今日は東急池上線 戸越銀座から大崎広小路までの一駅散歩です
戸越銀座商店街は、東急池上線の駅「戸越銀座駅」に接する、全長約1.6kmにわたる関東有数の長さを誇る商店街です。
「戸越銀座」という地名の由来
「戸越」という地名は、江戸を越えた土地という意味の「江戸越え」に由来すると言われています。
当時、この地に住む人々は「とごえ」 と呼んでいたそうです。
その後、大正12年の関東大震災で被害を受け た銀座(東京都中央区)から、当時ガス灯用のガス発生炉用耐 火レンガとして使用されていた白レンガを戸越の人々が譲り受 け、当時水はけの悪かった戸越の大通り等に再利用しました。
現在日本には数多くの銀座と名のつく地名がありますが、こうした経緯によって日本で初めて銀座という名前を譲り受け、「戸越銀座」という地名が誕生しました。
戸越銀座商店街HPより
戸越と銀座ゆかりの碑
明治8年西村勝三氏が耐火煉瓦製造所を設立し、同20年に現在の品川区北品川4丁目に品川白煉瓦製造所と名を改め事業の展開を計りました
製造された煉瓦は中央区銀座のガス燈のガス発生炉用耐火煉瓦として使用されたり、当品川区では旧仙台藩伊達家下屋敷跡(現東大井4丁目)の醸造工場等にも使用されました
対象12年の関東大震災で被害をうけた銀座の煉瓦を戸越の人々が譲り受け、当時水はけの悪かった戸越の大通りに再利用しました
この様な由縁で現在の戸越銀座の「銀座」も全国で1番先に譲り受けたとの事です
地元の商店街の人々が商売繁盛を祈願して創建したもの
平塚2丁目会館には町内会の提灯が陳列しています。夏祭りのお神輿などに使うんでしょうね
更に中原街道を通り越して旧中原街道へ向かいます
この中原街道は実は江戸散歩の家近くを通っています。
都内に出る時には結構利用している道路です
中原街道は、武蔵国・相模国を結ぶ街道としてかなり古くからある道で、橘樹郡の郡衙ができたころから形成され、日蓮が利用するなど中世には利用されていたと考えられているが、詳しいその成り立ちはよくわかっていない。
一部は延喜式によって定められた東海道(江戸時代のものとはルートが異なる)に含まれていたらしいが、それ以前からあった道ではないかとも言われる。
また、一部は鎌倉街道の下の道とも考えられている。なお、「中原街道」と呼ばれるようになったのは、江戸時代に入って徳川幕府が行った1604年の整備以降である。
東海道整備後は、江戸虎ノ門(現在の東京都港区虎ノ門)から平塚中原(現在の神奈川県平塚市御殿)をつなぐ脇街道とされる。
中原街道の名称は、平塚の中原御殿から由来される。別称として、相州街道・お酢街道・江戸間道・小杉道・こやし街道などがある。
川崎の小杉には江戸時代に本陣があり将軍家が鷹狩り・駿府との往復の際利用したと言われています
wikiより
東海道よりも距離が短かいため急ぎの旅に利用されたので江戸間道と呼ばれた 旧中原街道沿いの六基の供養塔が収められ、江戸期の戸越村・桐ヶ谷村の民間信仰を今に伝えている。
このお地蔵様は享保12年に建てられた子別れ地蔵と呼ばれる地蔵菩薩です
ここはかつて桐ヶ谷の墓場に続く道筋で子に先立たれた親が、その亡骸を見送った場所であったと云われております
五反田TOCビルとは、東京卸売りセンターの略で各種問屋さんが中にはいっています
この交差点は国道1号線と中原街道が分岐している交通の要所です。国道1号線の起点はご存知日本橋です
ここから京都へ続いております。
江戸時代の東海道(国道15号)はもう少し東側の品川を通っています
今回の一駅散歩は戸越銀座、旧中原街道の歴史を探る散歩となりましたが、下町の情緒がまだ残っている素敵な町でした