Not pray
"come back"
Let say
"DO NOT GO"
上記HPより画像お借りしています。
○1917 命をかけた伝令/1917(2019)
監督 サム・メンデス
☆☆☆
出/ジョージ・マッケイ、ディーン=チャールズ・チャップマン
今の時代にどエンタメで戦争映画を作ってくるなんて……嬉しくなっちゃうじゃんかよ、サム監督!
そうそう、色々な映画が観たいんであって、戦争映画だからって真面目な顔して「ボーイソプラノ流して神々しい感じ」にしてばっかじゃつまらない。
今作でのメンデス監督演出は、サスペンスは音楽でモリモリ盛り上げる、なるべく長回しを多用して「リアル」よりも「臨場感」を生み出す。
長回しの多用によって、我々観客が実際に戦場に居る様な感覚に陥るか? というと「全然そんな事はない」と思うんですけれど(普通にカット割ってた『プライベート・ライアン』は実際戦場に居る様に感じた)、これはもうサウンドデザインの話で。
四方八方からピュンピュン銃撃音が鳴り響きまくった『プライベート・ライアン』に比べると、本作『1917 命をかけた伝令』は主人公たちの心情に寄り添った音響設計がなされていると思うので、むしろメンデス監督といえばのトーマス・ニューマンによる劇伴が大きな影響力をもって「戦争追体験」ではない「普通に盛り上がるライド映画」となっているかと思います。プラスして、カメラの存在が嫌が応にも物凄い意識されるから映画に没入できない。
っていうかこだわり過ぎで有名な映画監督デヴィッド・フィンチャーが「あのじいさんはこだわり強すぎ」とさじを投げる程のこだわり撮影監督であるコンラッド・L・ホールに怒られながら仕上げた『アメリカン・ビューティー』(詳しくはDVDの未公開場面の解説音声をお聞き下さい。ホール御大が毒舌過ぎてメンデス監督が困り果てるという異常事態が発生してますよ(笑))の頃より、舞台出身だからって撮影にもこだわります! という姿勢が強かったサム・メンデス。
ホールが鬼籍に入っちゃったという事で、『ジャーヘッド』からコーエン兄弟作品で有名なロジャー・ディーキンスが撮影監督に就任。ちなみにどうでもいいけどジョージ・オーウェル原作の『1984』もディーキンスが撮影監督だ!(ちなみにメンデス監督作の『お家を探そう』はまた別の撮影監督だったりする)。
市街地の場面とか芸術度がヤバかったですね。照明弾が作る影が伸びたり縮んだり。『007/スカイフォール』そのままなのもある意味ヤバかった!(色とか)
そういえばその夜の市街地で登場するフランス人女性と赤ん坊の場面は、「戦争映画で星の数ほど観てきた場面」であります。言葉が通じない異国の女性、赤子、しかも赤子がどこから来た子なのかも彼女は知らない……戦争映画あるある過ぎて一瞬ポカンとしてしまったのですが、メンデス監督としてはミルクをやりたかったのね。
たまたま逃げ込んだ建物に、たまたま女性と赤ん坊がいて、たまたまミルクという単語が理解できて、たまたま水筒に牛乳が入ってた。
冒頭の方で、手に裂傷があるから死体から遠ざけたけど、後から穴に飛び込んできた相棒が別の死体にビックリしてぶつかってきた拍子に裂傷がある方の手が死体の体内にズブリと入っちゃった。みたいな凶悪ギャグをかましていたメンデス監督ですから、「赤ちゃんは缶詰とか食べられない……ああ、ミルクがあれば」「ところが……あるんです」というギャグでもありますね。
というか川を流されたり(ちなみに川に飛び込む場面で、人物もしくは背景が途中からオールCGに切り替わる瞬間があるっぽいんですが、観てて違和感あったなー)、歩ける訳がない前線を歩いたり、相棒から「死から救い出す」とか言われたりジョージ・マッケイ演じるスコは、やっぱりキリストと重ねられてるんですかね。
それはそうと、この映画を観ていて1番凄いなあと思ったのは「人物の位置を入れ替える際の自然さ」ですよ。
前半は長回しスタイルなので、同じ画にならないように施されている工夫の数が半端ないんですよね。例えば主人公2人のどちらが前を歩いているか、というのを「ある程度マッケイ演じるスコフィールドが前を歩いたからここらでチャップマン演じるトムを前にもってこよう」という際の入れ替えの手際良さ。
基本的には「人を避ける為」にどちらかが遅れる事で入れ替えているのですが、2人の前を荷物を運搬する兵が通過するから並んで待っていて歩き始めると前後が入れ替わってる、とかいう小技も効かせてますね。
ほいでまあ、トーマス・ニューマンの音楽がとても良かったですね。この人は似ている事を恐れない。「この映画はエンタメだからジマー感出してね」とでもメンデス監督に言われたのでしょうか、半端ないジマー節が全編を覆っています。
そういえば、『アメリカン・ビューティー』の印象的なテーマ曲が少し形を変えただけで『ロード・トゥ・パーディション』や『ジャーヘッド』に使われたりもしていました(単に同じ楽器を使ってるって事なんでしょうかね)。
で、音楽が何故そんなに重要かっていうと、ドイツ軍が撤退した後の塹壕に主人公2人が侵入する時。ほんとに……いない……かなあ! と銃を構えて飛び出すその時、物凄いサスペンスフルな音楽が鳴り響いてるんですよ。
ハッキリ言ってこの映画は『アメリカン・ビューティー』や『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』などのドラマ的作劇ではなくて、007的に作ってます。だから『007/スペクター』と同じように飛行機が墜落して滑る場面があるじゃないですか。
