判例タイムズ501号などで紹介された最高裁判決です(最高裁令和2年8月24日決定)。
本件は、1型糖尿病と診断された7歳の子(被害者)につき、何とか完治させたいと考え,わらにもすがる思いで,非科学的な力による難病治療を標ぼうし、被害者を完治させられるなどと断言する被告人に被害者の治療を依頼したが、被告人による治療と称する行為は,被害者の状態を透視し,遠隔操作をするなどというもので、母親に対し,インスリンは毒であるなどとして被害者にインスリンを投与しないよう指示し,両親は,被害者へのインスリン投与を中止してしまいました。
その後、医師の指導を受けた両親は,インスリンの投与を再開し,被害者は,通常の生活に戻ることができたのに、被告人は,メールや電話等で,母親に対し,被害者を病院に連れて行き,インスリンの投与を再開したことを強く非難し,被害者の症状が悪化したのは被告人の指導を無視した結果であり,被告人の指導に従わず,病院の指導に従うのであれば被害者は助からない旨繰り返し述べるなどし、このような被告人の働きかけを受け,母親は,被害者の生命を救い,1型糖尿病を完治させるためには,被告人を信じてインスリンの不投与等の指導に従う以外にないと一途に考え,被告人の治療法に半信半疑の状態であった被害者の父親を説得し,被告人に対し,改めて父親と共に指導に従う旨約束し,両親は,被害者へのインスリンの投与を中止してしまいました。
その後,被害者は,多飲多尿,体の痛みを訴える,身体がやせ細るなどの症状を来し,母親は,被害者の状態を随時被告人に報告していたが,被告人は,自身による治療の効果は出ているなどとして,インスリンの不投与の指示を継続し、被害者は,自力で動くこともままならない状態に陥り,被告人は母親の依頼により母親の実家で被害者の状態を直接見たが,病院で治療させようとせず,むしろ,被告人の治療により被害者は完治したかのように母親に伝えるなどし、母親は,被害者の容態が深刻となった段階に至っても,被告人の指示を仰ぐことに必死で,被害者を病院に連れて行こうとせず、被害者は,母親の妹が呼んだ救急車で病院に搬送され,糖尿病性ケトアシドーシスを併発した1型糖尿病に基づく衰弱により死亡したという痛ましい事案です。
本件において、被告人は直接被害者を死亡させる実行行為を行っておらず,被告人に殺人の間接正犯が成立するかが主な争点となりました。
間接正犯というのは、自ら犯罪をの実行行為をするのではなく、人を道具として行わせるというもので、道具として利用した者自身が正犯に問われるという理論で、道具のように言いなりにできる人、例えば、幼児であるとか知的障害のある人を使って万引きさせたりするような事案で利用される理論です。
本件において、被害者の両親は分別のある成人であって、被告人の道具として評価できるのかが問題となりますが、最高裁は、次のとおり指摘して、被告人は,未必的な殺意をもって,母親を道具として利用するとともに,不保護の故意のある父親と共謀の上,被害者の生命維持に必要なインスリンを投与せず,被害者を死亡させたものと認められ,被告人には殺人罪が成立するとしました。
・被告人は,生命維持のためにインスリンの投与が必要な1型糖尿病にり患している幼年の被害者の治療をその両親から依頼され,インスリンを投与しなければ被害者が死亡する現実的な危険性があることを認識しながら,医学的根拠もないのに,自身を信頼して指示に従っている母親に対し,インスリンは毒であり,被告人の指導に従わなければ被害者は助からないなどとして,被害者にインスリンを投与しないよう脅しめいた文言を交えた執ようかつ強度の働きかけを行い,父親に対しても,母親を介して被害者へのインスリンの不投与を指示し,両親をして,被害者へのインスリンの投与をさせず,その結果,被害者が死亡するに至ったものである。
・母親は,被害者が難治性疾患の1型糖尿病にり患したことに強い精神的衝撃を受けていたところ,被告人による上記のような働きかけを受け,被害者を何とか完治させたいとの必死な思いとあいまって,被害者の生命を救い,1型糖尿病を完治させるためには,インスリンの不投与等の被告人の指導に従う以外にないと一途に考えるなどして,本件当時,被害者へのインスリンの投与という期待された作為に出ることができない精神状態に陥っていたものであり,被告人もこれを認識していたと認められる。
・また,被告人は,被告人の治療法に半信半疑の状態ながらこれに従っていた父親との間で,母親を介し,被害者へのインスリンの不投与について相互に意思を通じていたものと認められる。