戦争という名のかいだん話

https://www.firstshowing.net/2019/genius-second-trailer-for-taika-waititis-anti-hate-satire-jojo-rabbit/

上記HPより画像お借りしています。

 

ジョジョ・ラビット/JOJO RABBIT

監督 タイカ・ワイティティ

☆☆☆☆☆

出/ローマン・グリフィス・デイヴィス、トーマシン・マッケンジー

 

「え、嘘でしょ? 戦争とかまだやってんの? え? ダサっ!」

 という映画でしたね~。

 人が死ぬ瞬間の多くは映されず(ラストでの現実の戦場とはという場面が始まる時に兵士が撃たれる描写ぐらいだったかと)、死んだとわかる描写はダサダサか間接的に描いています。しかし誰かを助ける場面は、本気で格好良く撮っている映画ですよ。

 戦争とか、ただの人殺しなわけで。WAR HEROって大量虐殺者って意味がほとんどなわけでしょ? たまには『ハクソー・リッジ』みたいな人もいたかもしらんけど、だったら最初から戦争なんてしなきゃ良いだけの話で。

「火器描写がスゲー格好良い」反戦映画や「内蔵グチョグチョでホラーファン大喜び」の反戦映画や「強制労働をマジカルに楽しく描写する」反戦映画とか。

 どこかエンターテインメント。映画だからしょうがない? いや、知恵を絞ってないだけでは……。でも、でもね……

 そんな戦争映画界に現れた『ジョジョ・ラビット』。

 エルサが隠れ場所から出てくる場面でおもいっきりシャマラン監督の『サイン』を模したホラー演出で大爆笑させてくれたり(特に音楽に注目! マイケル・ジアッキノによるジェームズ・ニュートン・ハワード節が炸裂してます)。

 未知の存在であるユダヤ人=子供にとっては宇宙人的な者として描く。

 この未知の人々という描写は、ジョジョが戦場の真実を知る場面でも炸裂してます。

 羊飼いの人たち、女の子、大人の女性、スーツ姿の男性、太った男の人、無邪気な子供たち……染み一つない格好良い制服に身を包み、軍靴鳴らして一糸乱れぬ行進をするナチスの勇ましき姿なんてどこにもない。

 ユダヤ人について学んだ事と一緒で、全ては幻想に過ぎなかった。いや、嘘に過ぎなかった。

 そしてその場にキャプテン・Kが何故どこからどうみてもエルトン・ジョンな感じの軍服に身を包んで現れたか。

同性愛者が抑圧されまくっている時代へのカウンターとして「俺は現在同性のパートナーとラブラブ!」という訴えを声高にという意味もあるでしょうが(彼が左遷された理由は子供を怪我させたとか目を負傷したとかではないと思われます)、それ以上に「戦争の為にデザインされた服なんか馬鹿みたい!」という思いを込めているんですよ! だから最後に彼がジョジョが着ているナチスの制服という「皮」を剥ぐんです。

キャプテン・Kは初登場時から子供たちの事を本当に懸命に考えていますよね(ロージーが首を吊られた後で、それを知った彼がジョジョを守る為に自転車かついで大汗かいて息を切らしながらジョジョの家に駆け込んでくる姿は本当に格好良い)。

「ドイツは敗色濃厚!」と宣言して政府がつく嘘から意識を(ほんの少しにせよ)逸らさせたり、子供たちの憧れである銃を格好悪くおふざけまじりで撃って憧れを減じさせたり(ラストの方で機関銃乱射もしてますが、フィンケルと2人して明後日の方向に撃っている)、そして「戦争に行くとただでは帰れない」という現実を自身の視力を失った目によって真っ先に教え込んだ。僕は目力って本当にこういうことだと思ったんですよ。冗談じゃなくて。無い物を在ると言い張るのではなく、在ったけどもう無いんだと訴えている。視力を無くした目は、子供たちの未来を見据えている。 

 キャプテン・Kと彼のパートナーであるフィンケルの行動を観ていると、本当に優しさが溢れまくっていて嬉しい(ついでにケーキをあーんしてて微笑ましい)。フィンケルはジョジョに椅子を出してくれるし(またさりげないんだこれが)。キャプテン・Kは口さがなく「想像力豊かだな!」とジョジョの本を笑い飛ばしますが、口にされている言葉が心の内側を伝えているとは限らない。「お前は豊かな想像力を持っているぞ」と太鼓判を押されたジョジョがどれ程人生を変える事となったか(やる気を出し、調査をし、何が嘘かを理解する)。

