おはようございます 江戸散歩です

 

神奈川県立歴史博物館、通称"県博"の博物館巡りの2回目となりました

 

 

 

 

古墳時代の家屋

 大昔の家は地面に穴を掘りそこに萱を拭いて切り妻屋根仕立てにしています

 

現代の合掌作りの原型でしょうか

 

 

 

 

 

古墳

埴輪を取り囲む土器

古墳とは古代の墓で、埴輪は死んだ人を守る役目があります

 

 

 

 

 

弥生時代の集落

 

 

 

 

 

ここは、大山街道歩きで訪れました

広い敷地に七重塔の土台などが展示さています

 

このときの模様はこちらから

https://ameblo.jp/edo-sanpo/entry-12101332026.html?frm=theme

 

七重塔のミニチュアは海老名駅前にもありますよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中央に走る南北の太い道東山道は、武蔵国分寺と相模国分寺を結ぶ幹線街道です

道幅が太いのですが、この痕跡が東京の国分寺で見れます

この時の模様をアメブロで紹介しています

 

https://ameblo.jp/edo-sanpo/entry-11921376368.html

 

 

 

 

 

 

 円覚寺 舎利殿 復原模型

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 神奈川県唯一の国宝建造物で、境内の奥に位置する塔頭・正続院の中にある。「塔頭」とは禅寺などで、歴代住持の墓塔を守るために作られた付属寺院のことを指し、正続院は開山無学祖元を祀る、重要な塔頭である。舎利殿は入母屋造、杮(こけら)葺き。一見2階建てに見えるが一重裳階付きである。堂内中央には源実朝が南宋から請来したと伝える仏舎利(釈尊の遺骨)を安置した厨子があり、その左右には地蔵菩薩像と観音菩薩像が立つ。この建物は、組物(屋根の出を支える構造材)を密に配した形式(「詰組」という)、軒裏の垂木を平行でなく扇形に配する形式(扇垂木という)、柱・梁などの形状、花頭窓(上部がアーチ状にカーブした窓)や桟唐戸(さんからど、縦横に桟をはめた扉)の使用など、細部は典型的な禅宗様になる。元から円覚寺にあったものではなく鎌倉市西御門にあった尼寺太平寺(廃寺)の仏殿を移築したもので、15世紀(室町時代中期)の建築と推定されている。鎌倉時代建立の善福院釈迦堂(国宝、和歌山県海南市)や功山寺仏殿(国宝、山口県下関市)とともに、禅宗様建築を代表するものとして、評価は高い。通常は非公開で、正月3が日と11月3日前後に外観のみが公開される。なお神奈川県立歴史博物館に内部の当寸復元模型があり、上記の建築意匠を間近に確認することができる    wikiより転載

 

 

 

 

 

 

勢至菩薩坐像

 

 

 

 

 

 

 

 阿弥陀三尊の右脇侍。 『観無量寿経』の中には「知恵を持って遍く一切を照らし、三途を離れしめて、無上の力を得せしむ故、大勢至と名ずく」とあり、火途・血途・刀途の三途、迷いと戦いの世界の苦しみから知恵を持って救い、その亡者を仏道に引き入れ、正しい行いをさせる菩薩とされる   wikiより転載

 

 

 

 

 

 鎌倉幕府が置かれた鎌倉の全景

四方を山で囲まれた天然の要塞

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢窓疎石坐像

 

 鎌倉五山の瑞泉寺を創建しまた

 

 

 

やぐら

 鎌倉時代の崖を切り開いた墓地です

 

鎌倉の周辺で鎌倉時代中期以降から室町時代前半にかけて作られ、または使用された横穴式の納骨窟または供養堂である。 現在では土砂崩れや宅地開発で潰れたものも多く、残ったやぐらも風化で苔むした洞穴にしか見えないが、建立当時の内装は豪華であった。火葬骨のほか多くの副葬品が収められていた。 wikiより転載

 

 

 

 

 

 

 

 

日蓮聖人坐像

 

日蓮は、鎌倉時代の仏教の僧。鎌倉仏教のひとつである日蓮宗の宗祖。滅後に皇室から日蓮大菩薩と立正大師の諡号を追贈された

 

 

 

 

 

 

 

 

 

円覚寺仏殿

 

 

 

 

 

鎌倉武士の館

 

 

 

 

 

 

紺糸威具足

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

浮世絵でも沢山描かれた江の島

当時も多くの人々が訪れています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小田原城復元ミニチュア

 

 

 

続きます