【新シリーズ】鹿児島倉敷EVドライブレポート2九州自動車道鹿児島ICを目指す | エコノミライ研究所のブログ

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2015年2月16日に設立した任意団体です。
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を探求して行きます。

いつもエコノミライ研究所のブログをご覧下さり、誠にありがとうございます。

COVID-19による影響が世界を混乱の渦に巻き込んで早3年。

 

日本国では令和5(2023)年5月8日をもって政府による制限が実質的に解除され

コンサートや祭り、様々なイベントなどが数年ぶりに復活しました。

この混乱が収束しているのかどうか分かりませんが、無事息災であることの幸せを噛み締めています。

 

 

令和元(2019)年9月下旬

 

エコノミライ研究所ゴッチ本部長の拠点、屋久島へ向かうため

 

JR山陽新幹線の岡山駅からまずは、博多駅にてNパイセンと合流

 

令和元(2019)年9月下旬の午前10時頃

 

JR九州新幹線の博多駅にて「さくら」号に乗車し

 

令和元(2019)年9月下旬の正午前

 

JR九州新幹線の鹿児島中央駅に到着し

 

 

鹿児島本港までタクシーで移動し

 

鹿児島と屋久島とを結ぶ高速船「トッピー」号に乗船

 

乗船すること約100分間

 

午後2時過ぎ、屋久島の宮之浦港に、無事、到着しました。

 

無事に屋久島のゴッチ本部長と合流することができ

 

1周約100kmの屋久島では重宝する

 

三菱自動車の電気自動車ミニキャブ・バン・MiEVにて移動するなど、様々なスケジュールを実施しました。

 

 

そして、ゴッチ本部長の日産LEAF(初代30S)を倉敷まで移動させるため

 

フェリー屋久島2に搬入

 

午後6時、鹿児島本港に無事到着し九州上陸

 

JR鹿児島中央駅まで無事到達したところまでレポートすることができました。

 

 

楊田は引き続き

 

ここJR鹿児島中央駅から

ゴッチ本部長の日産LEAF30S(初代)にて倉敷まで

 

EVドライブを続行

 

先回より、この模様をレポート開始致しています。

 

令和元(2019)年9月某日午後7時前

 

JR鹿児島中央駅を出発し

 

 

鹿児島県道24号鹿児島東市来線と合流し、南方向へ向け進み

 

人口約60マン人

 

九州では福岡市(160万人余り)、北九州市(100万人弱)、熊本市(70万人余り)

 

に続く第4位の都市である

 

県都鹿児島市の中心部を走行しています。

 

(参考:ウィキペディア鹿児島市 - Wikipedia

 

 

鹿児島県道24号鹿児島東市来線に沿うように、路面電車の鉄道が伸びており

 

鹿児島市電2系統の路線を走る数々の電車と遭遇しました。

 

鹿児島市電の都通停留場の前です。

 

鹿児島市交通局のウィキ記事を閲覧しますと

 

実に多彩な路面電車を運用していることが分かります。

 

 

次々と市電の電車が追い越したり、すれ違ったりしました。

 

鹿児島市交通局1000形電車と思われます。

 

 

鹿児島市交通局7000形電車とすれ違います。

 

 

鹿児島市交通局2110形電車と思しき電車が追い抜いて行きます。

 

 

 

次の交差点で右折のようです。

 

高速道路へと繋がる標識も現れましたから、

 

その交差点で必ず右折しなければなりません。

 

総走行距離約700kmのEVドライブが始まります。

 

 

スタート地点はJR鹿児島中央駅

 

700km北東方向へ進んだ

 

倉敷市内にあるエコノミライ研究所本部まで無事に走破することが、今回のミッションです。

 

 

 

中洲通停留場が目の前にある

 

中洲電停交差点を右折して西方面へと進みます。

 

 

鹿児島県道24号鹿児島東市来線は右折方向、西方面です。

 

 

季節は秋、午後7時前ですから、夕暮れの微かな明るさが、未だ、残っていました。

 

 

JR鹿児島本線指宿枕崎線を跨ぐ跨線橋を通過します。

 

 

鹿児島中央駅を中心とする中央町は、この線路を西に越えますと、隣の町となります。

 

 

これより鹿児島市の武(たけ)という地区に入ります。

 

 

