ヨハナンの黙示録は1世紀のユダヤ人に対してのサバイバルガイド | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

知識だけではなく、民族が通った歴史の史実、体験そのものが

ヨハナンの書いた書を理解、解読する鍵となっているのです。

他にも具体的な暗号が記されています。

 

ヨハナンが、イエシュアを表す言葉を何と書いているでしょうか。

特別なタイトルは、「忠実な証人」という言葉です。

今の人には、単なる美しい表現と聞こえるものですが、1世紀の

ユダヤ人には、エレミヤ42章、詩篇89と繋がるハイパーリンク

だったのです。

 

エレミヤの時代、バビロンに滅ぼされた後、エジプトに逃げるべきか?と問い、神が真実で忠実な証人となりますようにと誓いました。

その時、神が言われる言葉は「恐れず、留まれ」もし、エジプトに

下って行ったら、つるぎと、疫病と、飢饉で滅びると言われたのです。

ヨハナンが、イエシュアを「忠実な証人」と語った瞬間、ユダヤ人の

耳、頭脳にはこのエレミヤ42章の出来事がフラッシュバックしたのです。

これは、現代のバビロンであるローマを恐れて逃げ出してはならない

同化、迎合、シンクロしないで、踏みとどまれ!という神からの託宣なのです。

 

もう1つは、「死者の中からの初子」というタイトル、言葉です。

これは、個人を超えて、集団、群れを表すものです。

復活という枠を超えています。

これは、エゼキエル37章の「枯れた骨の谷」へのリンクする有名な

箇所です。

国境を超えて、捕囚となり、もう死んだも同様、終わりだ!と絶望したユダヤ人に対して、神が彼らに息を吹き込み、墓から引き上げ、

彼らを復活させるという国家的回復の強烈なヴィジョンなのです。

 

緻密に書かれています。ローマ帝国に対しては、メッセージの正体、意味を完全に隠し、意味不明な言葉の羅列の中で、一方トラー、

預言書、諸書を知るユダヤ人には、彼らに対する 神の恵と回復は

必ず来るという希望のメッセージを、まるでレーザービームのように、正確に打ち込んでいるものなのです。

本当に高度なコミュニケーションなのです。

 

疑問が出てくるでしょう。暗号の意味は分かる。

ローマの弾圧に負けず、神の契約に根付いて、希望を持とうという

メッセージなら分かりますが、なぜあれ程恐ろしい獣や、天変地異などのヴィジョンが語られているのでしょう?

もうこの世は終わりだという終末のロードマップに見えてしまう

でしょう。

それこそが、多くの人が見落としている、ヨハナンが書いた核心を

見落としているものなのです。

なぜ恐ろしいヴィジョンが必要なのか?

それは、1世紀当時のドミティアヌス皇帝、ローマ帝国市政支配下に於ける、皇帝崇拝のシステムを理解しないとなりません。

皇帝を神として、拝める。当時の人は多数の神々を拝んでいたから

それが1つ増えるだけでは?と思うでしょう。

宗教的な側面だけをみれば、そう見えるでしょう。

 

皇帝礼拝は、単なる宗教行事ではなく、ローマ帝国の経済システム

そのものだったのです。ギルドや、共同組合、市場での取引、あらゆる社会活動の中に、皇帝に対する崇拝が組み込まれていたのです。

そのような活動をする中で、皇帝に香を焚いて、皇帝を崇拝しなければ、物を買う事も、売る事もできない。

経済活度が出来ない、締め付け、死を意味するものなのです。

心の中で、何の神を信じているか?だけではなく、明日のパンを

どう手に入れるかという、生存の危機に直結していたのです。

だからこそ、ヨハナンの黙示録のメッセージは、世界の終わりの日を

あなたのカレンダーに書き込めという意図のメッセージではないのです。

迫害と妥協の下にある、ローマ帝国支配の世界で、いかに神の契約=トラーに忠実に生きるか?保つかの実践的なガイドラインなのです。

ここと比例するのが、ノアの時代の出来事なのです。

洪水で地が覆われ日まで、人々は普通に生活し、飲んだり食べたり

娶ったり、出産したり、誰も、神の教え、契約に生きる事など気にせず、周りは、義人がいない〜ノアしか、神の義〜トラーに記された

神の似姿、性質どおりを生きるということをしなかったと書いてあります。

そして、生涯かけて、神に言われた通り、箱舟を作ったのです。

それは、ノアの周りにいた人は知っていたのです。

「あの人は、あんな大きな箱舟作って、一体何考えているの?

