回想シリーズが終了して
ここ

の続きです🙏
無事葬儀を終えたが、これで終わりではない。
ここからが大変なのだ。
妹がいる間に、いただいた御香典に整理から。
香典返しは通常半返しと言われている。
御供花いただいたり、
香典返しだけでは半返しになっていない方への
御礼をするためのリストを作成。
あれ?
そういえば…🤔
父が力を入れていた勉強会の関連の方々、
誰一人としてお名前がない🫢
ということに気づいた私。
父は今から20年くらい前、
自分が診ていた患者さんの診察が終わって、
患者さんが診察室から出る時に振り返って父に向けた表情が気になっていたものの、
声もかけずに見送ってしまった。
その後その患者さんが自殺したことを知り、
悔やんだということを話してくれた。
そして、そのことがきっかけで
患者さんの会を立ち上げたのだ。
ちょうど時代は
昭和から平成のある時期まで
メーカーは薬を採用してもらいたいので、
医師個人へも凄ーく貢いでいた頃だ。
大学病院で父が採用に貢献した薬のメーカーさんはちょうど社会活動に力を入れていて
両者の思惑が一致し、父が立ち上げた患者さんの会のスポンサーになってくれたのだ。
患者さんの会のセッティングや費用負担まで
この会社におんぶに抱っこの状態だった。
参加したことがないので想像になってしまうが、恐らく会場は毎回ホテルで
忘新年会シーズンといった節目には、ホテルの美味しい食事も提供してくれたと思われる。
患者さんにとっても、通常の会議室でパイプ椅子よりも、ホテルのゆったりして座り心地が良いところは身体にもご負担がなくてよかったのだと思う。
しかしどの会もそうなのだと思うが、
長年メンバーに変わり映えもなく、
同じ状態が続くとマンネリ化してしまう。
そして時代も変わり、平成の後半から
医師へのメーカーからの利益供与に対して
規制がどんどんかかるようになり、
今では、年末にカレンダーをもらうことですら、利益供与として規制されることになった時代となってしまった。
今までは出欠確認だけ、ただ参加するだけでよかったのが、
費用はもちろん、会場を押さえるところから全て自力で行わなければいけなくなり、
良きに計らえで何もしない父の元では
会の皆さんの負担が大きくなり
解散という結論に達したのだろうと私は感じた。
この会の方達の連名で御供花をいただいたのだが、その当時、会の中心だった方たちのお名前はなかった。
そして、もう一つ
ここが超重要ポイントになるであろうことに気づいた私だった。
本日もお読みくださり、
ありがとうございました😊