「武(たけ)は、鹿児島県鹿児島市の町丁。旧薩摩国鹿児島郡鹿児島近在武村、鹿児島郡西武田村大字武、鹿児島市武町。郵便番号は890-0045。人口は7,267人、世帯数は4,158世帯。(2020年4月1日現在)。武一丁目から武三丁目まであり、武一丁目から武三丁目までの全域で住居表示を実施している。

 

(中略)

 

武という地名は南北朝時代より見え、薩摩国鹿児島郡のうちであった。武は「田毛」、「嶽」とも書かれている。」

 

(出典:ウィキペディア武 (鹿児島市) - Wikipedia

 

 

維新三傑の一人、西郷隆盛の屋敷も、武に有ったことを、今更ながら、知りました。

「1873年(明治6年)に征韓論に敗れた西郷隆盛は鹿児島に帰郷し武村(現在の武二丁目)に屋敷を構え、1877年(明治10年)の西南戦争勃発まで居住していた。

西郷の屋敷を訪れた庄内藩武士菅実秀に同伴した石川静正が著した「薩摩紀行」では武の西郷屋敷について「この武村の邸は、囲いは柴垣で小さい門に小さい古札に西郷吉之助と書いてあり、門の右の方は物置小屋、猟犬をここにつなぎ、左方は入口で土間になり、玄関はなかった。

いつも庭の方に廻って座敷に上がった。その座敷の前の庭に大きな松四・五本あるだけで、踏み石なく、少し前は野菜畑であった。

敷地外は田圃にて遠く桜島を望み景色絶佳であった。」と記している。

 

1967年(昭和42年)に計画された土地区画整理事業において、この屋敷付近を児童公園とする計画が立案されたが、西郷屋敷跡は京都の建設会社の所有となっていたことから、地元住民は「西郷屋敷保存会」を発足し、鹿児島県及び鹿児島市に対して西郷屋敷の保存を訴えかけた。

その結果、西郷屋敷跡は1979年(昭和54年)4月に西郷公園として整備され、古井戸や手水鉢、門柱などが残された。

2019年(令和元年)11月7日には西郷隆盛の漢詩「南洲翁遺訓」を刻んだ石碑が西郷屋敷跡に建立された。

また住人には西郷家に同居していた書家川口雪篷がおり、西郷隆盛の留守役を果たした。」

 

(出典:ウィキペディア武 (鹿児島市) - Wikipedia

 

 

柳田通り交差点を通過し

 

武町交差点に差し掛かります。

 

 

県道24号線がそろそろ終わりに近づきます。

 

 

この標識を初見で理解することは、とても、難しいです。

 

E3九州自動車道

 

E3A南九州西回り自動車道

 

とも繋がる道路であることから、コースミスしないよう、気を付けなければなりません。

 

 

鹿児島IC交差点に差し掛かります。

 

 

恐らくは、長いトンネルが待ち構えていることでしょう。

 

 

西行専用のトンネルである

 

武岡トンネル に差し掛かります。

 

 

「新武岡トンネル(しんたけおかトンネル)は、鹿児島県鹿児島市田上七丁目から同市武三丁目に至る全長1,513mの鹿児島東西幹線道路(地域高規格道路)のトンネルである。上記の既存の武岡トンネルの南側に並行している。

2018年現在では、鹿児島東西幹線道路の本線部(912.25m)と建部インターチェンジの上り線ランプ部(695.8m)から構成される。既存の武岡トンネルが伊集院方面から鹿児島市街方面へ向かう下り専用となり、新武岡トンネルは鹿児島市街方面から伊集院方面へ向かう上り専用となっている。」

 

(出典:ウィキペディア武岡トンネル - Wikipedia

 

 

「新武岡トンネルは自動車専用道路に指定されており、歩行者、軽車両及び、125cc以下の第一種原動機付自転車(原付)及び第二種原動機付自転車(小型自動二輪車)、50cc以下の自動車であるミニカーは道路法第48条11項の規定により通行できない。歩行者及び軽車両は武岡トンネルの歩道に、その他の車両は県道24号に迂回をする必要が生じる。

事業中である建部ICから甲南ICに至る新武岡トンネルの本線と建部インターチェンジのランプ部が合流する部分(双設トンネル)の掘削断面積は378m2であり、新東名高速道路のトンネルにおいて採用されている超大断面トンネルより大きく、道路トンネルとしては日本一の掘削断面積となっている。また、シラスのような軟弱地盤において掘削したトンネル内での分岐は初の事例である。