ばかみたい〜!」

と。そして、洪水が来る前の7日間は、箱舟の戸は閉じていなかったのです。誰でも、助けを求めて、神のもとに来て、神の契約=義の

生き方に戻るなら、戻れるチャンスがあったのです。

洪水に襲われる日迄、日常にかまけて、神の言葉など気にもとめず

生きていた。

この洪水とは、雨が降ったのでないのです。地と、そして天から

窓が開いて、水がどっと落ちて来た。地上からは水が噴き出て

全地を覆ったのです。

ヨハナンは、いつ洪水が来るのか、それを恐れるというメッセージではないのです。

この世界、不法=アノモス=神のトラーを捨てて生きている人で

満ちる混沌とした世界、ノアの時代と同じ、その中で、ノアの箱船は

比喩的ものとして考えるのです。

あなた自身の安全な「箱舟」を作り、ガードして、生きよ!という

メッセージ。

箱舟はどう、作るのか?正義、聖別、神の与えた高潔、それは、

神の契約に対する忠誠を持った生き方に留まる!これを、教えているものなのです。

そのものが、あなたを守ると教えています。

実際、ローマ皇帝を拝まないなら、経済的締め付けがあったのです。

 

黙示録1:10ところが、わたしは、主の日に御霊に感じた。

そして、わたしのうしろの方で、ラッパのような大きな声がするのを聞いた。

主の日と、書いてあるのを、クリスチャンは日曜日と違う解説をしていますが、ヨハナンは、主の日=日曜日などという意味では

書いてもいません。

 

ローマ帝国が作った教え=聖書とは異なるものは、根こそぎ全部窓から捨てて下さい。嘘、不真実は永遠に真実ではないからです。

主の日とは、神のモアデイム。その中心がシャバットです。

そして、主の裁きの日でもあるのです。

この意味は繋がっています。

 

黙示録を見ると、7つという数字がずっと書かれているでしょう。

7つのカハール=群れ。7つの巻物。7つの封印。7つの燭台。

など。そして7つのカハールには、5と2という群れで分かれています。

5という数字を聞くヘブライ人は、モーセの五書=トラーと理解

します。そして、2とは、モーセの五書=契約が記された2つの石の板でもあります。そして、7は、シャバット。

これは神の民に与えらた、神との関係にある「印」婚姻指輪だからです。

ローマ帝国は、1世紀では休みはありませんでした。

全ての人は、毎日労働です。しかし、神の民、イスラエル、そして

イスラエルと同様同じように父のもとに戻った人の印は、シャバット

です。神の契約に忠実に生きる。シャバットをガードして生きる。

それらを生きることは、その人は行動でこう示しているのです。

「私は、ローマ帝国に属していない。ローマ皇帝を崇拝しない。

私の神はイスラエルの神、イエシュアを信じている。私の時間は

神のもの、神に属している。」という命がけの政治的、経済的

レジスタンス、抵抗だったのです。

ローマ経済システムに組み込まれて、神の教えを捨てるのか。

それとも、ローマに逆らい、経済的貧困や迫害のリスクを負ってでも神の契約び忠実に貫き、生きるのか?

ヨハナンは、その最前線で苦悩する人に、このローマのシステムは

どれほど巨大で太刀打ち出来ないものに見えても、必ず崩壊すると

言う、転覆を暗号で語っていたのです。

この沈み行く、ローマの船に乗って同様に破壊されてはならない!

