2022年のハヌカは26日の日没までで25日日曜日の夜でハヌキアのキャンドルに火を灯す事は終わりました。25日日曜日は西洋キリスト教の伝統ではクリスマスの25日の祭りでしたので今年はハヌカとクリスマスの時期が重なったと言う事です。
ユダヤ人はハヌカを祝って、異邦人はクリスマスを祝うの?と
諸外国に居る一般の宗教的ではないユダヤ人も考えるそうですが
聖書に登場するイエシュアや弟子、1世紀当時のイエシュア信者
一般のユダヤ人はハヌカを祝い、クリスマスを祝った事は1度もなかった事が聖書に記されている事実です。
聖書の中にも救い主の誕生の記事がありますが、その後救い主の誕生日を祝う事をした記録は1つも記されていません。異邦人の
世界でクリスマスと言う祭りを、他の宗教の祭り同様冬至にちなんで祝い始めたのは、ずっとずっとずっと後になってからです。
異邦人メシア信者達が、ユダヤ人、ヘブライのルーツ、神の言葉
モーセの五書とは決別し、違う新しい教えを西洋教父達が作り出した新しい宗教に移行してから、ユダヤ人と異邦人のグループは完全に二つに別れてしまいました。”律法の行い”と訳されている当時のユダヤ人宗教界で作られた数々の人が編み出した教えの中で、異邦人とユダヤ人を隔てる教えがたくさんあったのです。
パウロが”律法の行い”と記している内容は、神の教え=モーセの五書の教えではなく、聖書とはズレた人の考え出した当時あった教えの事です。とにかく異邦人とユダヤ人は交われないものだ!と言う彼らの中にあった教えは神から出たものではない。だからイエシュアを通して隔ての壁を打ち壊されたとパウロがエペソ2章で解説しているのは、神の教え=トラーの事などではなく、人の編み出した教えの事なのです。そしてせっかく隔ての壁が壊れてユダヤ人と異邦人が一体となって新しい契約=同じモーセの五書を生きる異邦人と言うメンバーが加わり続ける再更新された契約を共に1つの家族として生きる事に招かれたのに、1世紀後半から再び”隔ての壁”が異邦人とユダヤ人の間に生まれてしまったのです。
だから同じイスラエルの神に繋がっても、異邦人クリスチャンは
神の教えではない西洋人が作った教えを実践し、イエシュアが
実践していた生き方ではない事が何かが見えないと思うのです。
そして聖書には無い日曜日がシャバット、レビ記23章に記された神の創造された記念日とは違う祭りを祝う事になってしまったのです。イエシュアは日曜礼拝を教えましたか?
イエシュアはレビ記23章にある神の創造された記念日をやめて
西洋人が作った祭りを祝う様に変更せよといつ教えられたのでしょうか?それらを教え、実践している内容は聖書のどこに書かれているのでしょうか?その様な教えや実践の記事は1つも記されていないのです。福音書以降〜黙示録まで同じ神の教えを実践して生きていたことしか記されていないのです。
1世紀聖書に登場する当時のイエシュア信者達は、ほぼほぼユダヤ人であり、少数の異邦人がその中に加わっていただけです。
そして諸外国でも、ユダヤ人の会堂に集うユダヤ人と少数の異邦人で形成されるグループが存在し、パウロがその群れを訪問し
モーセの五書=トラーを教えていた事がパウロの書簡に記されている内容なのです。
異邦人の世界では、昇天以降は違う教えが出現し、古い律法が
廃れ、恵みの時代の新しい教え=福音が伝えられたと教えられていますが、それは純粋な聖書=神の言葉ではない教えなのです。
先入観を捨てて聖書だけに戻り読めば、何が書いてあるのかが
見えてきます。7は1に永遠に変更されない。神の言葉は永遠に堅く立つと言う事実は永遠に変わらないからです。
神の伝える様々な教えが人の手により変形され、神のオリジナルの言葉がその通りに伝えられなくなった原因は、西洋宗教教父達により編み出された教えにより、聖書に書いてある神が伝える
教えがその通りに正しく伝達されなくなってしまい、その代わりに彼ら異邦人が作り出した教え、儀式や祭り、記念日にすり替えられてしまったのです。この事実を多くの人は知らない、
気が付かない、又は知っていても大衆により指示さえている伝統であるものが今は大事と考えているからだと思います。
又は気持ちだけあればそれが大事だと言う思想。
人が考えた教えや記念日を、特に神の教えや記念日とすり替えられてしまったものを、多くの人が長い年月伝統で実践しているからそれらを神が喜び認めていると言う事には決してならないもの
です。もしそうならば、神が伝える事が退けられ人間が考える
発想を神が尊重するなら、それは聖書が伝える神の言葉とは
全然マッチしないものになってしまいます。神の上に人間の権威を置くと言うのは聖書とは真逆な思想、発想、教えです。
神が伝える通り!を人が生きる!と言うことが聖書に記されている全ての中心だからです。バベルの塔と同じ事です。
神は神に属さないものを忌み嫌う、混ぜ物の教えを何より忌み嫌うとはっきり神の口から伝えているのです。
異邦人クリスチャンのグループ、最初はローマ教ですが、ローマがクリスマスと言うものを祝い出したのは336AD以降です。
聖書が閉じた後の話なのです。
その日を12月25日としたのは、聖書に根拠があるからではなく、12月の冬至をめぐり異教の神々の様々な祭りが最初から存在し、それに便乗したからです。ハロウイン=悪霊祭り=死者の霊を崇める祭りを、カトリックの聖人とした人達を崇め祭る祭
万聖節、死者の霊が戻ると言う日本のお盆の様な祭りに便乗した思考回路と全く同じです。
ハロウインと言う祭りを利用してカトリックもその祭りに便乗し
