ジェイ・ローチ監督、ブライアン・クランストンダイアン・レインヘレン・ミレンルイ・C・Kエル・ファニングジョン・グッドマンマイケル・スタールバーグディーン・オゴーマンクリスチャン・ベルケルデヴィッド・ジェームズ・エリオットリチャード・ポートナウ出演の『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』。2015年作品。

原作はブルース・クックによる評伝。




ダルトン・トランボはハリウッドで最も稼ぐ脚本家だったが、共産党員であったため第二次世界大戦後に「赤狩り」の対象となる。下院非米活動委員会に呼ばれたトランボは憲法修正第1条(言論の自由)を理由に協力を拒んで議会侮辱罪で「ハリウッド・テン」の一人として刑務所に収監され、出所後はハリウッドから干されてしまう。自分と家族を養うため、また言論や思想の弾圧から「自由」を勝ち取るために彼はB級映画の脚本を匿名で書いて食いつなぎ、同様の圧力によって職にあぶれた仲間たちに仕事を回す。そして友人の勧めでその間に本当に書きたい脚本を書き始め、それはやがて旧弊で抑圧的なハリウッドを変えていく。

『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』『ブリッジ・オブ・スパイ』『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の内容に触れますので、未見のかたはご注意ください。



第88回アカデミー賞主演男優賞(ブライアン・クランストン)ノミネート。

ローマの休日』や『スパルタカス』などの脚本家ダルトン・トランボの「赤狩り」との闘いを描く。

名誉と反逆を重んじた不屈の脚本家ダルトン・トランボと、”赤狩り”騒動をひも解く


今年はたまたま1950年代を舞台にしたハリウッド映画を観る機会が多いんですが(『ブリッジ・オブ・スパイ』『キャロル』『ブルックリン』)、これもその中の1本。

ちなみに、上に挙げた映画はそれぞれが異なるところに焦点を当てた、どれも見応えのある作品ばかりです。

1940年代後半~50年代というのは、冷戦に伴い共産主義者をアメリカの敵として吊るし上げた時代。

ちょうどスピルバーグが撮った『ブリッジ・オブ・スパイ』と描かれている題材も似ている。

『ブリッジ~』でも取り上げられていたソ連に核施設の情報を売ったかどで逮捕、処刑されたローゼンバーグ夫妻の話が、この映画にも出てくる。

ところで、僕は同じ日この映画の前にたまたまロバート・ゼメキス監督の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観たんですが、BTTFで主人公マーティがタイムスリップするのは1955年。『トランボ』と同時代が舞台で、また両者には“ロナルド・レーガン”という人物の名前が出てくる。

レーガンがアメリカ大統領だった1985年に作られた『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(BTTFはレーガンのお気に入りの映画だった)のあとにこの『トランボ』を観ると、この“ロナルド・レーガン”という名前が実に皮肉に聴こえる。

『トランボ』の劇中で、非米活動委員会でハリウッドの共産主義者を告発し「彼らは政府転覆を企んでいる」と発言する若き日のレーガンの実際の映像が流れる(トランボがロバート・リッチという偽名で書いた『黒い牡牛』が原案賞を受賞した第29回(1957年)アカデミー賞授賞式では、BTTFでドクに「では副大統領はジェリー・ルイスか?」と言われていたジェリー・ルイスが司会を務めていた。その模様がTVに映っている)。




レーガンは「強いアメリカ」を標榜し、ソ連のゴルバチョフ書記長とともに冷戦を終結に導いた大統領として今でもアメリカでは人気があるそうだけど、この映画の中で彼はハリウッドで同じ俳優たちを守る立場にありながら仲間のはずの同業者たちを売った裏切り者だったことが暴かれている。

また、レーガンよりも俳優としてははるかに格上だった西部劇スターのジョン・ウェインも、積極的にハリウッドから共産主義者を追放する活動に力を注いでいた。

 


