1世紀当時、いやそれ以前に登場する聖書に記された古代の
イスラエルと少数の異邦人達の生きた世界へ、タイムスリップして、聖書に記された真実、現実だけを辿るタイムトラベルをしてみる事をお勧めします。それは聖書に記された事実だけに立つ!と言う聖書の読み方に軌道修正する事だからです。
現代の異邦人の世界で教えられ実践されている様々な宗教の教えや儀式、記念日ではなく聖書に記されている、聖書に登場する
人達が実際に生きて実践していた神の言葉〜教え、記念日=神の定めの日の祝いだけに戻る事をしてみれば良いのです。
イエシュアが地上に来られる前、来られた1世紀当時、そして
昇天された以降も、神の教えはどの部分の一点一画変化していない!と言うイスラエルの神が人に伝える永遠の真実であるからです。異邦人クリスチャンの世界の教えは昇天以降神の言葉、教えは大部分終了した、イスラエルだけが生きれば良い、異邦人には関係の無い縛りの律法であるなどと言う残念でズレた聖書とは
無関係の教えを聖書であると教えられ続けて今に至るのです。
詩篇89:15 祭の日の喜びの声を知る民はさいわいです。
主よ、彼らはみ顔の光のなかを歩み、
89:16 ひねもす、み名によって喜び、あなたの義をほめたたえます。
89:17 あなたは彼らの力の栄光だからです。われらの角はあなたの恵みによって高くあげられるでしょう。
89:18 われらの盾は主に属し、われらの王はイスラエルの聖者に属します。
”祭りの日の喜びの声”と書いてあるのを以前読んだ時、祭り〜?
自分の体験する日本や世界の祭りを想像して読んでいました。
何の祭りの事が書かれているのだろうなどとも考えない。
日曜礼拝、クリスマス、イースター?が聖書に書かれているのか?などと想像してしまうのでしょう。
でも聖書に書かれている祭りとは、神の定めの日〜天の万象は
”神の定めの日”=モアデイム=季節と訳されている神の定めの日
を司るために造られたと書いてあるのです。人は神の時〜福音、
預言的祭りを巡り祝い、神の言葉を生きて成長する地上の歩みが最初から用意されている事実が書かれているのです。
全ては神が創造した暦=それはイエシュアの業〜福音の中心を
表す記念日であり、最初からイスラエルの神はイエシュアの全ての業を中心に世界を造られ、神の暦〜神の記念日を造られた事実が創世記の最初に記されているのです。
詩篇89:15 祭の日の喜びの声を知る民はさいわいです。
これをヘブライ語で読むとこうなっています。
アスレイ=幸い 祝福 ハ アム=The 民 ヨデイ=知る=婚姻関係の中の裏も表も知り尽くすと言う意味の知る
テルア=角笛<ルア=叫ぶ 告げ知らせる> イェホバ=主=
主の一番親しい呼び名 ブ オル=光の中 ペナフ=あなたの御顔の前に ヤフレフン=彼らは歩む
神の定めの日=特別な記念日、世界へイエシュアの実態を告げる
祭りの角笛の音を裏も表も意味も知り尽くして神の定めの時の
祝いに参加する”神の民”は幸い、祝福されている。
彼ら=イスラエルの神の民は、神の顔=神の実態現実の前に常に歩むと書いてあるのです。私自身は長い事この祝福の意味、体験を欠損し、宗教の教えを生きて、宗教の実践をし、神の伝える
本物の実態を体験する事なく、イエシュアを信じると言いながら何も知らないままの信仰生活を疑いもなく送って来たのです。
聖書の事実、人類の問題の根は、神との分裂、本来神の性質に造られた自分自身の実態からの分裂、そして一体として造られた
1つの人=夫婦の分裂、亀裂。それが家族、民族、世界中の人の間で起きた分裂、亀裂、争い!分裂=死です。本来の実態、
関係が断たれる事=死です。相手との本当の関わり、体験が死ぬ
断たれる事だからです。相手の本当の姿が理解出来ない、見えない、聞こえない。神の言われる真実が耳に響かない、別物が
