神 場所 王 王国 王国に仕える人々 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

ヘブライ語でイスラエルの神ご自身を”The 場所”=ハ マコムと

言う言葉で表現をしています。神=場所です。場所、どんな場所

神の臨在が宿る場所です。

その言葉を知らない間に使っていますよね。

”私達は神の宮です!”と、宮とは場所=ハ マコムです。

 

神の家=神殿には特定の場所があり、そしてその神殿には神殿に

仕える大祭司が居て、宮に仕える祭司達が居ます。

誰に仕えるのですか?イスラエルの神、王の王、主の主です。

天の国、神の王国、神の家=宮=神殿と言う言葉で表されているものは神ご自信が意図通りに治める場所であり、その中に住まう人達の事です。

 

神の王国は神が伝える通りを治め、ガードする人達で運営される

ものなのです。イスラエルの神=王に属するサーバントが、イスラエルの神の性質にぴったりマッチしない、自分思想の勝手な思いのやりたい放題で、人間発想の思想や生き方、王が伝える通りではない、それぞれ勝手なやり方でその国を治める事はしては、神の王国は立ち行かなくなってしまいます。

人間の世界でも、部下が上司の考えを無視して勝手な振る舞いでそれぞれが思いのままやり放題なんてのはないのです。

それが神の顔=神の実態、神が伝える言葉、教え、純粋なみ言葉の上に別の顔=人間の手で編み出した偶像=人の考え、思想、

悟り、宗教に変身した様々な教えを置いてはならない!と言う

警告です。イスラエルの神が奴隷の国、奴隷意識で生きていた

人達を子羊の血の代価で買取り、贖い出し、神のものなった人達へ最初に発した重大警告なのです。

エジプトと言う言葉で表される、イスラエルの神とは真逆の性質、狭い、辛い、悲しい、苦しい、奴隷、縛り=偽の神々、偽の主人、偽の宗教の教えの奴隷であった人達は、本物の主人=創造主=イスラエルの神が伝える本物の教え、本来の神の似姿に造られた自分の自己像を失って分からないから、1から全てを教えられる必要があったのです。イエシュアに贖われた全ての人はもれなく、出エジプトしたイスラエルと少数の異邦人と同じ体験、

この世の道のりを歩むのです。

地上にあるエルサレムの神の家=神殿で、目に見えない天にある神の家の実態、大祭司イエシュアそして神の王国を治める祭司達

そして治める場所=聖霊が臨在する場所、それが神の王国の王宮=神殿なのです。神ご自身の臨在の中に、住まう人たち=神の宮です。神の宮は神が言われる通りの性質、そして聖別に留まる

必要があるのです。そして神ご自身も神の子らの中に住まうと言う不思議な事が書かれています。

 

それをイエシュアはヨハネ17章のゲツセマネの祈りの中で

祈っています。私達神の子らはこの世にあってこの世のものではない。この世に存在しながら実は私達は神の中、天の現実の中に既に存在し、神も人の中に住まわれ、イエシュアと父が一体で

ある様に私達も同じ様に1つ神の中に存在していると摩訶不思議な事を言っているのです。

それを人が知らないから知るように!と祈って下さった。

このイエシュアが祈って下さった祈りの中に、たくさんの天の現実、神の言葉=トラーに記されている事実が語られています。

 

ヨハネ17:19 また彼らが真理によって聖別されるように、

彼らのためわたし自身を聖別いたします。

<この箇所を読むと、神の意図通り目的沿って神の上に神の子らを分かたれる=聖別=その詳細はモーセの五書に書かれた神の子らの性質、生き方、エッセンスに沿ってこの世と境界線をはっきりと引き区別分かちますと言っているのです。>

 

17:20 わたしは彼らのためばかりではなく、彼らの言葉を聞いてわたしを信じている人々のためにも、お願いいたします。

17:21 父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになるためであります。

 

イエシュアと父は別々の存在ではなく1体であるエハッドの神で

ある事が書かれています。そして神の子ら皆今神の中に1つに存在している、神も神の子らの中に居る、1つとなるとあります。

だから、分裂した教え、思想、異邦人とユダヤ人とは別の2つの家族=グループでは無い事、トラーに書かれた事実、イスラエルと共にいる=イエシュアと共に同じ婚姻契約の中に加えられた

人たちは、同じ=他国人も同じ!と何度も聖書に書かれている

通りの事実をここでイエシュアが語られています。

だから人間の語る神学=分裂思想は神の伝える真理では無い事が

神の言葉=父の言葉を同様にイエシュアも語り、その事実を私達がはっきりと知る様にと祈っているのです。

 

17:22 わたしは、あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。<同じ神の栄光を与えられた。信じるもの全て=彼らも1つ。異邦人、ユダヤ人、関係無く同じイスラエルの神から出て、イエシュアにより贖い出された人達は1つ=一体=

エハッドであるからです。もし人の教えが唱える様に、異邦人

とユダヤ人への契約や教え、生き方や記念日が違うのだ!と言うならば、それはあなたの中に居るイシュアとあの人の中にいるイエシュアと、私の中にいるイエシュアは、思想により宗教教理により違うのだ、別物であると言っている事であると気が付きませんか?そんな事あるわけないのです。人間の側が勝手にイスラエルの神像を歪めているだけで、イスラエルの神は永遠不変に同じ

でぶれず変化などしないのです。

 

イエシュアは父の言葉父の教え=トラー、シナイ山で与えた文字として記された神の言葉=神の子らの生きる全ての詳細を教えているのに、それ以外の人間の生き方など存在しないのに、どうしてそれらが終了であるなどと言うのか?