この映画で描かれるジョン・ウェイン(デヴィッド・ジェームズ・エリオット)はなかなかのクソ野郎である。

彼を主演に何本もの映画を撮った映画監督のジョン・フォードは、ウェインがやっていたような行為を快く思ってはいなかったのに。

勇ましいことを言うジョン・ウェインにトランボが「君は戦争中にどこにいた?スタジオの中で空砲を撃ってたのか?」と尋ねる場面には胸がすく思いがする。

トランボ自身は太平洋戦争中に従軍記者として沖縄に行っていた。

実際に戦争の悲惨さを目の当たりにしたからこそ、ジョン・ウェインのように安全なところにいて好戦的な物言いをする者たちへの不信感があったんだろう。

でも彼は挑発してくるウェインにまともにぶつかるのではなく、「殴るのか?眼鏡を取ろうか」などと常に冗談めかしたような口調でこの“デューク”と呼ばれる大男に応じる。

食えないおっさんを装うようなその姿勢は、生き残っていくための手段でもあったのかもしれない。

映画評論家の町山智浩さんの解説によると、この映画『トランボ』はアメリカでは「共産主義の問題点について描いていない」と批判もされたそうだ。

現実のソ連では当時、独裁と粛清、虐殺が行なわれていたのに、と。

実際、この映画の中で共産主義については深く突っ込んでは描かれない。

おなかをすかしている人に自分のサンドイッチを分け与える、という非常に素朴で楽観的、理想主義的な考え方としてトランボの口から娘に語られるだけだ。




自分がとってきた脚本の仕事をトランボが仲間たちに分け与えるのも、この理念に基づいている(仕事の量が多すぎて自分一人じゃこなせなかったからでもあるが)。困っている仲間を身銭を切って助けようとする。

仲間の一人、俳優のエドワード・G・ロビンソン(マイケル・スタールバーグ)もまた、自分の財産である絵画を売って仲間たちを援助する。

エドワード・G・ロビンソンは戦前から悪役を得意としていた俳優だけど、1956年の作品でチャールトン・ヘストン主演の『十戒』では、ヘブライ人の奴隷頭デイサンを演じていた。劇中ではエジプトのファラオにへつらって、すべての同胞を連れてエジプトを脱出した主人公モーゼを陥れようとする。

 


なんだか現実の世界と重なるようで、その裏側を知ってしまうと哀しい。

結局、トランボやロビンソンが夢見た共産主義は幻だった。

そのあたりは、町山さんが仰っているようにコーエン兄弟の『ヘイル、シーザー!』も一緒に観ると(僕は未見ですが)バランスがとれるのかな。

ただし、『トランボ』で描かれているのは「共産主義が正しいかどうか」ということではない。

冷戦時にはアメリカにとっての脅威であり、一部の人々にとっては想像の中のユートピアでもあったソヴィエト連邦の実態やその崩壊については、僕たちはその後の歴史で知っている。

当時は情報がなかったので、トランボや世界中の多くの人々が共産主義の世界に理想の社会を夢見ていた。

それは間違いであったことがのちにわかるわけだが、重要なのは、基本的にはどんな考え方をしようと、それを公の場で発言しようと、それはその人の自由であるということ。

もちろん、そこには微妙な線引きが必要なのは言うまでもない。

特定の人々を差別したり排外するような行為、それを扇動、助長する言動が許されるはずがない。

発言や行為には責任が伴う。

しかし、この映画で描かれたように労働者が組合を作って自分たちの権利を主張したり、自らの思想について語る自由は誰にでも保障されている。それが民主主義のはず。

トランボが求めていたのは、そういう自由が守られている世の中だ。

何が正しくて何が間違っているのか、それは人々が各自で判断し何度も議論して煮詰めていくべきもので、政府や政治家、団体などから一方的に命令されて国民が黙って従うことを「民主主義」とか「自由」とは呼ばない。

『ブリッジ・オブ・スパイ』でも描かれたように、当時のアメリカでは怖れていたはずの敵、共産主義国とまったく同じように人々からモノを考え選択し発言する自由を奪い、誰もが安全で平等に生きるための基本的人権すら脅かされていた。

 