耳に頭脳に侵入して本来の自分の実態を壊してしまうからです。ズレ=罪を取り込むと人が破壊されるのは、自分の性質、要素に
属さないものを内側に取り込み汚染されるからです。これは物理的霊的両方ぴったり同じなのです。だから神に禁じられている事を肉体的にも物理的、精神的、霊的どんな領域でも取り込む事
破壊を意味する事なのです。これが問題の大元です。そして神の修復は全人類を神の創造された元の状態=一体、エデン=喜び=神の中に1つとして引き寄せる!これが壮大な神の贖い救いの
プランです。
ここで立ち止まって考えれば神の言葉の真実に立つ事が出来ます。神は神の計画通り神と共に集めない人=分裂を引き起こす
思想、行動を世界へ伝える人は神と同じ意識ではないと伝えています。神が伝える言葉=真実とは異なる人の教えを人に伝える事
生きて示す事、これも神の邪魔をしている事です。神が人種に
より2つ別の種類内容の教えや、イスラエルと異邦人とは違う
記念日を祝うなどと聖書のどこに一体書かれているのでしょうか?それを発見するならぜひ教えて欲しいです。
もちろん聖書にはそれぞれの立場や役割により違う教えが書かれていますが、その教えの中で共通の真理を全人類に伝えているのです。女性に割礼はないでしょう!男性には生理も出産もない
のです。でも割礼の意味は同じなのです。生理や出産で教えられる内容、それらには意味があります。死と命を教えている。
これは、漏出物の教えとも全く同じ内容なのです。神が教えている教えの意味を理解出来ないなら、神が伝える真実は見えて来ないのです。だから書いてある意味、内容を知る学びが必要なのです。自分想像空想解釈の勝手な聖書の読み込みに留まり、神が
伝える真実が理解出来ないままになってしまうからです。
世界は最後にイエシュアが地上に再び戻られたらレビ記23章にある神が聖別=神の目的通り意図通りの神の記念日を世界中が
祝う事になる、エレミヤ31章にある皆が神のトラー=教え
インストラクション=モーセの五書を生きる様になる!と預言されているのです。
異邦人は先に天に挙げられてユダヤ人は永遠に地上にいるから
神の教え=トラーは無用!などと言う教えは人造の教えであり
聖書とは全く無関係の宗教の教えです。この様なそれらしくて
虚偽の教えに聖書=神の言葉の事実から気がつく必要があります。
そうすると異邦人とイスラエルが別々の記念日を祝い続ける事
それは神の御旨などではない事は聖書=神の言葉から明らかでありクリーアにその事実が記されています。神は全人類を元の姿
1つ神の中に、1つとして修復しようとされるのにどうして分裂の教えを強調し続けるのでしょうか?
1つの家族が決裂し、それぞれ勝手に思うままの好きな生き方
好きな記念日を祝うのさ!それが昇天以降の新しい時代、恵の
時代の生き方さ!などと言う異邦人の教えは聖書とは全く関係のない人の思想、人の考え、人造宗教そのものの教えにしか過ぎないのです。
人間は誰に創造されたのでしょうか? イスラエルの神が創造主であり、人はこの神に創造されたに過ぎない存在なのです。神が伝える知恵=人を造られた神から人は出現し、この創造主=神の知恵を聞く!と言う事を神から教えられているのです。
人はどの様な性質に造られているとイスラエルの神は人に神の言葉で伝えていますか?神の似姿そっくりに造られたとあります。神の被造物の中で人間が一番神の性質を表す被造物であるのです。
私達を造られた創造主は、私達がどんな性質に造られたのか、
神の性質を表す鏡、神が語る真実をそのまま映し出す像として
創造されたのです。
だから、私達は創造主が神が伝える通りの真理、真実であるのかを、私達が知る!と言う事がどれほど重要な事であるか発見
するのです。偽物の教え、混ざった教えに聞き入ってはならないのはこの様な理由からです。何が本当なのか分からなくなり
神が伝える真理から迷い出てしまうからです。
それには何が大事であると神は人に伝えていますか?
