Netflix限定配信の攻殻機動隊 SAC2045を見た。

 

人の評価が気になる前に自分の頭にあることを書いておく。

過去作含めてネタバレの嵐なので未視聴ならば読まないほうが絶対によいと思います。

 

 

 

 

1.

攻殻機動隊はメチャクチャ好きなので、配信決まってからそもそもメチャクチャ楽しみにしていた。個人的にはあまり3D表現などに抵抗はなくて(トグサのヒゲの剃り残しはイヤだったが)、どちらかというと劇伴が菅野よう子でない事が残念だなという程度だった。実は同じくNetflix限定配信のカウボーイビバップ実写版は菅野よう子だったので……個人的には、なぜ……という気持ちがある。なおカウボーイビバップについてもわたしは好きだったがNetflix的には大失敗だったらしく、配信数週間で続編打ち切りが発表されてしまった。とはいえ米国の人々が最も再生したであろう英語版ではスパイクの声は山寺宏一ではなかったのだから不憫でならない。ビバップのファーストタッチがあのバージョンで過去作を見たいとは思わないだろうから……これはまた別の話。どちらもマイベストアニメなんです。

 

2.

これまでに見た攻殻機動隊はTVアニメ版のSACと2ndgig、劇場版、SSS、ARISE、新劇場版、Pyrophoric cult、1995ゴースト・イン・ザ・シェル、イノセンス。アップルシードはまだ。今Netflixにある作品は全部見ている。とはいえこの作品はSACの続編なので、地上波放送版とSSS以外の作品はあまり気にしなくて良い気もする。ざっくり最後の「行くのか『また』」というところでああSSS後なのかというのを最終話でようやく認識できた。そもそも一話完結寄りの構成なのであまり設定を追いかけても仕方ないのではと思っている。

 

時代の流れとともにダイブの表現が変わっている。流行りのメタバースに寄せてきている?アニメ攻殻自体が時代の流れをよくネタにしているからその流れの一片と考えても良い?無印SAC(以降”1st”)の村井ワクチンも明確な元ネタがあるし(あまり検索はしない方が良いように思いますけど)、2ndGIG(以降”2nd”)も9.11の影響を強く受けているのは明白。テロリズムと戦争だものね。

 

なお激動の令和ですが、薬品と政府の動き、また戦争と難民、これから起こりうる問題、というところでデジャブを感じる作品となってしまっている。そういった思想にはここで触れるつもりはないが、作品のリアリティを強く感じる。驚かされます。なお1stの放送が2003年。笑い男事件が作中設定では2024年。SAC2045(以降”2045”)の放送は2022年。今20年前の作品である”1st”を見て様々に想いを巡らせるのと、2042年に”2045”を見直すのはちょうど隔世の感を…作中でいう『郷愁』を感じるには良いのかもしれない。楽しみですね。

 

3.

少佐がえらく可愛く描かれている。カワイイ…。君たちこの少佐にメスゴリラって言ってたわけ……??枝付けられてんじゃないの……??キャラクターデザインという意味では先述の通りで、もう全然気にならなかった。明らかに異質なオモシロ(スタンダートという名前らしい…名前出てきたっけ??)と江崎についてもあまり気にならなかった。オモシロが最後に9課に配属になるのはどうなのかちょっと微妙ではある。この手の軽薄な新人を失う経験は”2nd”で散々描写してたよね??とはいえ原作寄りに考えると、チームは多様性を持たなければ硬直し、脆弱となるのだという原作者の思想には沿っていると言っても過言ではない。オモシロがチームに居て良かった日がきっとくるさ。まああと個人的に好き。

一方江崎はさあもう好きになっちゃうじゃん。タチコマちゃん泣いてたぞ。タチコマの涙(合成OIL)はずるいだろ。

 

江崎については詳細な描写がないんだけど、傀儡廻しとポジションが非常に似ていて、ラスト 脳殻がないのにAIとは異なる思考パターンを持ち得るというキャラクターになっている。もちろんアニメの熱心な視聴者なら同じように”2nd”でのタチコマを思い出すだろうと思う。さて本作では、タカシがとんでもない事を言い出す。「彼女には残念ながら ゴーストがなかった」です。結構これ攻殻世界を揺るがしうる重大発言なんじゃないか。プロトの言った「君たちにはきっとゴーストが宿っているんだね」も否定してしまっているし、クゼの計画(オンラインにゴーストと情報を投げ込む。その上で個別性を維持する。)はやはり無謀だったことになる。(傀儡廻しにもゴーストは無かったのか?これはパラレルワールドだが…)

 

ゴースト=個別性と考えて良いと思う。結局ゴーストとは何か?

