おはようございます 江戸散歩です
9月に出かけたしながわ宿場まつり、旧東海道の品川宿の辺りを歩いています
第1京浜新馬場駅前です
箱根駅伝でも通過する道路、この先の鶴見中継所までの花の1区で最も注目される区間です
目黒川を渡ります
池尻から流れ出た目黒川 はこの先で東京湾に注ぎこみます
ガス灯をイメージした街灯は、明治時代になって陸蒸気が走り始めると東海道もその役目を終えた事でしょう
品川神社
古くは、徳川家康公が関ヶ原に向かう途中品川神社に戦勝祈願を行い見事に勝利を収めました
以後、徳川家から庇護されました
神社の屋根に取り付く千木
千木は屋根の両端で交叉させた部材であり、鰹木は屋根の上に棟に直角になるように何本か平行して並べた部材である。どちらも本来は上流階級の邸宅にも用いられたが、今では神社にのみ用いられる。wikiより転載
説明板が無く、どこの親柱か判りませんでした
朱色の神橋
品川橋は東海道が目黒川に架かる橋です
橋より左側が北品川宿で、右側は南品川宿となっています
宿場町に付き物の遊郭は江戸時代に栄えたそうです。宿場町以外では有名な寺社仏閣にも、岡場所と呼ばれる遊郭がありました
江戸の男性は皆んな好き者なのでしょうか?
江戸の町は、圧倒的に男性が多いです
それは、幕府が発した参勤交代制度によるものです
江戸詰めの藩邸には、単身赴任の武家が住んでいます。更に国許から呼び寄せた商家の男性商人も住み込んでいます
これらの地方から来た武家と商人や職人などはどうしたって性欲処理が必要となります
こうして江戸は一大遊興都市となりました
江戸の女性 は大変持てた事でしょうね
品川橋には、消防署から消防車が来て体験乗車をさせてくれます
伊勢屋
伊勢屋(いせや) 日本における屋号のひとつ。特に江戸時代には江戸市中に多いものとして『火事 喧嘩 伊勢屋 稲荷に犬の糞』と呼ばれるほど『伊勢屋』と名乗る店舗が多かった。
伊勢商人が多数江戸で商売をしていますが、伊勢商人の三井家が三越の基礎となったのは意外と知られていません
貫目改所
江戸幕府が問屋場においた機関で,街道を往来する荷物の貫目の検査にあたった。正徳2 (1712) 年東海道の品川,駿府,草津,中山道の板橋,洗馬の各宿に設けたのをはじめとして各地に設置された。これは重量制限と逓送の円滑をはかるために行なったもの。重量制限は,慶長6 (1601) 年1駄 30貫,翌年には1駄 32貫,特別の場合は 40貫と定められていたが,現実にはこの制限を無視した過重の荷物が少くなかった。江戸幕府が問屋場においた機関で,街道を往来する荷物の貫目の検査にあたった。正徳2 (1712) 年東海道の品川,駿府,草津,中山道の板橋,洗馬の各宿に設けたのをはじめとして各地に設置された。これは重量制限と逓送の円滑をはかるために行なったもの。重量制限は,慶長6 (1601) 年1駄 30貫,翌年には1駄 32貫,特別の場合は 40貫と定められていたが,現実にはこの制限を無視した過重の荷物が少くなかった。
昭和の建物は味があって良いでね
この畳屋さんは未だ現役なんですかね
予定していた洋食屋さん、食べログだと営業中と記載してあったんですけど
急遽、居酒屋へ飛び込みます
ビールより、レモンサワーで乾杯
江戸前穴子がメインなので、穴子寿司と穴子の玉子焼き、穴子丼そしてお代わりの緑茶ハイ
これ以上飲むと歩けなくなるのでやめました
ここも昭和の建物で病院となっています
青物横丁交差点で、ここまでが南品川宿とされています
今回のしながわ宿場まつりは青物横丁で終わりです
旧東海道も神奈川宿まで来ています
終点の京都はまた未だ先になりますが、気長にやっていきたいと思います