最近韓国からの心痛むニュースにくぎ付けになっている。
いわゆる正義連(日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯:元挺対協)の尹美香(ユン・ミヒャン)氏の非理疑惑すなわち会計不明朗問題、元被害者李容洙(イ・ヨンス)氏の告発によって明らかになった。

 

                       尹美香(ユン・ミヒャン)

検察庁も捜査中とのことであるから単なる会計処理ミスで済まされる問題ではない。尹氏の疑惑は大きく三つの点に集約される。

 

①    集めた募金を被害者に渡さなかった。

②    募金は個人口座で集め、不動産購入などに使った。

③    被害者のための休養施設を相場よりも高値で買い、疑惑が発覚するや安値で転売、会に損害を与えた。

 

個々の詳しい事実関係は報道されているし、検察の捜査で明らかにされるだろうから触れないでおく。ここでは被害者と支援者との関係という観点に立って見ていきたい。

 

      李容洙(イ・ヨンス)  

        

私は在日韓国朝鮮人の子どもの支援運動に長く関わってきた。その中で絶対にしてはならぬと肝に銘じていたことがある。子どもの意志を尊重し、支援運動の理念を実現するための道具として利用してはならぬということ。

 

以前のブログで貴乃花と貴ノ岩との関係を通してこの問題を考えたことがある。

https://ameblo.jp/eee-dushi/entry-12511655324.html                

                                                 

            

支援が必要な子どもを管理下に置き、意のままに操ろうとすることを「囲い込み」と称した。

貴乃花は貴ノ岩に対してまさに以下の行為を行った。

①   外部からの接触を遮断  ②囲い込む   ③当事者の意志を隠蔽  ④自分の都合のいいように引き回す  ⑤当事者の意志を代理代行する   ⑥当事者に成り代わる

 

「本名を呼び名のる」運動の理念の正しさを私は今も信じているが、在日の子を追い込んだり、駒として利用することを厳に戒めてきた。ある教師が在日の子の作文を偽造して実践発表しようとした時、私は彼の非を厳しく追及し袂を分かった。

 

プンム演奏、朝鮮語弁論など多くの時間を共にしたAが原発関連の贈収賄で名高い某電力会社に就職すると告げた時、私は戸惑いを隠せなかった。「原発は必要と思います」との彼の言葉にむなしさは感じたが、支援とはこういうもの。問題は在日の彼が彼の人生をどう生きるかだ。

 

被害当事者を代理代行し、あげくに成り代わる行為は最小の努力で最大の成果を得ようとするプラグマチスト、つまり要領のいいヤツがはまる陥穽だが、確固たる信念のもとに意図的に行う者がいる。政治党派がそれである。

 

今はどういう位置づけになっているか知らないが、某前衛政党とそこから分かれた反前衛党派。労働運動や部落解放運動など多くの弱い立場の人たちの大衆運動が彼らによって分裂させられ、乗っ取られていった。自民党政府・経済界がその好機を逃すわけはない。

 

代理代行主義を実行する政治党派の支配が日本の民主主義に計り知れぬ打撃と大衆にとっての損害を与えたことは明らかである。 

 

                                                   

                        正義記憶連帯の事務所。挺対協もまだ存続し、補助金交付を受けているという

韓国では朝鮮戦争の結果、左翼前衛政党は存在を許されぬものになった。日帝支配時代の衡平社などの大衆運動の経験の蓄積が受け継がれず、解放後の左右対立で無化されてしまった。前衛を名のる人たちが何をしてきたか、韓国では知るすべがなくなり、免疫がなくなったのである。

 

私は韓国の民主化運動を高く評価するし、多くを学び多大な影響を受けた。サムノリ、プンム運動にもその精神は脈々と受け継がれている。80年代、90年代韓国に通い、私もその時代を生きた。 

 

                                金学順(キ・ハスン)

                         

慰安婦問題に接したのは90年代の初め、福岡を訪れた金学順(キ・ハスン)氏を囲む集会に参加した時だった。不調に終わった95年の「アジア女性基金」や15年の「和解・癒し財団」による支援が韓国側からその都度ひっくり返されることに一種のわだかまりを感じてきた。

慰安婦20万人説は挺身隊との混同であるが、違うことを知りつつ挺身隊の名称を使い続ける「挺対協」の傲慢さに疑問を感じ始めた。当事者を支援するといいながら、当事者を支配し利用しているのではないかと。私が厳に戒め、闘ってきた代理代行主義そのものではないかと。

 

                       朴裕河(パ・ユハ)

 

疑問は膨らんでいった。「帝国の慰安婦」を著した朴裕河(パ・ユハ)氏の講演を聞き、訪韓の際原著を買い求めたが、「修正本」しかなかった。彼女は多様な慰安婦の姿を事実に即して多面的に考察したのみで、元慰安婦の人たちを侮辱するために、日本の罪を擁護するために書いたものではなかったのに、裁判で「修正」が命じられたのである。