建設に携わった国土交通省九州地方整備局鹿児島国道事務所及び安藤ハザマ・錢高特定建設工事共同企業体は、「未固結シラス地山にわが国最大級断面の地中分岐道路トンネルを施工」として土木学会が発表する平成25年度土木学会賞技術賞を受賞している。」

 

(出典:ウィキペディア武岡トンネル - Wikipedia

 

 

「新」と付いていますから、当然、それよりも前に供用開始された

 

東行き専用の武岡トンネルがあります。

 

 

「武岡トンネル(たけおかトンネル)は、鹿児島県鹿児島市田上七丁目から同市武三丁目(建部神社前交差点)に至る全長1,506mの国道3号鹿児島バイパスのトンネルである。1988年(昭和63年)に供用が開始された。

下り線として運用される武岡トンネルには歩道が設置されており、両側出口までの歩行者及び自転車の通行が可能である。自動車専用道路ではないため、125cc以下の第一種原動機付自転車(原付)及び第二種原動機付自転車(小型二輪車)、50cc以下の自動車であるミニカーは通行が可能である。」

 

(出典:ウィキペディア武岡トンネル - Wikipedia
 

 

「鹿児島市街地はシラス台地に囲まれた平野部に形成されており、シラス台地が鹿児島市郊外と鹿児島市街地間の交通の阻害要因となっている。このため鹿児島インターチェンジから流入する交通の他に鹿児島市郊外から鹿児島市街へ向けての交通が武岡トンネルに集積することから、渋滞が発生しやすく鹿児島インターチェンジから鹿児島市街地に向かう下りにおいては2005年(平成17年)に建部神社前交差点での調査による混雑度の値が2.16(慢性的混雑状態)となっており、1988年(昭和63年)の武岡トンネル開通時に比べ1.7倍の交通量に増加している。

2013年9月29日の新武岡トンネルの開通に伴い武岡トンネルは下り線専用の片側2車線となり、新武岡トンネル開通前の9月29日朝は下り線が建部神社前交差点から鹿児島西ICまで2.2km渋滞していたのに対し、開通後の9月30日朝には目立った渋滞が見られない程にまで解消され、新武岡トンネル開通前は鹿児島西ICから建部神社前交差点までの所要時間11分であったのが開通後には所要時間が6分となり5分短縮されたと報道された。

しかし、開通後の2014年(平成26年)に「鹿児島東西道路」の計画について公表された資料によると、新武岡トンネル開通後も鹿児島市街方面は武岡トンネルを抜けた後の建部神社前交差点から天保山町方面への車線数は変わらないため渋滞はそのまま残っており、また建部神社前交差点、武町交差点、中洲電停交差点の南北方向の渋滞が前述の渋滞の影響により発生するようになったという。」

 

(出典:ウィキペディア武岡トンネル - Wikipedia

 

 

なるほど

 

昭和63(1988)年供用開始が現在の東行き(下り)専用トンネルである武岡トンネル

 

平成25(2013)年供用開始が現在の西行き(上り)専用トンネルである「新」武岡トンネル

 

というワケですね。

 

地形や都市・宅地の広がりを俯瞰しますと、可成りの人口密集地のようですので

 

山を東西に貫く新旧武岡トンネルの存在は、非常に重要な道路設備だと、確信します。

 

ウィキ記事にもありますが、JR鹿児島中央駅方面である

 

下り線の武岡トンネルの方が、渋滞が激しそう。

 

そのために、更なるトンネル建設の計画が実行に移されているようです。

 

 

「東西トンネル(とうざいトンネル)は、鹿児島県鹿児島市田上七丁目から同市上荒田町(甲南IC)に至る全長約2,700mの鹿児島東西幹線道路の下り線のトンネル及び、同市田上六丁目の新武岡トンネル内から同市上荒田町に至る鹿児島東西幹線道路の上り線のトンネルの仮称である。

当初は、武岡トンネルを鹿児島東西幹線道路の一部として整備する計画があり、武岡トンネルの中間部から新しくトンネルを掘削して天保山方面に接続させる案(分岐案)が武岡トンネルの北側にトンネルを新たに掘削する案(山岳トンネル案)と共に検討されていたが、分岐案を採用した場合に工事の為武岡トンネルが2年程通行止めとなり周辺の交通状況へ与える影響が大きい他に、事業費が分岐案では570億円、山岳トンネル案では600億円であり30億円程しか差が無く、分岐案にすると工事に伴う通行止めの期間中の経済損失が130億円となると見込まれたことから、天保山町方面への下り線の整備は北側にもう1本トンネルを掘る山岳トンネル案(東西トンネル)が採用されることとなった。