それは別の顔の声=人の教え、宗教に変形した教えを聞いてそう思い込んでいるからです。

 

言葉=神ご自身=イエシュアそのものです。だから1世紀の人は

イエシュアを”The トラー”=ハ トラーと呼んだのです。

言葉が実態となって地上に現れ出たからです。

ヨハネの福音書の冒頭にもそう書いてあるのです。

もし神の言葉をどの箇所でも捨てる、否定するのなら、それは

イエシュア=イスラエルの神を否定し、体の手や足をもぎ取り

DNAを変化させる事をしているのです。体は1つで繋がっている

でしょう。生まれて来てからこの臓器不必要だから切り取る!

なんて考えるのでしょうか?要らないものを神は初めから創造などしません!人間が真実を理解していないだけと言う事につきます。神の言葉も同じ1つで丸ごとシャローム、進化変化しない!と言う事実を神の言葉からはっきり理解し読み取れば容易に理解出来る事実です。

天に属する祭司=イエシュア、メルキゼデクの位に繋がる神の子らは神の宮の天の祭司であるのです。

地上の神の家に仕える祭司はレビ族出身者のみ、地上の大祭司はレビ族のアロンの家系出身者のみ。彼らが忠実に天の神の国、

王国、神の家、神の家に属する子らの生き方を地上で教え反映し継承する任務を任されたからです。でも目に見えない天の王国、神の家は、地上の神の家で反映され、物理的に五感を通して目に見えない天の家の事実を体験する”体験型神の家のレプリカ”を神が地上に造り、神の臨在とそして神の子らがそこで実際に神の家に住まう現実、イエシュアの贖い、救いの意味を動物を屠ること

そしてシャバットや、祭りを祝う事で実際に体験出来るもの

なのです。

神の宮=天の祭司と言うならそれはモーセの五書に書かれた

神の宮に仕えるレビ族同様、神の教えを理解しないとただ口で

唱えるだけの神の宮=自ら聖別して神の忌み嫌う生き方をすると言う警告通りになってしまいます。

 

私の中に居るイエシュアは違う、ユダヤ人の中に居るイエシュア

と異邦人の中に居るイエシュアは別物である!と言っているのだと言う事に気が付かないとならないのです。

イスラエルの神=聖霊は、住まう人、人種により、教えや実態や、約束や神の定めの日=記念日を別物に変化させ、カメレオンの様に自由自在に変身するとでも言うのでしょうか?

 

神の言葉に基づき書いてある通りに理解し考えたら、人の編み出した宗教の教えが神の言葉にそぐわない事がはっきり見えてくるはずです。

勝手な聖書の解釈の読み込み、聖書に書いてない事をあたかも

書いてあるかの如くに信じて語る、神が伝える教え、聖別や神の記念日をはっきりと指定しているのに、人がそれらを無視、無効とし別の記念日に作り変えてしまった!と言う歴史上の事実に

はっきり目覚めたら目から鱗、神の永遠不変の真実な言葉、声が響いて来ます。

ヨハネ17:23 わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に一つとなるためであり、また、あなたがわたしをつかわし、わたしを愛されたように、彼らをお愛しになったことを、

世が知るためであります。

17:24 父よ、あなたがわたしに賜わった人々が、わたしのいる所に一緒にいるようにして下さい。天地が造られる前からわたしを愛して下さって、わたしに賜わった栄光を、彼らに見させて下さい。

人が創造された時、エデンの園=神の中、神の臨在で満ちている

その場所に生きる様に置かれたのです。その場所をどうガードし

耕す<アヴォダ>するのか?神がアダムに伝えたのです。

その内容は私達へ同じ教えです。神の言う通りをガードしてい

生きると言う意味が、創世記2:15です。

”主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。”

 

エデンの中=神の中に住まう人達は、神が言う通りを生きて、

エデンの園を耕す=礼拝=アヴォダ=生きる全てをする、それらは神の伝える実態通りを生きる!と最初から教えられているのです。

そして、エデンの園を守ると言う言葉は、シャマです。

聞く=シェマと言う言葉とルーツ文字が同じです。

シャバットを守りとあるそれとも同じ=シャマ

ガードする、治める=神が言われた実態通りに生きてシャマ=

ガードする。これは自分、そして自分が住まう場所=神の国、家、そして神が伝える神の定めの時をガードする事でもあるのです。神の定めの時を生きる=聖別そのものを教えているのです。

神の子らが世界に対して全く異質な生き方である、神の性質を

生きる事=神が伝える通り、聖別された通りを生きる事。

 

その人達は、時が来れば実を付けると詩篇1にある例えの様に

水=イエシュア=神の言葉に根付き、神の伝えるエッセンス、

性質通りを日々生きる人、耕す=神が言われた通りを生きて

自分、周りの環境をガードする=シャマルすれば、神のデザイン通り、時が来れば御霊の実が豊かになると書かれています。

 

神の国=神の家=エデンの園=場所を治める人達は、神が伝える

通り、神の教え=トラーに書かれた通りの生き方をする!

王国の僕達がそれぞれ勝手な思想で、勝手な振る舞いをしたら

その国は王の意図通りには治められなくなる状態に陥るのです。

 

 
続く
 
明日の日没から水曜日日没までが2022年の大贖罪日、ヨム
キプルです。たくさんの思い巡らしがあって記事が追いつきませんが、この日々、イスラエルの神の子ら全てが、神の仰せに
畏敬の念を払い、神の言われる通りを生きる〜過去1年の自分の
歩みを振り返り、神の前に神が伝える言葉、教えに照らし合わせて何がどうズレているのか?その原因は何か?そして次の新しい
年のサイクルに同じズレを繰り返さないと言う決意をし、それを
実行し生きると言う事を再確認する時の中にいます。