深川七福神③

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おはようございます 江戸散歩です

 

 

昨日の大雪予報は外れて良かったです

2週続きの雪はうんざりですからね

 

今日は節分の日

季節の分かれる日です

もうじき春ですね♬

 

豆まき、恵方巻き、イワシ焼き   夕飯が楽しみです

 

 

 

 

 

 

 

 さて、江戸散歩の深川七福神巡りは、冬木弁財天です

 

 

 

 

 

 

 冬木弁財天近くには居酒屋貴闘力がありました

貴闘力は何かと話題の多い人で、ギャンブル好きな事で度々不祥事を起こしている人です

 

大鵬親方の三女と結婚して婿養子にはいりますが、またまたギャンブルで不祥事が発生して部屋持ち親方としては異例の協会から除名され、更に離婚となりました

 

最近の話題で、大鵬の孫が角界デビューしてメディアに取り上げられていますが、貴闘力の子供という取り上げ方がされていないのは気になります

これも相撲界の悪い風習でしょうか

 

 

 

 

 

 

 

 冬木弁財天

 

冬木弁天は、以前大きな池のある材木豪商冬木家の邸内の弁天堂に安置されていました。現在は境内が狭くなってしまいました。

弁財天は、インド名をサラスバティという川の名、意訳して、大弁天、美音天といわれこの川の神が、悪声を変じて美声に変える音楽の神、芸術の神でした。仏教の神となり、才智弁舌の神とされ、最勝王経に説かれているように、「もし財を求むるならば多財を与える」とあります。わが国では、弁才天より弁財天として、財宝を施す福の神として信仰されるようになり、商売繁盛の富有の福徳を授け、芸道音楽の仏神として位置づけられ、池、川、沼、湖などに多く祀られ、蛇が神使とされてきました。また、同経に、弁財天は、智慧、延命、安楽を与えるととかれています。

江の島、竹生島、厳島の弁財天が、昔から有名であり、お姿は、女神、白色の美顔、頭に宝冠、一般には青色の衣を着し、左手には琵琶を抱き、右手でこれを弾いている座像が多いのですが中には八臂、各手にいろいろな器杖を持っています。

正月最初の巳の日を昔から初巳、初弁天として弁財天への参詣者が多く、巳成金という海運のお守りをうけ、これは金持ちになるというならわしであります。

弁財天を宇賀神として信仰しているところもあります。

 

 

 

 

冬木弁天堂は、木場の材木豪商、冬木弥平次が宝永二年(1705年)、茅場町(中央区)から、深川に屋敷を移転した際、邸内の大きな池のほとりに、竹生島から移した弁財天を安置しました。そのためいまでもこの町を冬木町といいます。この弁財天は、等身大の裸形弁天にして、毎年一回衣装の着替行事をおこなってきましたが、大正十二年の関東大震災に焼失しました。冬木弁天は、明治三年から一般に参詣を開放しました。現在の弁天堂は、昭和二十八年に再建されました。尾形光琳が、冬木家に寄寓中、冬木家の妻のために書いた秋草の小袖が、上野国立博物館に保存されています。冬木弁天堂は、古義真言宗に属しています。深川七福神HP寄り転載

 

 

 ここは、お寺でも神社でも一般人の敷地を開放しています

 

なので、七福神の期間が過ぎている時は、御朱印などを頂く事出来ません

代わりにスタンプが置かれていて、御朱印帖に押しておきます

 

この押し印を押すことがまだ続く事は予期していません😆

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日も東京は寒かったです

手水の鉢も水が凍っています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かなり細い道を渡って先の祠に向かいます

池の水は完全氷結しています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 弁財天の神使いの蛇が祀られています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 祠の下は池で近づく事さん容易ではないでした

 

 

 

 

 

 

 

 ラーメンのこうかいぼうさん、行列しています

 

 

 

 

 

 

 

 

 法乗院

 

 

 

 

 

 