この映画を観て、僕たちが生きている現在の状況、「自由」に制限が加えられ、やがて人々に対する抑圧が増していくことへの危機感を重ね合わせた人は多いのではないか。

帰ってきたヒトラー』がそうだったように、問題が山積し人々の中に不満や怒りが溜まり集団ヒステリーじみた様相を呈してくると、一発逆転でそれを覆してくれる「救世主」や「ヒーロー」を求める気運が高まり、やがて「正義」や「社会秩序」の名の下に数や大声による暴力が蔓延るようになる。

みんなで糾弾すべき「敵」が生み出されて、彼らを攻撃することで真の問題から人々の目を逸らさせる。人々を「敵」と「味方」に分けて、互いに憎みあわせるのだ。

やがて良識ある者たちが黙り、異を唱えた少数の人々は弾圧される。

かつて日本が、アメリカが、ロシアが、その他多くの国々が犯してきた過ちが、性懲りもなく繰り返されようとしている。

この映画はそれを警告している。このままでいいのか?と。


トランボは脚本家としての類いまれなる才能があったからこそ生き残れたのだ、という意見もあるし、それはその通りなんだろうけど、この映画で「真のヒーロー」として描かれているトランボの姿は、劇中で彼が示した「理想」をそのままなぞったものだ。

実際の彼は家族にかなり迷惑もかけたようだし。それはこの映画でも少し描かれてますが。

 
おじいちゃんの入浴シーンもあります

つまり、トランボはけっして聖人のようにただ正しい人だったのではなく、生きるために呻吟して、時に大切な存在を傷つけたり苦しめもしたのだ。

だからダルトン・トランボは特別な才能を持った人だったが、映画を観る僕たちはただ偉人を褒め称えるのではなく、ここで彼が生涯貫き通したものから学ぶ必要があるだろう。

彼が示した精神、その不屈の行動力は映画を観る者に勇気を与えてくれる。

「トランボ」とは戦士の名前だ。本当の「闘い」とは、彼が家族や理解ある人々とともに繰り広げたもののことをいう。

人を憎むのではなく、互いに尊重しあい、許しあい、共存すること。

「寛容」の心こそが私たちにもっとも必要なのだということを、この映画は教えてくれる。

「赤狩り」の時代に自分を売り渡した友人に、トランボはのちに涙とともに心からの同情を示し、彼を許す。

これもまた真の勇気である。

自分や家族、仲間たちを裏切り傷つけた者を許すことは、思いのほか難しい。そこには自らを律する強さと相手の痛みを慮る優しさが必要。

トランボは自分を貶めた者を殴りも罵りもしない。許す。

だが、それは「絶望」や「諦め」ではなく、未来への希望によるものだ。

人を信じる心。

「赤狩り」は一個人の力では抗えない巨大な「悪意」によって、人々の互いの信頼を打ち砕き友情を破壊して、けっして消せない傷を残した。傷を負ったのは裏切り者となった人々も同様だった。

みんなが犠牲者になった。

そのことをよく知っていたからこそ、トランボは裏切り者になったかつての友を責められなかったんだろう。

やがてトランボをはじめ「ハリウッド・テン」と呼ばれた人々やブラックリストに載せられた人々の名誉は回復されたが、エドワード・G・ロビンソンと同じく同業者たちを売ったためにその被害者たちの間にのちのちまで怨恨を残したエリア・カザン(彼は自らの裏切りについて最後まで正当化し続け、ついに謝罪することはなかった)のような人もいる。

これは何十年も昔のアメリカだけの話ではない。

今の僕たちに深くかかわりのある問題について描いている。

「お前は私たちの敵か?それとも味方か?」と問い詰められた時、僕たちはどのような態度でそれに相対すればよいのか。

人間性、倫理観…自分の中の多くのものが問われることになる。自分だけではなく、家族や友人たちの将来にもかかわってくる。

自分たちが住む世の中を「捕まりたくなければ売国奴の名前を吐け」などと脅されて、平然と人を選別するような牢獄にしていいのか。

この映画には、ヘレン・ミレンが演じたヘッダ・ホッパーのように、権力側に擦り寄って弱い立場の人々を叩いて(彼女の共産主義者やユダヤ系のプロデューサー、ルイス・B・メイヤーに対するサディスティックな言動には寒気がする)自分は国のために正しいことをやっているのだ、と信じきっている者たちが登場する。

