甲斐犬 府中犬舎 怜の日記

甲斐犬 府中犬舎 怜の日記

甲斐犬、怜(レン 牝)の日記です。平成25年1月生まれで、これからの成長が楽しみです。

超久しぶりの投稿となります。
GWも終盤を迎え、普通なら遠征最後の追い込み…といきたいところですが、今年は全く動けず😓大人しくブラブラしてます。

観光地とか行きますと、「ここは誰々の出身地」「この井戸は誰々の産湯に使われた」とか、マイナーな武将でも地元が生んだ武将として大事にされている所は多いんですが、私の住んでいる福井県というのは、継体天皇の件を除けば、ほぼ皆無という土地柄であります🤭
朝倉家がああいう滅び方をしたせいなのか、臭い物に蓋をするような感覚で、無かったようになっています。
天正2年、狂ったように暴れ回っていた浄土真宗本願寺派の大寺の山門前には、歴史が古い寺であるという以外は何も紹介されていません😁あれ程人を殺し、破壊し、殺されたのに…

あるブロガーさんの記事を読んでいて疑問に思った事があったので調べてみました。
そのブロガーさんが、関ヶ原の戦いで西軍を裏切って戦ったのに、家康から領地没収された赤座直保の領地である福井県 南条郡南越前町を訪れました。木ノ芽峠から北にある宿場町、旧今庄町です。そこで、赤座直保の館跡(城館)がどこにあるかいろんな人に聞き回ったのに、誰も知らなかったという事に驚かれていたので、そういえば私も知らないって思い、探してみる事にしました。

関ヶ原の戦いで、西軍を裏切った武将として小早川秀秋はあまりにも有名ですが、小早川の松尾山城と大谷吉継との陣の間に布陣していた四家の小さな大名の事は余り認知されてないようです。
歴史好きな人でも脇坂安治と朽木元綱くらいは知ってるようですが、残りは小川祐忠と赤座直保です。

赤座直保の館跡というのは、越前市のとある公園の中の案内に載っているのですが、その航空写真でははっきりわかりません。

なので、現地で聞いてこようと何度か足を運びました。
その航空写真の案内図からすると、場所は旧今庄町鹿蒜地区です。
元JR西日本(現ハピライン)南今庄駅の西側にある新道を歩きました。
ここは、木ノ芽峠から二ツ屋を通って今庄に入るルートで、旧北陸道の山中峠はもう半里程西になります。
二ツ屋から合流した集落で畑仕事をしてたお婆さんに聞くと、女学校出のハキハキしたお婆さんで、私の母校の大先輩になられる人でした。
そのお婆さんが言うには、そのお婆さんがこの地にお嫁に来た当時(戦前)、御屋敷の跡はまだあったとの事。
今は跡形もないよとおっしゃってました。
教えられた場所に向かう途中、別のお爺さんに聞いた所、「赤座」じゃなく、「赤沢」とここらでは呼んでたと聞きました。そしてその館跡の背後の山にはお堂があって、少し前までは手入れされていたが、今の土地の所有者は、お堂については多分知らないとの事でした。

ここが、赤座備後守館跡です↓

新しい家が建ってました😅


備後守館跡を上から
旧街道はこの家の前の道ではなく、この家の前の川と並行にあったようです。

背後の山を登ります。

散乱したお墓

五輪塔も見られます。
背後にお堂が…


お爺さんが言うお堂だと思われます。

その背後の尾根を登ります。


が、ほぼ自然地形。
山城の遺構はありません。
ただ、この尾根を伝えば燧ヶ城までは約1㌔。

言い伝え通り、館跡と思われる場所はわかりましたが、写真の通り、林道が作られ、造成されて家が建てられてました。
また、赤座直保ではなく、赤座備後守館跡となってますので、そこの関係も調べてみたので次回に報告します。

この時、3月半ばでした。山を登る予定ではなく綿のパンツを履いていたのですが、30分程山に入っただけなのに、大量のダニがくっつきまして…
山を下りてからズボンを脱ぎ、時間をかけてダニを取りました😭
しかし、次の朝、左足を20箇所ほど噛まれまして、痒さに悩まされました💦

次回はもう1つの赤座屋敷を🫱