その事実を、ベールを剥がして、人の見せるためのもの、それが

ヨハナンが書いた黙示録の焦点、目的なのです。

ヨハナンが、ローマ帝国のシステムに迎合して行った7つの群れの中の5つの群れに対して、厳しく警告、矯正しているのです。

 

10の花嫁の例えと同じく、5〜これは、モーセの五書=契約です。

契約に忠実に生きて、目覚めて待っている五人と、神の契約を生きる

ことに無頓着な五人は眠った状態だったと書かれているのがそれです。

ヨハナンの名は、神は恵深いという意味の名です。

神が歴史の中での全ての主権者であり、どんな帝国の力よりも

強い。神に勝るものはないという確信に満ちたものです。

これこそが、アポカリプス、ベールを剥がして本当のことを人に

示し、教える目的なのです。

 

何世紀にも渡り、多くの人が黙示録は、この世の終わりのスケジュール表が書いてあると解説して来たのですから、この間違った視点からのパラダイムシフトが必要なのです。

 

黙示録だけでも、分かる通り、トラー、預言書、諸書に記されたこと

を知らない人には、そこに書かれている意味とは違う聖書解説を

してしまうのです。それは、タナックに記されたことではなく

長年世間一般に通用、浸透して来た、人の教えを通して解説される

神の言葉〜神の言葉が正しく教えられず、語られず、人の思想で

歪められて解説され続けて来たからです。

 

この黙示録を未来預言のスケジュール表として、間違った聖書解説が施され続けて、預言が外れるたびに、別の言い訳するということを

繰り替えして来ました。

 

クリスチャンの世界では事細かに、何何が起きるという表、グラフを

作っていますが、それらはことごとく外れて来たのです。

 

なぜなら、再臨は未だ起きていないからです。どの時代も、

自分の時代が終わりだ!と思ったでしょう。

なぜなら、惨事と、悪が世界を支配しよう、統一しようという考えは、ずっと繰り返し繰り返し、循環されているからです。

歴史は繰り返しているのです。

多くの偽預言者が出現し、再臨を預言し、全部外れている。

そして、この時代のこの出来事は、黙示録のこれだ〜という。

同じことが繰り返されているのです。

 

黙示録が書かれた目的は、実際には、世界がいつ終わるのかが

書かれている書ではなく、実際にはこの世界、どの時代も悪が

蔓延り、悪が支配するその中で、いかに神の教え=契約に根付いて

生きるかの、サバイバルガイドなのです。

 

知識はその歴史の文脈を理解して、初めて本当の意味、価値を持つものになるのです。神の教えではないことを解説してはならないのは

それは神が伝える真実などではない、人の考えた思想、戯言にすぎないものであり、神が伝える真実に到達できない、妨害、障害物そのものだからです。

1世紀の時代、過酷な現状の中で、絶望の淵に立たされた人々へ、

愛と希望、契約への忠誠を貫くための励ましの手紙、それがヨハナンが記した、黙示録なのです。

 

その事実を理解したら、ヨハナンが書かれた内容が、全く意味の違う

インパクトがあるものになります。

 

1)ヨハナンの黙示録は、人を恐怖に陥れる未来に惨事が起きることを伝える目的ではなく、ローマ帝国下にあって生きていた、

イエシュアの信者達に対する、タナックに記された内容を、暗号

隠語を通して伝えた、メッセージだったのです。

2)その目的は1つ。どのような暗黒、過酷な状況でも、契約に根付く生き方を捨てず、偽物に同化、迎合、同調、せず、神の言葉が

示す生き方の方向を持って生きること!

偽物の教えと交わり生きてはならない!というメッセージです。

3)恐怖ではなく、希望とレジスタンスの書である黙示録。

 

アポカリプス、覆い隠されたものを、ベールを剥がして見せるという

意味です。今現在を生きる私たちは、引き剥がされるベール、その裏にある、神が伝えている真実とは、何なのでしょうか?という問い

探究が残されているのです。

 

神の教え=契約に根付いた生き方に留まる。これが、どの時代でも

神の究極の御旨です。預言書は、神の契約=教えに根付いた生き方に

戻れ!それが預言者の託宣であり、預言書の中心のメッセージです。

 

詰まり、神の教えが廃れた〜神の契約が破棄された!という思想を

持ち込んだ、ローマ帝国の宗教は、真実などではありません。

そうすれば、聖書記者、預言者、使徒が書いた、このような黙示録も

何も意味のないものになります。

なぜなら、異邦人は契約を捨てた生き方をせよ!これが、偽の教え

偽教師の教えだからです。神の教えを否定する、それら偽物

神に敵対する思想を、頭脳の中から一掃しない限り、ヨハナンの

メッセージ、契約に根付く生き方に戻り、留まり続けなさいという

それは、聖書ではない思想を信じる、読者には、全く意味が通じない

ものになってしまっているのです。