下り線は既存の武岡トンネルの北側に並行して建設される予定であり、上り線は新武岡トンネルの大断面(建部インターチェンジのオンランプ)に接続する予定である。避難連絡坑及び本線の一部が新オーストリアトンネル工法(NATM)で建設されるほかは、シールドトンネルで建設される予定である。2018年1月23日には、東西トンネル工事施工準備のため、トンネルのルート上を通る鹿児島市道中洲通線の車線切替が行われた。

2022年(令和4年)4月26日の鹿児島テレビの報道によれば、2023年(令和5年)春以降にシールドマシンによる掘削が甲南IC側から開始され、開通は2030年代中盤になる見通しである。」

 

(出典:ウィキペディア武岡トンネル - Wikipedia

 

 

武岡トンネル並びに新武岡トンネルについてクローズアップしましたら

 

結構な情報量でしたので

 

このトンネルを出た先の重要な分岐点以降につきましては

 

次回に廻します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 令和元(2019)年9月下旬に実施した

 

〇〇電力担当者様との協議会参加のための屋久島訪問ミッション

 

そのときの模様をレポート、無事に鹿児島中央駅まで到達し

 

楊田が一人でナイトEVドライブした模様をレポートしています。

 

 

【屋久島訪問ミッションの記事一覧】

 

【新シリーズ】2019年9月に屋久島視察をしたときのレポート1倉敷から出発 2023-07-01 07:00:00

 

【新シリーズ】2019年9月に屋久島視察をしたときのレポート2屋久島行き高速船に乗る 2023-07-08 07:00:00

 

【新シリーズ】2019年9月に屋久島視察をしたときのレポート3屋久島ドライブ開始 2023-07-15 07:00:00

 

【新シリーズ】2019年9月に屋久島視察をしたときのレポート4屋久島ドライブ2永田いなか浜 2023-07-22 07:00:00

 

【新シリーズ】2019年9月に屋久島視察をしたときのレポート5永田いなか浜で砂浜や景色を愛でる 2023-07-29 07:00:00

 

2019年9月に屋久島視察をしたときのレポート6永田公園にある急速充電器で充電 2023-08-05 07:00:00

 

2019年9月に屋久島視察をしたときのレポート7宮之浦港まで一旦戻る1前半 2023-08-12 07:00:00

 

2019年9月に屋久島視察をしたときのレポート8宮之浦港まで一旦戻る2後半 2023-08-19 07:00:00

 

2019年9月に屋久島視察をしたときのレポート9屋久島空港へ向けて移動 2023-08-26 07:00:00

 

2019年9月に屋久島視察をしたときのレポート10屋久島空港へ向けて移動2 2023-09-02 07:00:00

 

2019年9月に屋久島視察をしたときのレポート11屋久島空港に到着 2023-09-09 07:00:00

 

2019年9月に屋久島視察をしたときのレポート12屋久島空港でお出迎えの後、「まんてん」へ 2023-09-16 07:00:00

 

2019年9月に屋久島視察をしたときのレポート13小瀬田エリアにあるカレー屋さん 2023-09-23 07:00:00

 

2019年9月に屋久島視察をしたときのレポート14鹿児島県熊毛支庁屋久島庁舎前のEV用充電器 2023-09-30 07:00:00

 

2019年9月に屋久島視察をしたときのレポート15尾之間エリアにある新里自動車 2023-10-07 07:00:00

 

2019年9月に屋久島視察をしたときのレポート16栗生浜まで遣って来た!! 2023-10-14 07:00:00

 

2019年9月に屋久島視察をしたときのレポート17「いその香り」にて酒と魚で盛り上がる 2023-10-21 07:00:00

 

2019年9月に屋久島視察をしたときのレポート18あらためて「まんてん」さんの紹介 2023-10-28 07:00:00

 

2019年9月に屋久島視察をしたときのレポート19ハイビスカスに勢揃いした国産EV 2023-11-04 07:00:00

 

2019年9月に屋久島視察をしたときのレポート20ハイビスカスでのEVに関する協議会 2023-11-11 07:00:00

 