 ここは大きな閻魔様がいるんですが、お賽銭を入れると音声が流れる仕組みです

それぞれの祈願する内容毎にお賽銭を入れる穴が有ります

全部で10個以上有りますが、中々上手い手口かなと思います

 

 

 

 

 

心行寺

福禄寿

 

福禄寿は、星宿の神、南十字星の化身ともいわれて、長寿をつかさどる人望福徳の福神であります。一説には、中国の宋の時代、嘉祐年間(1056年~)に実在した道士であるといわれています。

福禄寿は、背たけが低く、頭がきわめて長く、白髪童顔の姿をし、年齢数千年といわれ長寿をつかさどる福神、杖を右手に、左に長命の鳥、鶴を従え長命と円満な人格を人々に授ける福神であります。
また福(幸福)と禄(財)と寿(長命)の三つの福徳を授ける神ともいわれてきました 深川七福神HPより転載

 

 

 

 

可愛い雪囲い

 

 

 

 

心行寺でバッテリーが調子悪くなり、ONOFFを重ねていると撮影した写真が保存されません

 

途中でバッテリー交換して撮影開始

 

 

 

 

 

 

街角には金属製のオブジェ

江東区や墨田区は金属加工業者が多いです

 

 

 

 

 

 

 

横十間川に架かる海辺橋

 

海は無くても海辺・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

スカイツリーが良く見えます

 

冬は空気が住んでいるので視界良好です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

横十間川

横十間川は、江戸城から眺めると、横に流れ、江戸時代当時、川幅が約10間(約18m)あったことからこの名がつきました

 

 

 

 

江戸が人口が増えると共に、物資の輸送の為に幕府は川の開屈に努めます

 

この頃は、江戸城の近くまで海がきています

 

 

 

 

 

その後、埋め立てが進んで縦横と深川付近に運河が作られています

江戸の発展には運河が欠かせません

時代劇を見ていても武士から町人商人は船を使う移動手段を取っています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旧東京市営店舗向け住宅

関東大震災後の復興事業の一環として、旧東京市が昭和3年(1928)に建設した店舗付住宅です。清澄通りに沿って約250mにわたって立ち並ぶ鉄筋コンクリート造の長屋

 

長屋って聞くと懐かしいです

 

江戸散歩も社宅住まいで、三軒並びの長屋形式になっていて、中で行き来が出来ます

真ん中はお婆さんが居て、隣は叔父一家で従兄弟とは兄弟的な付き合いが出来楽しいですね

 

 

 

 

 

 

 

 

大黒天がある円珠院

 

大黒天信仰には二つの流れがあります。一つは、大黒天を大国主命とする流れ、これは多く神社に祀られています。もう一つは、インド名をマハカーラという仏神の大黒天、これは多く寺院に祀られています。
円珠院に安置されているのは、仏神の大黒天です。インドのシバ神が、悪神を退治した神話から、仏教に取入れられ、摩訶迦羅天すなわち大黒天となり、夜叉荼吉尼衆を降伏する大日如来の化身となり、忿怒の戦闘神の姿をしていました。ところが大黒天はしだいに招福の神となり、忿怒の相が、笑顔の姿になり、台所財宝糧食をつかさどる大黒天となりました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わが国でもっとも古い有名な大黒天は、比叡山の出世大黒といわれる三面六臂の大黒天です。正面が大黒天、右面が毘沙門天、左面が弁財天、これは大黒天が、降魔と施福の二つの面を持っているのを表したものです。その後は、大黒天は施福の一面のみが、強調され信仰されるようになりました。

大黒は大国に通じ、大国主命に結合して福神の形となり、烏帽子、狩衣をつけ、右手に小槌をかざし、左手に大きな袋をかつぎ、米俵の上に座すようになりました。小槌と袋は限りない財宝糧食を蔵していることをあらわし人々に財宝を授ける福神であります。米俵に縁のあるところから、鼠は大黒天の神使になっています。子の日、特に甲子の日は大黒天の祭日となっています。

 

 

お金がザクザクと入るようにお参りしました

 

 

 

 

四つお参りしたところで、今日は終わりです