もしくはこの問いの答えももはやシンギュラリティにおいては変化したのか??我ながらこれは深読みのしすぎに思える。

 

4.

その上でラストシーンが超難解なんである。

 

”2nd”では『上位構造へのシフト』とクゼが少佐に語る。”2045”ではタカシ・江崎が『人類の新たな段階』を語る。似たような事を話しているがやろうとしている事は違う。クゼのそれは原作コミックでも語られたような、肉体の喪失とネットへの個を維持したままの移行であったが、ポストヒューマンであるタカシが作ろうとしている人類の新たな世界は、オートパイロットで、

安定し摩擦のない精神世界を作り、そこで人類はそれに気付くことなく同じ生活を続ける…そんな世界であった。元ネタはそれこそ小説1984(以降”1984”)の作中で語られる『ダブルシンク』らしい。(まあひとまずこれ読んでみるかポチーッ)

 

わりと作品完走した方は、少佐は結局プルしたのか??をした/しないの両面から考察している。個人的には、したと思う。彼女は隷従による自由を選択するとは思えないから…。とはいえ、もはやポストヒューマンを追う理由は少佐にはないから、描写がない以上は実際のところはわからない。

 

5.

しなかった世界線とするとラストシーンはダブルシンクの摩擦なき世界となるのか。しかしそれだとそもそもバトーの振る舞いや、オモシロ加入時の9課で涙する江崎なんかは説明がつかない。そのあたりの事情を説明できるアイデアはありえると思うが、しかしそうなると少佐の最後のセリフ「次に会う時は互いを認識できないかもしれないわね」は一体何だったのか。ダブルシンクを必ずぶっ壊してみせるわ、ということになってしまわないか。なら最初からプルすべきでしょ。

 

ではあの世界はプルした世界なのか。そうした場合に上記シーンは一体何を言いたかったのか。

 

少佐はクゼが暗殺されなければ、クゼの言う上位構造へのシフトの形を模索しただろうと思っている。肉体を持たず生まれたため、広大なネットと満たされないアイデンティティの狭間で生きている少佐にとって、タカシの提示したシンギュラリティは退屈なアイデアだったろう。(そもSACは傀儡廻しと出会わなかったパラレルワールドであり、実は少佐の目指す方向性はすでに原作で傀儡廻しとの融合として語られているのである。この思想を原作原理主義と言う。うそ。言わない。)何かしら直感し(ゴーストが囁き)、少佐の思い描くシンギュラリティの表現形としてクゼの思想に近いもの…ネットとの融合を示唆するような事をバトーに語ったのではと思っている。ああこの辺もしかして攻殻機動隊2巻も読み直したほうが良さそうだな…。

 

6.

しかし持続可能戦争のよくわからんこと。世界同時デフォルトと戦争状態により『抑圧されている人類』を”1984”に被せたかったのか?結局最初のクォーターバックとハワイだいすきおばあちゃんぐらいでしか関係してこなかった。ただ一応…革命を起こそうとした人たち(レイドの参加者?)が『意識だけが進化に向かった人たち』ってことになるのか…???であれば彼らを救うために…???あれ?親切な金持ちが彼らに力を貸して…???レイドを起こさせること自体が進化に向かうための…???あー???なんか前提として”1984”読んだほうが良さそうな気がするね。

 

7.

課長の声が変わった。これは仕方ないですが、とても寂しい…。ご冥福をお祈りします。

テイト総理と握手してるの見て盤外でうるっとしてしまいました。オヤジ…。

 

 

いやまだあるんだけどまだよくわかんないとこ多すぎて言語化できない。そのうち書き足すかも。完全に攻殻機動隊は箱推しなので、今作もメチャクチャ楽しんでいます。ダメな人のが多そうだし、ほんとにエピローグ実際意味不明だし、まあでもわりと攻殻機動隊って全部そうなんよなモヤっとしてあとはそっちで考えてねって感じ。個とはなにか、意識とはなにか、ゴーストとはなにか、みたいな、割と根源的なテーマかつ基本的にはまだ答えがない問い(つまりこれは間違った問いであるが SFだしな…)を最後に投げてくる。ただ今回は何を投げられたんかよくわかりませんでした。正直。でも好き。ネトフリが擦り切れるまで見そうです。軽い気持ちで書き始めたら3300文字。

 

 

2022.5.26

(草薙素子 17歳 少佐これからおれには敬語で話してくれ。)