それで、エンターテインメントを戦争映画で追求する事の意味ですが。
まあ、『1917 命をかけた伝令』を観て「大変な反戦映画だ」と感じる人はあまり多くないように思えます。何故かと言うと、スコがヒーローになるからです。
ここで言うヒーローとは、相手に銃を撃ちまくられても走ってれば当たらない人、という程度の意味ですが。要するに映画的なヒーロー。
ヒーローの条件として、スコはなるべく敵を殺したがらない人物として描写されます。
悲惨さが兵士の間で広まっている戦場から生還したという点と、「どうしても故郷に帰りたくなかった」と漏らした事から察するに、彼は人を殺した事を物凄く悔いている(あるいは故郷で人を殺したから戦地へ来たのか)。
兵士だから人の死に慣れてる、なんて事は無いわけで。どうしたって死にたくないし、同じように相手が死にたくないってのも判ってるし。
スコがトムより経験が豊富だというのも、この描写の為なんだと思います。トムはドイツ兵たちを「あいつら家に帰りたくないのかな」と不思議がります。
戦場から帰りたくないやつなんていない。
だから死体をいくつ見ても慣れる事が出来ない。みんな喜んで死んだわけじゃないから。死にたくないのに、殺されたから。殺したのは、俺もだから。
でもトムは口汚くドイツ人を罵っても、墜落した飛行機で生きたまま焼かれようとしているドイツ人をスコと一緒に必死になって助け出す。
「楽にしてやろう」と言うスコ。
「何言ってんだ! 水もってこいよ!」と返すトム。
……戦争をしている状態が人間という生き物の普通の姿なのだと、割とよく見聞きします。縄張り争いとか、原始時代からしてたんでしょうから。
でも僕としては、徳弘正也の『新・ジャングルの王者ターちゃん』を読んだ時に答えが出てて。っていうか書いてあって。
遊びで人が死んでいくような格闘トーナメント戦において、主人公である野生児ターちゃんが言うんです。
「動物だって自分と家族が食べる為に他の動物を殺すけど、食べる分以上に殺したりしない」
一部分ですが、このような内容です。そしてターちゃんは、自分が馬鹿だからこれ以上ちゃんとした説明が出来ないと言って泣きじゃくる。
この説明を聞いて、何故争う事が悪いか判らない人は、本当の馬鹿だと思う。
トムはその助け出したドイツ人に刺し殺されます。そしてスコはドイツ人を撃ち殺す。
その後の市街地の場面で、2人のドイツ兵をみつけたスコがどうしたか?
トムのかたきだああああ! と鉛玉をたんまり食わせたか?
殺さなくて済むように手で口を塞いだんですよね。結局は殺す事になってしまうけれど、殺さない為にまず何かをせずにいられなかった。
直前に、狙撃兵を殺しているからというのもあります。市街地の美しい地獄巡りは、このドイツ兵の死体から始まりますから、この死がスコにとって物凄く重要な意味を持っているというのがわかる。
それと、最初と最後で草むらで大木に寄りかかる姿が映されます。
最初は眠っていて、最後は妻の写真を見て。
この眠りから始まる描写があることで、「戦争というフィクショナルな物」を物語る映画ですよという意味合いが強くなっていると思います。
大義名分とかないから――そういう事なんでしょうね。もう夢の世界、まったくもって現実離れした世界であると。
あのう、撮影も音楽も本当に素晴らしいし、エンターテインメント性を最重要課題としている点もとても良いと思います。でもなんとなく絶賛する程ではないかなあ、と思っちゃう。
まず、僕は戦争の中の美点を取り上げる物語が嫌いです。
戦地での友情とか(「俺はお前の為にこそ死にに行く」とかいう言葉を聞くと吐き気がします)、何十人救った勇気とか(「戦争という狂気に飲み込まれなかった男」とかいう言葉を聞くと吐き気がします)、多くの兵士を救う事となった奇跡の作戦とか(名将とか言う言葉を聞くと吐き気がします)、遠く離れた故郷で心をすり減らしながら大事な人の帰りを待ち続けるあなたやわたしとか(戦争なんてやんなきゃ待つ必要ないのにね!)。
99999999の惨たらしい出来事をどこかへおいやり、1の美談を取り上げる。
だからこの映画のラストもラスト。写真の裏に「帰ってきて」と書かれている場面で終わるのが本当に嫌だった。
戦争によって傷つけられたスコが、戦争の中で得た友情と、戦時中に殺すだけではなく女性と赤ちゃんの命を救った事で、故郷に帰る決心をしたという帰結ですよね?
なんだそれ!?
戦争をどんなに格好良く描いても別に文句ないけど、「戦争から産まれた美談」は本当に胸がムカムカして仕方ない。戦争によって戦争から救われたんですか?
これは、主人公スウォフォードがただの1発も撃てずに終戦を迎えるというサム・メンデス自身の『ジャーヘッド』よりテーマが後退してしまった感じがどうしてもするのです。
戦争は良くない……「とはいえ」。的な臭いがしてしまうんですよ。
と、文句ばっかり言って●付けてお終い! にしなかったのは、ジョージ・マッケイが大作に主演してるからよね。
『はじまりへの旅』でヴィゴ・モーテンセンの長男を演じてた彼にハートずっきゅん。あの映画で1番格好良かったわ。
これからも頑張ってね。でもヴィゴ・モーテンセンの息子ってよりもマッツ・ミケルセンの息子って言った方がリアルよ。

