サタンのささやきとか、誘惑と聞くと何かすごく
大大的大仕掛けで、劇的で恐ろしく、見分けが
はっきりくっきりするものだと思いますね。
夏の夜に見る怪談話に出て来るような〜
はっきり分かる事なのかと、思いますが。
いや〜 サタンは実に巧妙です。実に悪知恵にとんでいる。
盗人の様に、気がつかない間にちゃっかり、
人の中の色々な領域に入り込んで居るのです。
思索=神の似姿の人である自分を忘れさせる、
全ての思想、教え、思索、言葉。
そして、自分と神と他者との一体の関係を破壊する。
私達の頭脳の中、考えの中に入り込んでいる。
気がつかない間に。これがキーポイントです。気が付けない、
気がつく事も出来ない、まさかそんな教えがサタンのささやきとはなどと気がつかない。
その中にサタンはしっかり居座っている。
あたま=かしら=ローシュ。
人=存在の全ての機能、機関は、私達の頭脳によって司どられて、動いている通り、ここをやられたらおしまいなのです。
頭脳=霊的、これを切り離して考えているから分からなくなる。
思索、考える事〜霊的行動、作業なのです。
しかも、私達が疑わずに信じている”実は嘘”偽の教えの
中にちゃっかりしっかり潜んでいる。
神の創造した全てを歪める教え。神の実態、顔、完了の業を
覆い隠す教え。神の言葉を歪める、否定する教え。
偽の外套をまとう。神の言葉に偽の外套をまとわせて
それが本当だと信じ込ませる、その手口。
偽だから、私達は騙されて、破壊される。
見えない形で蝕まれる。
宗教と言う人間の教えの中に、閉じ込められ、偽の自己像を
信じ込まされて苦しめられる。
一生そこから抜け出れないと、信じ込ませる。
実は、簡単に抜け出れるのに。いやもう既に出エジプトしているのに。以前の自分で生きて来た記憶が邪魔しているだけ。
偽の自己像を固く信じ込まされているから。
まだ新しい人で生きる体験が少ないだけ。ただそれだけ。
似て非なる教え。そして神の言葉を忘れよと促す教え。
神の言葉を否定し、はぐらかされる事ほど、
恐ろしく巧妙な手口はない。
神の言葉を捨てたら、完全に迷い出る、破壊されるから。
そう聖書に書いてある。神の言葉を否定して、捨てたら
迷い出ている事に、気がつけない。
鎧兜を捨てて、戦場に出る様なもの。
いや、穴だらけの鎧兜を身に付けていると言う事。
危険物が簡単に内側に侵入して来る。
危険極まりないのに、鎧兜を脱ぐ事、それが正統な教えであると
思い込まされている。本当に危険。
だから注意深く神の言葉を調べ、真実か嘘か見分ける、
知っていないと危ない。
騙されてしまい、嘘を食べ続けてしまう。
私達を蝕む、腐った食べ物を食べるのと同じ。
いや、そんな腐った物なんて普通の人は食べません。
味も匂いもしない、毒素な添加物たっぷりなもの、
または放射能に汚染された食品を食べ続ける。
見かけは同じでも、
本物で、純粋な食べ物と見分けがつかないとならない。
人間の食べ物では無い食べ物を食べものと思い食べる。
見分けがつかないから、安全な食品だと思うから。
取入れたら確実に内側を蝕んで行く。
気がつかない方法で蝕んで行く。
殆どの場合、この”ささやき”は自分の頭の中で
グルグル思いめぐらしている内容なのです。
それは外から入る情報を、仕分けしないで
無造作に、自分の内側に取入れる事でもあるのです。
だから要注意なのです。気にもとめないその頭の中の
独り言が自分を破壊している事に気がつく必要があるのです。
疑いもせずに、来る日も来る日も危険な食べ物、
放射能で汚染された食べ物=自分を蝕む食べ物を
食べ続けて行く。
だから、気がつかないほど恐ろしく、浸潤し、
気がつかないまま深く破壊されて行くのです。
いや、破壊には見えない。只偽の教えに閉じ込められて行く。
神の似姿の人に相応しくない考えを取込む。
そして、神の言われる事の様で、実は本質が全く違う
世間の、ちまたの、宗教が造り出した教えを、頭の中で繰り返し唱え続ければ、それはもう大打撃、とどめを刺します。
本当の自分=神の似姿の人を生きる事、いや本当の自分に出会う戸口にさえも辿り着く事を阻まれてしまう。
喜び塞がれる。縛られる。影が出来る。本物の自分=神の似姿にされた人で生きる世界を生きられないままになる。
だから気がついたら即座にその場で、その思いめぐらしをやめて、それ以降二度と自分を分からない様に破壊する言葉、思索に戻らない、その言葉を復唱し続けない、決別すると決めれば守られます。
神の完了の業、神の言葉を否定するその言葉は、
必ず人に悪影響、打撃を与え続けます。
どんな有名な人の教えだろうと、誰がそれを唱えていようと、
世間一般に流通している神学であろうと、神の真実とは違えば只の作り物、本物、神の真実ではないから。
続く