大名屋敷を歩く 第3章は東大構内を歩きます
大名屋敷の遺構を訪ね歩くのですが、すっかり建物散歩も兼ねて歩いているので
一石二鳥です
法学部のアーケドを抜けるとそこには東大の名物建築があります
東京大講堂 通称:安田講堂 1925年竣工
安田財閥の安田善次郎氏の寄贈
1968年 東大紛争時に全学連により安田講堂を占拠され、機動隊と壮絶な攻防を繰り広げた
幼い頃、この映像をTVで見ていた記憶があります
その後、浅間山荘事件やよど号ハイジャック事件などに発展していきました
内田祥三氏の設計によるものでスクラッチタイルを用いた伝統工法
三角のアーチが珍しいです
デザインとしては女性的な優しさが出ています
緑のトンネル
キャンパス内は古い建物と樹木で構成されていて歴史ある空間だと改めて認識させられます
濱尾新 帝国大学時代総長
安田講堂をしっかりと睨みきかせています
給水ポンプ 昭和のノスタルジックを感じさせます
緑に囲まれた三四郎池
初夏を思わせる日射しですが、三四郎池の歩道には日射しを遮る影があり休憩には絶好な場所です
ザリガニ取りの親子が楽しそうに遊んでいたり、カワセミ撮影のために陣取っていた年季の入ったカメラマンさんなどが
いてベンチに腰掛けて拝見させてもらいました
育徳園心字池(三四郎池)
元和元年(1615)の大坂夏の陣の後、加賀藩前田家が幕府から現在の東京大学の敷地を賜った。
寛永3年(1626)前田家3代利常の時に、徳川3代将軍家光訪問の内命を受け、
殿舎、庭園の造園にかかり完成までに3年を要した。
外様大名として誠意を示す必要があったためである。
このとき完成した庭園が育徳園と呼ばれ、池を心字池といった。
夏目漱石の名作『三四郎』は、ここを舞台としたため、「三四郎池」と呼ばれるようになった。
育徳園丘上の碑
江戸城之北富山大守藩邸之内・・・・・と書かれた銘文が彫られていて、天保年間に加賀藩の支藩富山藩前田家藩邸内に
あった由緒不明の仏像に覆い作り祀ったそうです
その割にはこの地にはこの四角い遺構だけです
不思議な遺構でした
東大紛争のあった時代には三四郎池付近はいまと同じ様に静寂していたんだろうか
まだ、続きます