こんにちは
江戸町かふぇオーナーのワッキーです。

私はおばあちゃん子だったみたいです。

みたいというのは、物心ついた頃にはもう
祖母は寝たきりだったからです。
それでも、かすかに覚えているのは、枕元で遊んでいる時に 大好きな炭坑節を歌ってくれたこと。

そして、はっきり覚えているのは、天井からぶら下がる紐を差し出して「これで首を絞めてくれ」と懇願する祖母の悲しそうな顔。

その紐は、右半身に麻痺のある祖母が体を起こす時に左手でつかめるよう、祖父が天井に取り付けたものでした。それでも1人では起きることができず、その度に誰かを呼ばなくてはいけませんでした。

排泄から食事まで、日常生活の全てにおいて誰かの世話になることは、働き者で社交的な祖母にとって耐え難いことだったのでしょう。

今のように便利な道具もなく、介護サービスもありませんでした。幼い私も含めて家族全員で世話をしていました。祖母が亡くなるまでの10年もの間、私は祖母の苦しみと家族の大変さを家族の一員としてしっかりと記憶に刻みながら育ったのです。
介護保険が始まる少し前、世間では「シルバービシネス」とか「介護ビシネス」という言葉が溢れていました。何だか気持ち悪くてたまりませんでした。ビシネスという言葉が、相応しくないと強く感じました。

そこで石橋を走って渡る私は、エィッとばかりに介護サービスの会社を立ち上げてしまうのです。

今、考えると甘ちゃんだったかもしれません。
会社がなければ何もできませんから、ビシネス感覚も不可欠です。

それでも、起業して18年たった今でも、私が1番大切にしたいのは利用者さんやご家族の気持ちであり、望む暮らしです。それだけはブレた事がありません。それは、10年かけて刻まれた記憶がしっかりと私の心の引き出しの中に収まっているからだと思います。

もう一つ、同じ頃に私の心に刻まれた事があります。それが、今の地域での活動に繋がっています。それについては、次回お話ししますね☺️
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