ヨーロッパの伝道に利用しようとした動機でその祭りを自分達の宗教の祭りに作り変えただけです。クリスマスもハロウインと同じでキリストを伝えるために皆が異教の神々を祝う冬至の時期に
自分達の宗教の祭りとして別の祭りを作り出しただけです。
西洋に浸透した冬の祭りは、元々ヨーロッパに存在していた異教の神々の冬の祭りに便乗したものであり、これをカトリック
ローマ教の祭りとして作り変えたものがクリスマスの始まり起源なのです。
ローマ皇帝コンスタンチヌスは最初からこの新宗教をローマ帝国の支配を広くし多くの人々に支持されるために作った宗教であるので、当時の異教徒達、地場宗教=太陽神信仰に根付く人々にもすんなり受け入れられるため異物である”神のオリジナルの言葉、教え、記念日”など、異教徒異邦人には馴染みの無い教えを一切削除して、違う教えに作り変えて作った宗教なのです。
だから、異教の神々の教えや記念日を自分達の新しい宗教、
ローマ教の教えに作り変えるために、日曜日がシャバット=
安息日であると制定し、そして神が伝える神の定めの日、記念日
祭りを全部排除し自分達バージョンの記念日を聖書の出来事と
関連づけて作り変えてしまったのです。神ではない、人が勝手に
神の言葉に手を加えた、神の言葉に付け足し差し引きするなかれ!と言う神の言葉を破ったのです。
アメリカでは移民した清教徒=ピューリタン達は、この異教の神々の祭りに連なるクリスマスと言う新しい祭りを法的に
”バン”=排除し祝う事を禁じていた事を多くのクリスチャンは
知ることがないと思います。異教の神々が起源である祭りに便乗し、その日をキリストの誕生日だと勝手に決めたから禁じたのです。冬場に祝われていた異教の神々の祭りは乱痴気 パーテイの要素があり普通の人の常識=主に連なる神の子らであるならそれらの祭りには参加しないのが当然の祭りだったからです。
アメリカはヨーロッパからの移民で様々な国の人が入り、
それぞれの国の伝統を持ち運びました。サンタクロース
=シンター クラスがオランダ人によりニューヨークに持ち運ばれたのが1600年代です。ドイツ人はクリスマスツリーの伝統を1700年にアメリカに紹介しました。
クリスマスにまつわる様々な飾り、この”木”も異教の神々のシンボル、意味があるものなのです。ヨーロッパから伝えられた、
冬の祭りの由来、シンボルは異教の神々のものだからです。
それぞれの国々の人によりこの冬の祭りを祝われたのですが、
1800年に入るまでアメリカではこのクリスマスと言うのは
一般には祝われているものではなかったのです。
日本の中で考えても分かりますが、今現在子供である人達には
分からない事だと思いますが、1980年代など日本にハロウインを祝うなどと言う風習は全くありませんでした。1980年代の10月31日に渋谷に行っても、ハロウインパーテイの騒ぎなど全くなかったはずです。スーパーやデパートなどにハロウイン
グッズが売られてなどもいませんでした。他の諸外国でもそうですが、ある時から瞬く間にハロウインを祝う事が世界へ浸透したのです。それと同じ事がクリスマスと言う祭りにも起きたわけです。聖書にはなかった祭り、神の定めの記念日、神の仰せではない記念日を、聖書の中の出来事と関連づけて、異邦人宗教の教えが作った祭りが、ある時からどんどん受け入れられ、浸透し形を変えて世界へ定着しただけの祭りなのです。神の創造された
オリジナルの記念日を祝うのは神の言葉を知る人だけです。
でもそうではない人が作った祭りは世界が祝うのです。
キリストの誕生を伝えると言う事は大事な事です。その事実をどんな形で伝えるのか?それは神が伝える言葉の真実通りでなければならないはずです。ザビエルが日本へカトリックを伝えに来て
日本人に”これは仏教の1派の天竺教と言うものである”と聖書ではない事を伝えたのは、とてもズレた事です。人に受け入れられるから、神の教えを人間に合わせて変形すると言う思考回路は
パウロが言った、ユダヤ人にはユダヤ人、ギリシャ人にはギリシャ人と言う意味を全く誤解しているからです。
救い主の生まれた日が何故強調されて祝う様に神は伝えていないのか。それは、聖書を最初から読めば分かる内容だと思います。
ヨハネが”見よ、神の子羊!”と言った時にそこに居た人達は、
ヨハネが何を話しているのか理解し悟っていたのです。禅問答の様に意味不明な事を言い放ったなら、それは誰にも通じないのです。
彼らは、タナックの中に記された”メシア=神の子羊”の意味を
理解していたから、ヨハネがそう言ったのは明らかな事実です。
そして神は永遠から永遠に存在しているお方です。
ワシントン アーヴィングの書いたお話シリーズの中に、
イギリスの金持ちの地主が家に労働者を招いて晩餐をしたと言う
話があります。社会的立場が違う人が集い一緒に祝う。
ヨーロッパにあった宗教の祭りのスピリットを取り戻すものとして書かれています。それらの考えがアメリカ人の心に根付き始めたのです。そして1882年にクレメント クラーク ムーアはサンタクロースが自分の娘のところに来た話を書きました。
それが今世界中で有名になったクリスマスの前の晩にサンタクロースが家を訪ねて贈り物をくれると言う誰でも知っている逸話に
なったのです。現代ではサンタクロースは空をトナカイと共に飛んでいるコーラの宣伝の絵まであります。妖精がいて、サンタクロースがいて、そしてトナカイがいる。これがアメリカから発信され世界へ根付いたクリスマスの話、イメージです。
でも聖書とは何の関係も無いのです。
続く