博物館内でパンフレットをもらった時に
これも入ってたの。
ラヌーヴィオ
アントニーノのように
ステッカー。
ノートや携帯に貼ったりするのかしら?
アントニヌス・ピウス
第15代ローマ皇帝で、ネルウァ=アントニヌス朝の第4代皇帝。彼はアウレリウス氏族の出身者として最初の皇帝であり、また皇妃大ファウスティナを通じてネルウァ=アントニヌス朝と外戚関係を持っていた[3]。妻の甥であるマルクス・アウレリウスと娘の小ファウスティナを結婚させた上でアウレリウスを後継者とし、娘と甥の間に生まれた孫コンモドゥスにまで3代に亘る家族間での帝位継承の基盤を作った。
ラヌーヴィオ出身の皇帝です!
Wikiの日本語版は違うところがリンクされてますが、
間違いだと思うので、修正したいけど、わかりません。
でも、そのリンク場所の遺跡も気になる。。。
孫、コンモドゥスもラヌーヴィオ出身ですね。![]()
もうこのあたりは、
ハドリアヌス帝時代からの歴史を学ばなければ!
これを読んでくれている
皆さんのほうがご存知のはず。
街は
ラヌウィウムって当時は呼ばれていて、
この街がとても重要だったのがわかります。![]()
だから、神殿や邸宅跡が残されてるんですねー!
あと、この町には、
ユーノー神殿跡があるんです。
博物館でも見かけたイメージ画。
またいつか行けたら詳しく書きます。![]()
今は小さなあまり知られていない街ですが
当時は、
海のアンツィオやアルデーア
の街から内陸へ向かう
重要な場所で
道路の交通も賑やかかったに違いない。![]()
ラヌーヴィオの街から海方面に向かう道沿いに
今でも古代の通りが残っていて
ローマ時代の橋もあるんです!
ロレート橋
Ponte Loreto
街から数km離れた場所の平地。
ここはローマ時代の橋があるの。
石が敷き詰めてある通り via Astura も
雰囲気が良さそう。
とても気になってたんだけど
天気が悪いので行くのは諦めたわ。
次回のために調べてみるとなんと
紀元前8世紀には存在していた通りや橋みたい。
ここからラヌーヴィオの町の全景も
眺められそう。
この名前がついたのは、
近くにローリエの森があったからとか。
boschi di alloro (Lauretum)
電車でローマからヴェッレートリに行った時、
確かここの駅だったと思うけど、
カサカサとローリエの葉の音が聞こえてきたの。
そうだったのねー。
道路を車で走って、
道路を柵で囲んでないので
このあたりをお散歩も雰囲気よさそう。
天気が良ければねー。
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