 小さな親切が誰かの命を救うことだってある。

 プールではママのロージーが、ジョジョの額にべったり口紅を遺すキスをした。

 ジョジョの顔に出来た傷がからかわれないように、「マザコンかよ!」と口紅に目が行くように。

 人の美しさは外見だけじゃないけれど、外見って「見えてる」から大きな要素である事は否定できない。傷があればからかわれる、勉強して知識があればやり返したり耐えたりも出来るかもしれない、でも10才の時に馬鹿にされ傷ついた心が癒えるのにかかる時間はわかりようがない。だから予防線を張る。綺麗事だけじゃない。

それでも中盤にあるジョジョが金属集めの仕事でロボットの格好をしている場面で、ヨーキーが「ジョジョー!」って声をかけてきますね。ヨーキーは一言も「ロボットの格好してどうしたの?」とか聞きません。彼が見ているのはロボットの格好をしたナチス党員ではなくて、ジョジョという友達だからに他なりません。ジョジョという存在を見ているんです。人種とか肌の色とかどうでもいい事は気にしないんですよ。

 

 ジョジョはお母さんの靴紐を結べず、エルサの靴紐は結べました。

 もちろん靴紐を結ぶ事は成長を表しています。

 つまりこの映画は、お母さんの死でジョジョは成長しなかったと訴えている訳です。

 人の死は、人を成長させない。当たり前ですよね? 生きて、あれこれ教えてくれた方が、一緒に居てくれた方が成長出来るに決まってる。死なない方が良いに決まってるんですよ。最後の方に流れる歌の通りで、「皆生きなきゃ。で、皆死ぬ。皆生きる。理由なんか知らないけどさ」

 これって映画にありがちな、「誰かの死によって成長する物語」を否定してますよね。死から立ち直る物語とはまた違って、登場人物の死を利用する感じの物語を。

 

 戦争を正当化するような思想は全てクソ! という主張の本作ですから、ナチスドイツ=ドイツ人クソ! みたいな主張は真っ向否定します。

 救助に来た「アメリカ兵」がナチスの制服を着ているジョジョを見咎めて「ドイツ語」で怒鳴って来た際に、ジョジョは「言葉がわかりません!」と答える。

 そして超ホットな、暖かくてあたたかくてやけどしてしまいそうなキャプテン・クレンツェンドルフはドイツ人で兵隊なので射殺されました。

 言語や出生地なんて、設定でしかないんですよ。

 ハリウッド映画だったらパリが舞台のフランス人たちの物語であっても英語で喋りまくり。

『ジョジョ・ラビット』はドイツが舞台ですがアメリカ映画なので主な登場人物たちは英語で話していて、逆にアメリカ兵が「外国語」としてドイツ語を喋っている。

 国の違いなんて、そんなもんなんですよね。

 ↑という演出だと劇場で観た際には思い込んでいたのですが、ソフトで観直してみたらば……普通にソ連軍のヘルメット被った兵隊がロシア語喋ってたという赤っ恥。

 

 

 階段が背景に使われる場面が多いです。

 エルサの初登場時は「最高の人種である金髪碧眼のアーリア人であるジョジョが階段を転げ落ちる」という転落の始まり描写にもなってました(笑)。そしてその階段の背後の壁紙は赤い。

 さらにママと恋愛談義する場面では、背景に巨大な階段が登場します。ここでは階段の背後は緑色の自然です。

 なぜ階段なのかと言えば、見方ひとつでのぼる物にもおりる物にもなるからです。見方によって、その人の捉え方によって変わる物。

 最後の場面で、外へ出たエルサと向かいあうジョジョ。自ら階段を1段降ります。相手より高い位置にいる為の段、自らの意思によりそこから降りることで成長をあらわす。のぼる事では成長をあらわさない。ただ相手と話しやすい位置に移動しただけ。ここでの背景は、玄関のドアです。人を招き入れる事も、人をはじき出すこともできるドア。世界と自分を繋げる事も、断絶する事もできるドア。

 続くラストダンスは撮影の仕方がお見事!

