いつもお世話になっている、
会社から近くのカフェから
案内をいただいた
このお方は以前にも何度かカフェで
リーディングにいらっしゃっている。
これまでの会ではタイミングが合わなかったのと
前世にあまり興味がなかったので
お願いしたことはなかった。
今まで自分が夢とか理想だと思って、
追いかけたりしていたことが
実は違っていたということがわかり
夏至以降、電池が切れたロボットのように
停止していた私。
じゃあどこに向かうのか?
13歳までの自分に戻ればいいことはわかっている。
あれから40年以上経過しているので、
思い出し、取り戻すのに時間がかかっている。
そんな時にいただいたご案内。
何かヒントになるかもしれないと思い、
リーディングしていただくことにした。
土曜日は半どん
半どんって今は死語だよねー😆
仕事帰りにランチしてその後リーディングしていただいた。
前世の私は中国人で
北朝鮮と中国の国境近くの出身。
当時満州国があった場所だ。
そう、先の大戦があった頃の時代だ。
私はJKの年齢で
満州の日本軍の軍事施設で家族一緒に働いていたそうだ。
慰安婦ではなかったらしいが、
軍人さんの身の回りのお世話をしていたそうだ。
戦況で旧ソ連軍が侵攻し日本軍が去り、
旧ソ連軍の施設となり、
旧ソ連軍が引き上げたら中国軍の施設となっていったが、家を建てるためのお金を稼ぐために
そのまま働き続けたのだそう。
日本軍を良しとしなかった国の人間だったので、
お金のために仕方なく働いていたのだが、
1番待遇が良かったのは日本軍だったそうだ。
段々と待遇が悪くなり、
ついに一家は南米チリ移住を決断。
チリに向かう船中で私以外の家族は全員病死。
私はチリの中国人街に行き
結婚して3人の子どもを授かり
55歳で亡くなったのだそう。
生まれ変わるの早っ😳
確かに私の1番最初の記憶は
家族がみんな私の顔を覗き込んでいて
目を閉じた瞬間
ジェットコースターに乗ったかのように
猛スピードでギュンギュン進んで
気がついたら今の自分だった。
あれ?これが私?
???????な記憶からのスタートだった。
先の大戦で戦死した父方の祖父は
家族で満州にいた。
満州から引き上げてきて
途中で家族と別れて沖縄へ行き戦死した。
リーディングしてもらって話を聞いていて、
もしかして、もしかしたら、
あの施設で私はおじいちゃんに会っていたのかもしれないと思った。
人生の前半は、前世でやってきたことが
影響していると聞いたことがある。
自己犠牲的で身勝手に人に尽くして
疲れたり、感謝されないと嘆いていた自分は
前世が影響していたのかも
あぁ、だからか
結婚して子どもを産み育てることを避けたのはそういうことか。
結婚=家族のお世話
そんな生活は嫌だって
そうは言っても今の薬剤師という仕事も
独立してやろうとしたことも
人の話を聞くことで一時的に相手はスッキリするレベル。
「あなたにだったら話してもいいと思って」
愚痴や不平不満、不安、被害妄想話、マウントを取るかのような自慢話をする人は、私みたいな人を嗅ぎ分けるのが得意だ。
オバサンになってきたので、
段々とエネルギーを奪われなくなってきたが、
オバサンの年齢になったことで、
今までのツケを消すことができなくなってきた。
リーディングをしてくださった成田さんに
「今まで散々人のお世話をしてきたので、
これからは自分の世話をすること」
と締めのお言葉をいただいた。
自分のお世話を優先します。
本日もお読みくださり、
ありがとうございました🙏😊
