスを与えた。

 

それだけ見れば結構なことにも思えるし、彼がいなければマクドナルドは世界的な企業にもならず、僕たち日本の人々がこうして手軽に利用することもできなかっただろう。

 

一介のアメリカの田舎町のバーガーショップとして、はるか昔にその役割を終えていたかもしれない。

 

だからそういう意味ではレイ・クロックは功労者と捉えることもできなくはないが、しかし、実際に彼がやったのは人が考えた調理システムと、何よりもその「名前」を奪い取ることだった。

 

「“マクドナルド”は実にアメリカ的な名前だ。“クロック”という名の店でメシを食いたいか?」というレイの台詞がすべてを象徴している。

 

東欧系のレイ・クロックが“アメリカ的”とされている「マクドナルド」という名前にこだわったことは、“アメリカ的”なるものがいかに幻想によって形作られているかを意味する。

 

“アメリカ的”なものは実は多くの非アメリカ的な出自を持つ人々によって生み出され、守られてきた。

 

それはまるで中東の一地域の宗教であるユダヤ教からキリスト教が生まれ、やがてそれがアングロ・サクソン系の人々の間に広まっていったように、一種の布教活動でもあったのだ。

 

マクドナルドは裁判所とキリスト教の教会に次いでアメリカ中に点在することになった。

 

レイ・クロックによって今や全世界に広められた「M字」のゴールデン・アーチと「マクドナルド」は、新しい「教会」なんだろう。

 

考えれば考えるほどなんだかウンザリしてきますが、でもまぁそれでも僕だってマック(“マクド”ではなくマック派)はたまに利用するし、その使い勝手のよさ自体を非難する気はさらさらないですが。時々あそこのフライドポテトが無性に食いたくなる時もあるし。

 

ポテト型のデザインがなかなか凝ってるパンフレットは内容も充実

 

ちなみにこの映画はマクドナルドの協力を一切受けていないそうで。当然ですよね^_^;

 

この映画で描かれるハンバーガーが実に旨そうなので、映画を観終わって食べたくてしかたなくなるんですが、できればマクドナルド兄弟が作っていた本当の1号店のバーガーを食べてみたかったな。

 

もっとも、この映画のあとに2004年に作られたマクドナルドの問題点を追及したドキュメンタリー映画『スーパーサイズ・ミー』を観ると、今度はビッグマックが食えなくなりますがw

※『スーパーサイズ・ミー』のモーガン・スパーロック監督のご冥福をお祈りいたします。24.5.23

 

 

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