 


ジョン・ウェインのような人気スターでさえも例外ではない(最近ではドナルド・トランプを支持する発言をしたクリント・イーストウッドがちょっと気になるが、御大、果たして何をお考えなのだろうか)。

一方で、ハリウッドから干されていたトランボに自分の映画『栄光への脱出』の脚本をトランボの名前入りで任せたオットー・プレミンジャー監督(演じるのはクリスチャン・ベルケル。オーストリア訛りで喋り、「私は監督だぞ」と妙に居丈高なところが可笑しい)、やはり自分が企画して主演する映画『スパルタカス』の脚本にトランボを抜擢するカーク・ダグラス(ディーン・オゴーマン)、思想なんて知ったこっちゃねぇ、面白い脚本ならなんだっていいんだ、とトランボにB級映画の脚本を大量に書かせるフランク・キング(ジョン・グッドマン)など、気骨ある人々も登場する。

 




ヘッダ・ホッパーの脅しにも一歩も引かないカーク・ダグラスにグッとくる。伊達にアゴは割れてないw

ここで僕たちは問われるだろう。自分はどちら側につくべきか。

共産主義者(これを別の集団に置き換えてもいい)は恐ろしいスパイで国の敵だから許せない。捕まえてまともに生きられなくするべきだ、と主張する者たちに同調して集団ヒステリーに加担するのか。

それとも自分の頭で考えて、正しいことと間違っていることをしっかりと判別するのか。

僕はこの映画を観て、ヘッダ・ホッパーやジョン・ウェインのような人間にはなりたくない、と強く思いました。映画館で間違った正義感からトランボにコーラをぶっかける名もなき一市民や、引っ越してきたトランボ一家に嫌がらせをする隣人のようにも。差別され排外される恐怖とともに、僕たちにはいつだって加害者になる危険もある。


主演のブライアン・クランストンは、僕は最近では『GODZILLA ゴジラ』の主人公のお父さんを思い出すけど、今回は眼鏡かけたおじいちゃんぶり(ヌードもあるよ。ジジ専の人必見)がなんかとてもよかったですね。ってクランストンさんはまだ60ちょっと過ぎなんだけど。さすがアカデミー賞にノミネートされるだけのことはある、余裕を見せつつも辛い時代を家族とともに生き抜く男を好演していました。

娘役のエル・ファニングを見るのは僕は『マレフィセント』以来。メイクをしても綺麗だけど、こういう昔を舞台にした作品の化粧っけのない素朴な外見の娘さん役が似合う女優さんですよね。

 


彼女主演で「大草原の小さな家」を映画化してくれないかな。

ヘレン・ミレンやジョン・グッドマンには相変わらず安定感がありますね。

ヘレン・ミレンの「嫌な女」ぶりは最高でした。

 
こういうおばさん、今もいるよね

だからこそ、TVの前で事実上トランボがハリウッドに完全復帰したことを知った彼女の呆然とした表情には大いに溜飲が下がる。

トランボの妻、クレオを演じるダイアン・レインも『バットマン vs スーパーマン』での無理矢理な老け役よりもよっぽどこちらの方が役に合っていたし、子どもたちと一緒に忍耐強く夫を支えていく妻の姿に、「家族」というものがどれほど人を勇気づけて生きる希望や活力になってくれるのか教えられた気がします。

クレオ・トランボさんはご本人もとても綺麗なんですよね。

 


この映画、ぜひ多くの人たちに観てもらって今の世の中について考えていただけたら、と思います。

そういえば、ジェイ・ローチ監督って「オースティン・パワーズ」シリーズの人なんだな。映画の作風が違いすぎてとても同一人物の作品とは思えませんが^_^;

オースティン・パワーズみたいにみんなが明るく唄って踊って笑える世界でありたいよね。シャガデリック!



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