今年の最初の大仕事(自治会の総会運営)が終わり、ほっと一息。ちょっと息抜きを、と思ってもなかなかそうはならないのが辛いですね。今日はそんなしんどさの源を書こうかなと思います。

 

【その1】

 冬の晴れた日、ちょっと家から離れると上品山にそびえる風車が目に入ります。羽が回っているのを見て「今日も頑張っているな」と思います。誰も住んでいない山ですから、発電用の風車をもっと立ててもいいのにと思います

 

 そういえば先日NHKの番組で高さ数十mの風車の設置とそのメンテナンス作業の様子を見ました。一言で言えば「大変」、そして「すごく高度な技術を要する尊い仕事」だと思いました。この国にもこんなすごい仕事をする人々がまだたくさんいる、誇りに思えましたね。

 

 一方、福島原発事故の後始末がいつまで続くか見通しも立たない中で、原発の再稼働、新設だけは進めようとするおかしな政府、そのトンチンカンさにはあきれるばかりです

 

 そうしたら、今度はこんな話も聞こえてきました。

 宮城県色麻町の町長さんは「風力発電所の建設に町有地は貸せない」と発言したそうです。昨年末にも大崎市でも同じような話がありました。

 

 町長(大崎市長も)が反対する理由

1.開発で土砂災害や健康被害が出る。

2.その飛行経路にある渡り鳥への影響が心配。

 

 気持ちは分かりますが、では原発の方がいいというのでしょうか。それでは原発が立地する自治体とその周辺自治体住民の危険、不安には目をつぶろうというのでしょうか。それはあまりに虫が良すぎます。

 また、渡り鳥がどれほどあの風車の羽にぶつかって命を落とす可能性があるのか、エビデンスはあるのでしょうか。この国より多くの風車を持つ欧州各国ではどうなのでしょう。説明すべきでしょう。もっと言えば、今だって道路で車にひかれる動物がいますが、ならば野生動物がいる地域には道路すら作れないということになるでしょう。おかしな理屈です。

 

【その2】

 正月、娘が帰省した際、テレビで政府の子育て支援策に関する番組を見ていた時のことです。娘がボソッと一言つぶやきました。

「・・・そうじゃなくて、復職したときの椅子が心配なんだな・・・」

 入社して10年経過した娘もおかげさまで係長クラス。結婚したものの子どもはまだ。いろいろ考えた上でのことのようです。その理由が上の一言に凝縮されています。

 

 そこへ飛び込んできたのが、今、話題の岸田文雄の発言です。自民党議員の質問に対する回答「育休中の“学び直し”を支援する」です。この発言のずれ加減はもう散々言われているので書きません。方々からの批判を受けて「・・・希望する人には、という主旨です」と言い換えましたが、じゃ希望しない人には何もしないのですね、と突っ込みたくなります。これでは菅義偉の十八番の「自助」と何も変わりません。

 しかも、後日、テレビの討論番組で、自民党幹事長の茂木敏充は「働けと言っているわけではない」と言い放ったとのこと。

 要は自民党側から「こういう質問をするから」と通告し、勢い込んで回答した結果の炎上ですから、岸田もさぞや怒っているだろうと忖度する。そこで茂木は総理(自民党総裁)を援護しようとしたのでしょう。ところが、学び直しと労働の区別もつかないこの発言、却って火に油を注ぐ結果になった、そんなところでしょう。

 このことから分かるのは、自民党が子育てを中心とする女性の苦難を全く理解できていない、真のオッサン政党であることです。やれやれ。

 

【その3】

 またもや毎日新聞の特別編集委員“山田孝男”のお話し。

 

 1月30日付けの記事、見出しに驚かされます。曰く「国防と野党の戦術」です。

 あれ? いつからこの国では防衛ではなく“国防”という文言を用いるようになったのでしょう? この国では“専守防衛”が国是であり、国防軍ではなく“自衛隊”であり、そして国防省でも国防大臣でもなく“防衛省”であり“防衛大臣”なのでは?

 

 これは言葉遊びなのではなく、れっきとしたこの国の憲法論、政治学、外交姿勢の歴史を踏まえた理屈の上に成り立った考えから出ています。ですからさすがの岸田も“防衛予算”とは言いますが“国防予算”と言えません。それを一介の記者が勝手に言い換えてはいけません。なぜなら記者・ジャーナリストとはその時代の国民のコンセンサスを踏まえて発言すべきだからです。

 

 しかも山田はこうも書きます。

 

 「国家防衛と子育て。天秤にかけて選べる話ではない」のだそうです。

 いやはや困ったものです。国家予算にはおのずとその時々の限度があります。ない袖は振れないのですから、割り振りには熟慮が必要です。しかも戦時ならともかく、今がそうだという根拠はありません。天秤にはかけなければならないのです。もっと言えば、ミサイルを買えば防衛できるのか、それよりもまず国家の基礎となる未来の国民に投資するのか、しっかり議論し国民の同意を得るのが当然です

 第一、人の命と国家とどちらが大事なのでしょう? 自分は高齢のため重い銃を持てないお方が、他人と他人の子どもを戦場に送るような発言をすべきではありません。

 

 当たり前の結論を書きます。

「国民のいない国家はあり得ませんが、国家がなくても人は生きられます」 国がなくなっても人は世界中のどこでも生きてきました。最悪、難民になってもいいじゃないですか。

 国がないのに生きていても仕方がないと思うのなら、どうぞ山田君ご勝手に。死ぬくらいなら、私は外国に逃げてでも生きていきます

 

 若い方々に言いたいですね。

 あなた方は戦争を煽る高齢者の妄言に乗っかって戦場で死ぬ覚悟がありますか?

 

 若者の親の皆さんはどうですか?

 あなたの子ども(男女は関係ありません。女性兵士は世界中どこでも普通にいます)を戦場で死なせたいですか?

 言っておきますが、岸田文雄は自分の息子を秘書官にしました。私は、岸田が将来自分の息子を徴兵しないで済むよう、反対・批判を押し切って自らの秘書官にしたのだと思っています。

 違いますかね・・・?

 

・・・今日のBGMは“Vasco Pimentel Trio”の「WalkAbоut」、ジャケットに惹かれましたのですが、ベースがいいんですよ。