神が伝える真実の全て=神の言葉を注意深く学ぶ神の子ら、
弟子、生徒!である事に徹する事なのです。
神を神が伝える通りに知る!と言う事に本気、熱心、忠実、
熱意を持って神の伝える事を自分が知ろう!と言う態度、意識。
それなくして神がどんなお方なのか自分が誰なのか知る事は
不可能だからです。神が伝える言葉を聞かない場合、自分空想、自分よがり、自分想像のイスラエルの神像、人間の生き方=人の教えを編み出してしまうだけです。だから神に聞く!神の言葉に聞くと言う事を怠る様に教える教えがどれだけ自分勝手な方向に導かれてしまう危険である事は、神が人に最初から伝えている
警告なのです。
警告〜きびしい神なんて誤解してはならないのです。神しか人に
教える事が出来ない、神しか人に何が危険で何が安全なのか伝える権威、知識があるお方はいない、神が創造主であるからです。
もしそのお方が人に危険である全て、人の生き方の全てを教えないならそれこそ無責任な愛の無いお方である!と言う事になってしまうことを理解しないと真実が見えなくなります。
神の言葉=律法だ〜などと言い続けるその意識はエデンの園を
飛び出した肉の頭脳、神の考えを理解しない人の教えでしかない、本当にゴミそのものの教えです。
大体、聖書=神の言葉を理解するなら、神の言葉は無用、終了、意味なしなどと言う教えがイスラエルの神から出たものでなく
蛇=サタンの声であると気が付かないとならないのです。
サタンの声か神の声かちゃんと聞き分ける方法=神の言葉に照らし合わせて神がなんと言っているのか熱心に探り、神の伝える
真実から外れない、人の教えに乗っかり引っ張られ神の言葉から離れる様な事を決してしない!これが一番大事な鉄則なのです。
神の言葉から離れる〜あなたの命を危険に晒します。
目に見え無い形で、見える形で、気が付かない間に危険にさらされ、自分が誰か分からなくなり、イスラエルの神の性質も正しく知る事が出来なくなり、混ぜ物の教えで自分を汚してしまう事になってしまいます。異教の神々の教えの鏡に照らし合わせる宗教を生きてしまう事になるからです。
これから大贖罪日に向けて、10の言葉に照らし合わせ軌道修正する日々になります。これを自分、家族、コミュニテイ、社会全体がしたらすごい事が起きるでしょう。でも人は神の教えを知らないから、どの様に、何に軌道修正して生き始めるのか?さえ
知らないままなのです。
出エジプト20:7 あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに
あなたの神、主の名=神の伝える実態を”空虚、無意味、虚無、無効”としてはならない。
唱えると訳されている言葉は”ナサ” =運ぶ 広める、拡大する
置く、置き換える、掲げる、空の実践、誤りを伝える”様々な
言葉に当てはまりますが、口で唱えるだけでなく、神が伝える
実態をその通りではなく別の教えに置き換えたり、無意味、虚無なものにしてしまう事!神の言葉は無効になった!などと言うその様な教えこそ”神の名=実態を虚無、無効として掲げてはならない!”と言う警告そのものなのです。
イスラエルの神ご自身=イエシュアが神の言葉がどんなに重要であり、それを真剣に捉えて追求する様に教えているのか、神の
伝える言葉が全く聞こえてこない〜神の言葉は終了!と言う教えは、神の伝える真実を頭脳に根付かせないサタンの策略そのものであり、良い地に種を蒔き根付く妨害だけをしている邪魔な教え
つまずきの岩であり、種を地から抜き取る鳥であり、作物の実りに被害を与える害虫であるのです。
今の時代は真実だけに根付き自分で考える、聖霊に神の言葉から
真実を証明して頂く、これをする必要が益々必要になって来て
いるのです。混乱の時代、ノアの時代、神の真理から離れた自分
好み、自分の感覚、悟りに頼る、好き勝手な生き方を世界が大手を振り提唱しているからです。
続く