2019年9月に屋久島視察をしたときのレポート21屋久島からどうやって帰るのか 2023-11-18 07:00:00

 

2019年9月に屋久島視察をしたときのレポート22フェリー屋久島2に乗り込む 2023-11-25 07:00:00

 

2019年9月に屋久島視察をしたときのレポート23フェリー屋久島2鹿児島本港へ向け出港 2023-12-02 07:00:00

 

2019年9月に屋久島視察をしたときのレポート24フェリー屋久島2での様子など 2023-12-09 07:00:00

 

2019年9月に屋久島視察をしたときのレポート25鹿児島湾内の様子 2023-12-16 07:00:00

 

2019年9月に屋久島視察をしたときのレポート26鹿児島湾から上陸する様子 2023-12-23 07:00:00

 

2019年9月に屋久島視察をしたときのレポート27鹿児島中央駅までの様子 2023-12-30 07:00:00

 


前の前のシリーズ

【推敲】Gミーヴ倉敷東京往復ドライブ2019春1-1本部→淡河(おうご) 2022-09-17 07:00:00

 

 

<関連シリーズ>

ジャパンEVラリー白馬2018の思い出1(2018.9.22)

 

ジャパンEVラリー白馬2019の思い出2_エコノミライ研究所メンバーそれぞれの旅立ち(2019.9.14)

 

【新シリーズ】20190428Gミーヴで東京往復_01平成最後のEVロングドライブへ 2020-10-24 07:00:00

 

 

【新シリーズ】e-NV200「えこの弐」号で関東出張_00移動をした前提(2020.5.16)

 

<蛇足「えこの弐」とは>

エコノミライ研究所のブログを最初からお読み下さっている方々には、説明不要かもしれませんけれども

過去記事がありますので、リンクを貼っておきます。

 

ご参考になれば幸いです。

HハンドルNネーム、e-NV200について(2017-09-09)

 

<蛇足「Gミーヴ」とは>

エコノミライ研究所所長楊田が所有する2011年11月マイナーモデルチェンジタイプの三菱i-MiEVのGグレードのことを言います。楊田はこのクルマを2012年11月に購入選択権付きリースにて導入し、5年後の2017年10月末に残価を支払い、完全所有の形で2020年10月現在も所有し続けています。

我がGミーヴについて(2017.7.10)

 

【これまでの走行実績】

 

 電気自動車EVは、時速80km以上の高速走行の場合は、エネルギー効率が悪くなりますので、第2世代量産型EVである三菱i-MiEVや日産ZE-0リーフ、e-NV200の場合には、70kmから80kmごとに急速充電を継ぎ足して行かなければ、走り切ることができません。
 エコノミライ研究所は、このことを、経験をもって実証してきました。
 所長楊田は三菱i-MiEV「Gミーヴ」号を所有していますが、TECTOMさんの「燃費マネージャー」(実勢価格3万円前後)を搭載し、電池残量や消費電力、累積電費など、各種情報を記録し、適切な情報処理を施せば電気自動車という「次世代自動車」の実用性能をより詳しく分析することができ、快適なEVドライブに活かすことができます。


 楊田の片道300km超のEVロングドライブの実績と致しましては


(報告済)2017年7月横浜→関→倉敷(700km)
(報告済)2017年8月倉敷→鹿児島→屋久島(900km)
(報告済)2017年10月倉敷→東京・横浜→倉敷(1400km)
(報告済)2018年8月倉敷→小牧→白馬→小牧→倉敷(1400km)
(報告済)2018年10月倉敷→東京(700km)
(報告済)2019年4月倉敷→東京・横浜→倉敷(1400km)
(報告済)2019年9月倉敷→米原→白馬→敦賀→倉敷(1400km)
★今回★2019年9月鹿児島→倉敷(700km)
2021年3月倉敷→鹿児島(700km)
2022年3月倉敷→鹿児島→倉敷(1400km)

2022年7月倉敷→小牧→白馬→小牧→倉敷(1400km)

2023年7月倉敷→小牧→白馬→関→尾張一宮→倉敷(約1400km)


となっておりますが、2024年現在、まだまだ、過去に実施したドライブ報告ができておりません。

 

ですが、漸く2019年秋ドライブのレポートを実施することができています。

 

ネタは尽きませんので、ゆっくり・じっくりレポート継続していきます。