食事リハビリを拒否する父は

祖母と同じくあまされ老人と化した。


圧迫骨折は認知機能を低下させると聞いた私は、

父がまだ私のことをわかっている間に

父へきちんと感謝の気持ちを伝えようと

手紙を書き、食事介助の時に読み上げ、

病室へ置いてきた。


父は


「そんな立派な父親じゃない」


と話していたが、

またまた登場

万人幸福の栞に書いてある言葉を伝えた。


「どんな状態であっても

私にとってはたった一人のお父さんだから」


父は黙っていた。

結局この日ご飯は食べてくれなかった。


ある日の朝活で


「人を改めさせようとする前に…自分を変える」


😳😳😳

そうか…

私は父を変えようとしていたのだ。


私は母と話し合い

家に連れて帰ろうと思っていた矢先、

主治医の先生から呼び出しを受け

食事もリハビリもしないなら

病院ではもうすることがないということで

退院することが決まった。


とはいっても、このまま退院しても生活が成り立たないので、

介護保険を使ってさまざまフォローをしてもらうことになった。


介護保険証は65歳以上になると全員に交付されるが、私たちが今病院に行くときなどに使っている保険証と違い、

介護保険を使ってサービスをうけるには手続きが必要だ。


私が住んでいる地区では、中学校の学区毎に相談する窓口があって、まずそこへ利用したいことを伝え、

ケアマネジャーさんを紹介してもらい、

ケアマネジャーさんが父の様子を見に行ったりヒアリングして介護度を認定してもらい、

その認定度で利用できる範囲で計画を立ててもらう、という流れだ。


というわけで

ヘルパーさんによる週に2回の入浴介助と

2週間に1回心臓疾患の往診。

(往診は父の妹である今は亡き叔母を見ていた母は

大きい病院と系列の病院からの往診を希望した。)

そして、往診がない週に訪問看護師さんにきてもらうことになった。


段差をなくすためのグッズや手すり

歩行器と車椅子、介護ベッドのレンタル

をお願いすることになった。


今までは2階の部屋に寝ていたが、

退院後は祖母がいた部屋で

神棚と仏壇がある部屋にベッドは置かれた。


四半世紀ぶりにこの部屋が使われることになった。


準備は整いつつある。

しかし、病院でナースコールで何でもやってもらうことに慣れてしまった父に対して、

母と私は同じようにできない。

私は子育てすら経験がないので、

下の世話ができるのか?


食事の介助に行った時に

看護師さんに尿瓶の使い方を教わろうとしたが

父に断固として拒否されてしまった。


母にさせるつもりか?

看護師さんは交代でできるけど

母は1人しかいない。

24時間365日コンビニのようにはいかないのだよ。


どうなるコミレイ家



本日もお読みくださり、

ありがとうございました😊