やっぱりヘブライ語で書かれていた福音書や書簡が存在していた  | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

旅途中で、まとめがうまく行かないのですが、

イスラエルに来る以前からずっと調査、追って調べ続け

ている事があります。

それらの内容のもっと事実、根拠の確信に触れ感動しました。

 

神の言葉、約束の真実は永遠に堅く立ち、人が神の言葉を

否定して、約束立ち消えだと唱えてもそれは、人の空想、

発想、教えは、神の言葉の真実の前に

煙の様に跡形もなく消えて行く。

神の言葉のみが、事実が真実を証明するからです。

そして、それに伴う証拠が存在する。

 

ヘブライ語で書かれたマタイの福音書の複書が、

数多く発見されている事実は世界に余り知られていないかも

しれませんが、知る人ぞ知る、今やそれがアマゾンでも

購入出来ます。

 

ヨーロッパの世界各地で発見されたものが、

それぞれの国の国立図書館などの保管されており、

カメラで複写したものをオンラインでも閲覧出来るのです。

 

真実がつまびらかに明らかにされて行くとは、

今の時代、神の言葉が永遠に真実である証拠がちゃんと

個人的に目で確かめる事が出来る時代になった事も

含まれているでしょう。

 

この記事を信じなくても良いのです。

自分の目で確かめて、嘘か本当か確かめれば良いから

です。自分で確かめて、調査し、学んで行けば、

真実に絶対突き当たるからです。

人の仮説や、神学を探らないで、神の言葉を探る。

 

ヘブライ語で書かれた福音書以降を研究調査する

人達が、言いいます。

”わたしの言う事なんて信じなくて良いよ。

自分の目で原書を確かめれば良いのだから。

証拠があるのだから、自分の目で見て確かめて。”と

その通りです。

 

しかも、ヘブライ語で書かれたマタイ書は

どの国で発見されても、中身の言葉が同一です。

ギリシャ語の福音書は翻訳なので、それぞれ異なる言葉、

異なる書き方で、書かれているのです。

ギリシャ語で書かれた書より、より深い事が書かれています。

詰まり、ヘブライ語でしか表せない世界が描かれているから。

 

そして、何とルカ、ヨハネの福音書、ユダへの手紙、

ヘブルの手紙のヘブライ語の複写書のページの一部も、

バチカン図書館に眠っていたのです。

 

これは、もう20年前位から分っていたそうですが、

ヘブライ人ラビ達はもちろん、そんな複写書があっても

相手にしない、調べない。

なぜなら福音書以降のものだからです。

だから誰も研究したり、手にとったりしなかった。

又は、異邦人信者でヘブライ語聖書に精通している

人達が、殆ど居ない現状で、誰が研究するのか?

と言う事が発見されなネックだったのです。

 

暗黒時代、トラーを捨て、お家元から学ばなかった、

バチカンの教父達もヘブライ語聖書が読めない、分らないから

その書が何であるか分らないから、何百年もずっと

放置されていた。

 

詰まり、こう言う事です。

トラーを読む事、トラーを生きる事を禁止し、刑罰まで

与えた西洋宗教、ローマの歴史を振返れば、

同時にヘブライの書も没収され取り上げられて

行った歴史があるのです。

多くは焼かれて行った。そして、ルターの様に、ヘブライ語

の聖書は学んだ事も無い、だから読めない西洋教父達しか

居なかった。

でもある書は保存されていた。保存と言うか放置されたまま。

その中には、ユダヤ人の子供に文字を教える様な

教科書まで含まれているそうです。

 

家の倉庫や納戸を考えてみると分りますが、

一旦荷物を置いておこう、そして後でどうするか

考えようとしておいて、長い年月が経って行く。

 

何百年も経ち、本は虫が食ったり、破損状態に

なってしまう。でもそのまま放置。誰も地下の倉庫に

行って、カテゴリー別に分類出来ないからそのままと

言う状態が続いていたそうです。

 

しかし、それが今掘り起されて、カメラで一ページずつ

撮影したものが、エルサレムの国立図書館にあるのです。

それを直接閲覧出来たらと思っています。

エルサレムの図書館に行かずとも、今バチカンのサイトで、

オンラインで、パソコンのボタンを押すだけで、

それを誰でも自宅で見る事が出来る時代になったのです。

 

人の言う事が信じられない場合も、自分の目で確かめれば

良い時代。

人の教えや、作り出した教えではなく、根拠、証拠を

自分の目で確かめると言う事を繰り返しし続ければ

良いのです。

 

神の言葉は終ったとする教えは、人の教えであり、

再び救い主が来られたら人間の教えは全部消える。

 

しかも、今その福音書以降を研究している人達は、

ユダヤ人そして異邦人達の共同作業。

救い主の来られるのを待っているユダヤ人達。

それがあのイエシュアなのかどうなのかと

探求続けている。柔軟なユダヤ人達。

私も、引き続き調査を続けたいと思うほどワクワクする

事実が、今の時代に明らかになって来ているのです。

 

ヘブライ語で書かれたルカの福音書 写書。

ヘブライ語で書かれた書では、”イエシュア”の名の発音は

イエシュアであり、他の発音では無い事が文字の下に

書かれている母音によりはっきり分る。

世の中色々な仮説を信じる人達が居て、発音間違えれば

地獄行きの如くの教えがありますが、そんなのも

聖書に照らし合せれば真実では無い事。

イスラエルの神はモレク神の様に残酷無慈悲では

無い。

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