 ザ・ビートルズの<抱きしめたい>ドイツ語バージョンから始まったこの映画は(あのザ・ビートルズのライブ映画みたいなオープニングでは、手をつなぎたいという歌詞のハンドの部分でヒトラーの手が映っている=徴兵の意味も持たせていた)、音楽の拍子を取る自由な手の動きで終わります。だから、最初に身体を揺らし始めた時には2人の手は画面の外にある。

 ジョジョの手がフレームに入ってきてスナップ。

 音楽が始まった!

 エルサの手もフレームインして動きまくる。

 ヒトラーを戦争を死を不幸を賛美する為に動き方すら強制されていた、その手と手が自由に踊る様の格好良さ!

 なんて素敵にワーイティティー!!

 

僕らの両手は、何に使うかなんて決められてない。

 

 

 ※ちなみになんでオープニングでの楽曲がザ・ビートルズのドイツ語版なのかは公式伝記である<増補完全版 ビートルズ>などを読むとわかりますが、あの髪型あの服装になるデビュー前に仕事として滞在していたので縁が深いからだと思われます。そして、君の手を握りたい! と繰り返すこの<抱きしめたい>という歌は、とても素敵なラブソングです。

 

 

2/9 追記

 ロージーたちの首つり死体が晒されている場面において、家の屋根が数件分インサートされます。それぞれの家で、窓の出っ張りが2つ並んで人の目に見える……つまりロージーは近所の誰かに密告されたんだという演出ですね。

 だからジョジョたちの家に連中が捜索しに来たんですよ。で、2人の子供たちは馬鹿が付く盲目的なナチス信望者だというのを確認して、思わず笑いやがるんですよ。「っちょ、オマw ママが薄汚い裏切り者でぶち殺されましたけど信じてまちゅねー。良い子でちゅねー。馬鹿でちゅねーw ママの事殺してゴメンネゴメンネー!」って。

 キャプテン・Kはロージーが吊されたのを知ったから、ジョジョも殺される筈だと思って全力で駆けつけてきたんです。

 そして、後にママの死を知ったジョジョはエルサにナイフを突き立てる。

 ユダヤ人が諸悪の根源だと教わったから。

 諸悪の根源を守ったせいでママが死んだから。

 ナチスは善い者で……ユダヤは悪い者で……

 殺してやりたい程の憎しみをまとった刃は、服の一枚すら突き通せなかったじゃないか。

 彼が彼女を愛してるから。

 憎しみは愛より弱いから。

 愛してる人の身体に、ナイフが届く訳がない。

 

 ジョジョは周りの大人たちに守られ、大きく行動してはいないかもしれない(子供だから、とも言えるけれど、10歳や11歳でも武器を持って人を殺すのが戦争の当たり前。子供だからという理由だけでは行動しない説明にならない)。

 でも彼は1番難しい事を能動的に行ったはずでしょ?

 過去の自分が間違っていた事を知って、認めた。国という大きな存在が出来ないでいる事ですよ。国を動かしている大人たちがしないでいる事ですよ。

 自分を変えるという、目には見えないけど物凄く大きなアクションをジョジョは起こしたんです。

 で、僕は彼を守り続けた大人たちが本当に彼に託して望んでいた事ってまさにそれだと思うんですね。

 自分たちの死を無駄にしないでくれとか、自分たちにも良くしてくれとか、この国の未来は君の肩に掛かっているとかじゃなくて、「なるべく善い人になりなさい。困っている人を助けなさい」って。

 そもそも最初の方でジョジョは、年上連中の命令をはねつけてウサギを逃がそうとしたじゃないですか。怖くて出来ませんじゃなくて、「逃げろにげろ」って。

 同調圧力への抵抗は物凄く勇気が必要です。だって人質にとられているのはその後の自分の生活だから。ウサギを殺さなければ虐められるのは確実ですからね。それをわかった上で彼はウサギを逃がそうとした。

 そんな子だからママは諦めなかったし、いつか変わると信じ続けた。

 ママを殺されるという物凄い罰を受けた子供が振り下ろすナイフを、エルサはそのまま受け止めた。

 ウサギは殺された。ママは殺された。

 最後に彼と彼女が得た「自由」には、どうしたって責任が伴う。もう守ってくれるだけの大人は誰も居なくなった。

 これから。自由に生きて、いつか死ぬ。殺されないし、殺さない。

 外はとっても危険だ。怪我もするだろう。

 唾でもかけときゃ、いつか治る。

 

 

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